早川紀代秀は松本知子?
松本知子は、平成天皇と同一人物であると思われるが、麻原彰晃のバックであると言われていた早川紀代秀も、松本知子と同一人物である可能性がある。
早川紀代秀の写真を見ると、松本知子と同一人物の平成の天皇と似ている顔の一部の特徴がある。
麻原彰晃は、松本知子の雇われマダムだった可能性が浮上している。
何故かというと、松本知子は、麻原彰晃の親を殺した、と麻原を脅し、なんでも自分の命令を麻原に実行させていることがわかったからだ。
オウム事件を振り返ってみると、地下鉄サリン事件でサリンを散布したとされる、本郷三丁目、霞が関、築地だが、本郷三丁目の最寄駅は当時、東京大学の最寄駅であったし、霞が関は官庁の集合地域であり、築地は広告業界の大手・電通本社があった。
オウムは元々、テレビを使って巧に自分たちを宣伝するのが得意、というようなことが言われていたが、他にも、1990年代前半に、オウム信者らは広告業界で働ていたことがあり、松本知子と同一人物の新実智光でNという人物だ。
東大や霞が関を自分の息がかかった場所にしたかったのは、松本知子が平成の天皇と同一人物だったからだ。麻原はそのための実行役の下僕だったということになる。
つまり、オウム真理教とは、当初、言われていたAの宮の諜報活動機関というよりも、もっと素直に平成の天皇の諜報活動機関だったということになる。
松本サリン事件では、これは、麻原と松本知子の力関係を競うもの、と当初言われていた。
また、国松長官狙撃事件では、警察権力を掌握したかったからだ、と説明することができる。
オウム真理教事件が起こった後に、天皇が死んだ、等と言われていたことがあったが、実は、天皇が死んだのではなく、天皇が殺した、ということだった可能性もある。
早川紀代秀は演歌歌手M
早川紀代秀は、演歌歌手Mであることがわかった。
この人物は、オウム信者に社会人としての生業のようなことを教えていた教育者のようなことをオウム内でしていたようで、信者から慕われていたようだ。
仮谷清志はHの宮
仮谷清志は、Hの宮と同一人物である。Hの宮は、令和の天皇と同一人物だが、平成の天皇と競っているような要素があり、息子でもあるので権力を取られるのは困る、といった平成の天皇の思惑もあったと思われる。そのため、拉致されていたのではないだろうか。しかし、令和の世の中になってからも、麻原の天皇家支配が残っている。
〇松本サリン事件⇒麻原彰晃と松本知子の力関係の対決。麻原彰晃のお母さんが、河野義行(H陸宮)の妻であると思われ、河野さんの妻は、松本地方裁判所の裁判官だったが、松本知子の命令により殺害され、以後、麻原は松本知子のいいなりになったと思われる。
〇地下鉄サリン事件⇒サリンを散布した駅は、本郷三丁目、霞が関、築地である。この3駅が最寄の施設は、東京大学(東大病院が後に宮内庁病院になっている)、官庁、マスコミ業界の最大手である電通本社がある。松本知子で平成の天皇は、これらを支配しするためにこの3駅でサリン攻撃を行った。
〇国松長官狙撃事件⇒国松長官(警察の頂点)を白昼堂々襲撃することにより、警察官らにショックを与え警視庁や警察庁を支配しようとする目的があった。
ちなみに南千住には、平成の天皇の娘であるNの宮が住んでいる。
1996年頃に、指名手配犯全員が同じ会社’(Ⅿ社)で働いており、その会社の経営者は平田信である。それぞれ、菊池はO島、平田はⅯ田という名で働いていた。
松本知子は新実智光と同一人物
松本知子は、新実智光と同一人物であることがわかった。
新実は、裁判で「オウム事件を反省しているか」と問われ「反省していない」と言ったことで知られている。
裁判で様々な証言をしているようだが、松本知子と同一人物でありオウム事件は直接自分の利害に関係があるので、正直なことを証言しているかどうかはわからない。
令和の天皇は上裕
令和の天皇は上裕史浩と同一人物である。
オウムから続いた日本カルト支配は、これからひかりの輪へ移行するか、別な宗教が誕生するか、あるいは、宗教を使わずにやっていくのか不明である。
令和の天皇家
令和の天皇家の構成は次である。
天皇⇒上裕と同一人物
皇后⇒平成天皇と同一人物
Aの宮⇒演歌歌手Mと同一人物
Aの宮紀子⇒K池百合子と同一人物
になっているようだ。
入れ替わり立ち代わり別の人物が扮する場合もあるし、誰かと二人一役、あるいは、三人一役になってくる可能性もある。
司忍は演歌歌手Ⅿではない
司忍は演歌歌手Ⅿではなく、日本会議の田久保という会長と同一人物であることがわかった。