宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑥-9    帝銀事件のつづき

 
 石井四郎は
 
 
 石井四郎は、アメリカと人体実験のデータを引き換えに助けてもらえる、という密約を結んでいたというので、そのデータが正しいかどうかを証明するために、帝銀事件を起こし、青酸カリの威力を銀行員を使って試し、アメリカに「正しいことを証明し」その密約を実行させ、助けてもらったのだ。
 石井四郎は、その後、厚生省の役人になり、石井四郎に間違えられていた人を殺害したともいう。
 
 
 銀行の大分割が昭和23年に行われている
 
 帝銀事件が起きたと同じ年(1948年)に、大銀行の分割が政府によって行われている。1948年に帝銀が解散していたのだ。
 この分割は、世界に類を見ない規模だという。
 実は、帝銀は、設立から5年後で帝銀事件の起きた年の1948年9月23日に解散している。
 帝銀こと帝国銀行の歴史は以下である。
 1943年4月1日(昭和18年) 三井系銀行と、三井組(三井財閥)と関係のある第一銀行が合併し、帝国銀行が設立。
 1943年11月15日 三池銀行を、帝銀、筑邦銀、肥後銀が分割買収。
 1944年8月1日 十五銀行(皇族の銀行と呼ばれていた)を合併 
 1948年9月23日 帝国銀行解散。第一銀行(第一勧業銀行→みずほ銀行)と新帝銀(三井住友銀行)が発足。
 1954年1月 三井銀行に改称
 である。
 帝国銀行が発足した当時の背景は、昭和大恐慌の頃である。帝国銀行となった後は、さらに業績が悪化した。
三井系と第一系は仲が良くなく、それも解散した理由の一つであると言われているようだ。
 上記のことから、帝銀事件は、三井系と第一系を切り離して別銀行にするために起こされた事件である、と考えることもできる。
 帝銀事件が起きたのは、1948年1月26日、帝銀が解散したのは、1948年9月26日であり、年が同じである。
 三井は、ドイツ系であり、戦中に帝銀を創設し、戦後解散させているが、その間、皇族の銀行と呼ばれる十五銀行を買収し、戦争の勝ち負けに影響を及ぼしていた可能性もある。 
 帝銀事件で、帝銀の役員などが殺害され、そのせいで、まとまらなくなり解散された、という可能性もある。例えば、帝銀椎名町支店に別名等で帝銀の幹部クラスの人物がいて、犯人が毒を飲ませて殺害したかったのは、その人物、ということである。
 一方、三井系銀行はドイツ系銀行であり、事件が戦後直後に起きていることから、戦後の支配をドイツに有利にしたかったために、ドイツ系銀行が、日本の皇族銀行(十五銀行)を買収しそれが成功したのでドイツに日本経済を握られてしまったなど、裏のいきさつがあった可能性もある。
 
 裁判に出廷した石井四郎はニセモノだった
 
 東京裁判に出廷した石井四郎は、ニセモノであることがわかった。裁判に出廷したのは731部隊に参加していた医師で、秋元寿恵夫という人物で、本物の石井四郎ではない。
 何故、石井四郎のみが替え玉を使ってまで無起訴になったかというと、731部隊は中国を舞台にして行われていたことと関係があるのではないだろうか。 
 イギリスは中国と仲が悪い。中国人の人体実験がバックにイギリスがいることがバレると面倒なことになる。そこで、秋元寿恵夫を使って、証拠不十分と密約を提案し、無起訴にしたのではないだろうか。
 一人だけ無起訴になった石井四郎は、他の戦犯たちから妬まれないために、他の戦犯を庇う中心人物となり、王室や一般家庭等で生まれた子供を取り違えたり、拉致したりして、それをパワーにして、戦犯らを庇い政治を動かしているとみられる。
 無起訴になるその前後に、帝銀事件を起こし、アメリカに毒物の効力等を示してデータが正しいことを裏付けたのではないだろうか。
 石井四郎は、東条英機とも同一人物である。
 
 秋元寿恵夫と秋元波留夫 石井四郎が無起訴の理由
 
 東京裁判に出廷した石井四郎は、姿形が違う人物だった。しかし、石井四郎として証言している。この人物は何がしたかったのだろう。
 裁判に出廷した石井四郎は、秋元寿恵夫の姿形によく似ている。実際に、秋元寿恵夫は、731部隊に参加している。なので、石井四郎のことはよく知ってはいるだろうが、本人ではない。
 秋元寿恵夫には兄弟がいて、それは、同じ医学者の秋元波留夫という人物である。
 二人とも姿形がよく似ていて、同じようなメガネをかけていて、パっと見判別は難しい部類といえる。
 秋元寿恵夫は731部隊に参加しているが、波留夫の方は参加していない。
 仮に、東京裁判に出廷した人物が、秋元波留夫の方だったら、波留夫は731部隊に参加していないので、石井四郎として出廷するのは違和感がある。
 東京裁判では、石井四郎に対し東条英機かどうかを聞いているらしい。石井四郎はそこで「はい」と答えているようだ。
 つまり、東京裁判に出廷した石井四郎が、東条英機だった、という認識である。
 そこで、この東京裁判に石井四郎として出廷した人物は、秋元寿恵夫なのか波留夫だったのかが気になる。
 
 しかし、寿恵夫か波留夫で、変わってくることがある。
 それは、石井四郎が寿恵夫としてみなされ、寿恵夫が東条英機ということにされた可能性があるからだ。
 波留夫は、戦後、100歳を超えてオウム真理教麻原彰晃の精神鑑定をした、というので、現役で医学の道を続けていて、戦争に対する罪も無罪になっていると考えられる。
 寿恵夫の方は、途中で道を変えており、731部隊のことを後悔している。
 東条英機東条英機東京裁判に出廷しているが、731部隊や石井四郎の裁判では、兄の犯罪を弟が押し付けられている、というようなことが行われているのだろうか。
 東京裁判で、寿恵夫の姿形で出廷してきた石井四郎が勝利してしまった形になってる。
 石井四郎が無起訴になったのは、石井四郎として出廷した人物を、兄と弟をすり替えてしまい、石井四郎の部下だった人物のやっていたことを、石井四郎がやっていたこととして認識してしまったからなのだろうか。
 それとも別の理由なのだろうか。
 秋元波留夫は、オウムの受け皿と言われるひかりの輪の上裕と同一人物のようである。さらに、秋元寿恵夫は、麻原彰晃と同一人物のようである。
 
 石井四郎はやはり寿恵夫と同一人物
 
 石井四郎として出廷した秋元寿恵夫は、やはり石井四郎と同一人物のようである。
 波留夫は兄弟ということになる。
 石井四郎、東条英機、秋元寿恵夫は同一人物で、石井四郎の裁判では何故か秋元寿恵夫の姿形で出ている、ということになる。
 これは何故なのだろうか。石井四郎の姿形で出ないのは、何らかの不都合があったからだろう。石井四郎の家族のことは、あまり情報がないのでわからない点が多い。
 秘書をしていた人物に、ハルミイシイという娘がいるが、その人物も名前のみ知られているだけで実態は不明だ。秘書をする位なので、小学生、中学生、高校性ではないはずだ。成人しているとして、20~30才とすると、石井四郎のしていたこともわかっているはずだ。石井四郎が隠したかった人物は、この人物なのだろうか。
 石井四郎のしていた731部隊で、主に生体実験に使われていたのは、女性であるという説があり、もしそうだとすると、若き女性の石井の娘がよくそれに何も言わずに堪えられたということになるだろう。実際には男性だったのかも知れないが、情報がなさすぎてわからない。
 
 
 
 登戸研究所で開発されていた青酸ニトリ
 
 731部隊が日本に引き揚げて来た後、登戸研究所という細菌の研究をしている研究所に出入りしていたとしても不思議ではない。 
 同じようなことを研究する者たちは自然と同じ場所に集まるものだ。
 帝銀事件が起きた当時、登戸研究所では、青酸ニトリルという毒物が研究されていたという。
 捜査の手が登戸研究所や青酸ニトリルに及んだ際、GHQから圧力がかけられたという。この時、せっかく青酸ニトリルこことがわかって追及しようとしていたマスコミも急に方針を変えざるを得なくなり、その後青酸ニトリルのことは忘れられてしまっていたらしい。こういうところは却って真実に近いからこそ妨害が入るのではないか、と思える。
 石井四郎(東条カツ子と同一人物)が帝銀内で飲ませた毒物は2種類で、そのうち、第1薬は茶色い色をしていたという。そして第2薬は無色で水のようなものだったと言われている。
 青酸ニトリルは、無色透明で無味無臭で水のようにも見えるという。
 仮に第2薬が開発間もない青酸ニトリルだったとすると、第1薬は茶色い色だったというので、それに一致する毒物は、ボツリヌス菌であるし、青臭い臭いがしていたという証言もあることから、ホスゲンである可能性もある。
 青酸ニトリルは、青酸とニトリルという手袋の原料にもなっているゴムで、青酸とゴムが混じったもの、ということになる。
 
 第1薬→ボツリヌス菌ホスゲン?あるいはボツリヌス菌ホスゲンの混合液
 第2薬→青酸ニトリル?
 
 ホスゲンと青酸ニトリルの場合は呼吸困難になる
 
 ホスゲンは単純な構造をしている割に吸引すると肺が苦しくなりとても毒性が強い。
一方、青酸の場合も呼吸困難を引き起こし、帝銀事件でもだえ苦しんだ行員らの死因と一致する。
 帝銀事件で使われた二つの毒は、ホスゲンと青酸ニトリルだろうか。第一薬は、茶色い色をしていたというのでホスゲンボツリヌス菌が混じった物であるという可能性がある。
 
 ヘビの毒
 
 咬まれると強烈な痛みでもがき苦しむ毒がある。それは、ヘビ毒である。
クサリヘビというヘビの毒は、出血毒と神経毒が混ざったもので、もし咬まれた時に助かったとしても手足の切断をする人も多いという。
 ヘビの毒は、青臭いようなジメジメした炭そ菌のようなカビの臭いがする。
 帝銀事件の被害者は、青臭い臭いの液体を飲み、胸が焼けるような感覚がありもがき苦しんだ、とある。
 これはヘビの毒の特徴に一致しているのではないだろうか。
 第1薬はヘビの毒だろうか。
 
 第1薬 クサリヘビの毒
(クサリヘビは、インド、パキスタンスリランカ等の熱帯地域に主に生息する)
 第2薬 青酸ニトリ
 
 ヘビの毒は、口から摂取すると加水分解酵素や胃酸により弱くなり毒が消える、等と言われているが、いまだかつてヘビの毒を口から摂取した実験はないようだ。
 口から摂取すると無毒、という説は間違っている情報なのかも知れないし、詳細は不明だ。
 
 助かった4人は犯人とグル
 
 帝銀事件で助かった4人がいたが、犯人とグルだったのではないだろうか。
 4人は、戦犯らと同一人物で、戦後未解決事件で度々共謀し、犯人をかばい犯人に有利なことを言い、捜査をかく乱したのではないだろうか。
 4人は、毒を飲まずに服にこぼすなどして難を逃れ、事件の解決を引き延ばしたのではないだろうか。
 第一薬の感覚について、「ウイスキーを(ストレート)飲んだ時のような胸が焼けるような」と説明しているが、ウイスキー等ではなく、茶色い毒物だったのではないだろうか。