宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件    ㉙-592 仮谷さん拉致事件のつづき

 

 菊池直子はH報堂と関係がある?

 

 地下鉄サリン事件は、東京大学の最寄り駅、霞が関駅、そして築地駅でオウムがサリンを散布した事件だが、この中で築地駅は広告代理店の電通の最寄り駅ということが知られている。

 オウムは何故、築地駅サリンを散布したのだろう。

 東京大学は、教祖の麻原彰晃が入学できなかった恨み、霞が関はシャンバラ計画を企む麻原が官庁を脅すために行った、ということが考えられる。しかし、電通を狙った可能性があるという意味は何なのだろう。

 事件当時、菊池直子や他のオウム信者が毎日通勤していた調査会社がお茶の水駅近くの神田猿楽町にあった。社内では、オウムのことが明らかになってから、誰それが〇〇という指名手配犯だ、という通報が管轄する神田警察署等にされていたようだ。

 しかし、神田警察暑は、多くの従業員が皆で通報している菊池直子に関する通報をことごとく無視していたという。

 これは何故なのかはわかっていない。

 しかし、神田警察暑の管轄に、大手広告代理店の本社があった。その広告代理店は、電通のライバル会社のH報堂である。

 オウム信者は、当時、H報堂のある地域の会社でまとまって働いていたのだ。

 このH報堂と地下鉄サリン事件が関係しているのかはわからない。しかし、警察というものは、地域で一番冴えている会社や人物を中心に業務を行うことがある。神田でピカ一の企業は当時、H報堂だった可能性がある(現在、H報堂は赤坂に移転している)。

 だから、H報堂のライバル企業である電通の最寄り駅で起きた事件の犯人グループであるオウム信者や菊池直の通報を無視したのか、という可能性もあるが、それだけなのだろうか。

 H報堂は、現在、赤坂に移転しているが、菊池直子と同一人物者が経営している芸能事務所も赤坂にある。

 H報堂が赤坂に移転したのは、菊池直子がそのことに関係しているという可能性もあるが不明だ。

 菊池直子が神田警察署で目を付けられなかった理由は、警察官と男女の中になっていたからだ、という説もある。それも、神田警察署だけではなく、他の警察署の警察官も菊池の愛人だ、という説もある。

 赤坂で会社を経営している菊池直子は、上祐と早川紀代秀(演歌歌手Ⅿ)の二人一役のようだ。前出のKという人物と同一人物であるが、例えば、5人の集まりの中に3人が同一人物という現象がよくあり、それは、協力者が必要だが、その協力者は無数にいる。

 

 菊池直子の世代について

 

 菊池直子の誕生日は、1971年12月9日である。1971年という世代は、団塊ジュニアという世代にあたる。団塊ジュニアは、第一次ベビーブームの団塊の世代の子供の世代にあたり、団塊の世代が人口が多かったのでその子世代も他の世代より人口が多く、第二次ベビーブームの世代ということになる。

 団塊の世代は、野党支持者が多く、選挙では野党が強かった。このため、団塊ジュニアの世代は、政権側がそのことに用心し、団塊ジュニアが親世代と同じことをしないよう注意しながら政策を作っていたと考えられる。

 その例として…

〇 選挙制度を改革し、衆議院選挙で野党候補が受かりにくい小選挙区制度を導入。→これまでの中選挙区制度は、1区の中に複数人の候補が当選しその中に野党候補も当選していたが、小選挙区制度では、1区の中に一人しか当選しなく、与党を支持する人が多いので一番多い票を取った与党候補が当選する確率が高くなる。

〇 少子高齢化対策→団塊ジュニアが20代半ば~前半にあたる時期に少子高齢化対策を実施。このことにより、独身者が白い目でみられ、差別を受けるようなる。雇用が芳しくない若い世代が多くなり、風俗関係の業種?を選んだり、借金や自己破産を経験する若者が増えた。就職氷河期世代というのは、団塊ジュニア世代を中心としたその周囲の世代のことである。

 団塊ジュニアが経済的に困窮する一方で、団塊世代の親世代は、オレオレ詐欺の被害を受けている。

 

などである。

 この裏で、菊池直子だけがいい思いをしている可能性がある。いつまでも逃走しているので他の同じ世代の人たちと扱いが違っているという可能性もある。

 

 オウムと赤軍派の関係は、病院子供連れ去りと資産家殺人

 

 オウム真理教赤軍派の関係がわかった。この二つの組織は、同一メンバーが多く何らかの関係があると思われていた。

 1960年代~1970年代に、病院での子供連れ去りが多発した。これは、第一次ベビーブームで生まれた団塊の世代が、子供を産み、第二次ベビーブームの団塊ジュニアの子供たちが生まれた年が、1970年代に当たる。

 団塊の世代は、野党支持者が多く、各地で左派政治家が台頭していた。この火付け役となったのが、赤軍派による活動であると思われ、赤軍派は、大学でゲリラ活動を行い勢力を伸ばして行ったが、それが一旦下火になった1970年代から、産婦人科病院から生まれた子供を拉致する、という連れ去り事件を行っている。たまニュースで見る、「親が違う」「病院で取り違えられた」等という事件は、実は、赤軍派産婦人科病院から子供を拉致し、そのまま赤軍派の家で子供を育て、実の親は子供がどこへ行ったかわからない、と騒ぎになるケースがあったようだ。

 この年代に集中しているのは、子供の数が多い、とうことはあるが、野党支持者の子はやはり野党支持者となることを危惧した自民党が関与しているかも知れないし、左派を裏で操る右派の仕業という考え方もできる。

 しかし、この連れ去り事件の首謀者は、その後、オウムと名前を変え、連れ去った子供を食い物にしながら信者を増やし、勢力を拡大して行ったと思われる。

 子供が連れ去られるケースは、実は、資産家が多かった可能性がある。子供を拉致することにより、親の資産をも奪おうとしそれが真の狙いであったということも有り得る。

 子供を奪われた親は、病院や周辺で子供がいなくなったと騒ぐが、病院では「わからない」と言われ、警察も親身になって相談に乗ってくれなかったと思われる。

 警察が相談に乗ってくれなかったり、病院も取り合ってくれなかったのは、この病院連れ去り事件が、権力者によって行われていた可能性があるからではないだろうか。

 オウムの麻原彰晃は、令和の天皇と同一人物である。この令和の天皇は、自分が世界一の金持ちになることを目標としているフシがある。どのように世界一の金持ちになろうとしているかというと、それは、他の資産家の資産を奪いまくるという方法でだ。ここで、赤軍派の子供連れ去りとオウムの麻原の野望が一致する。資産家の子供を拉致し育てている赤軍派でオウム幹部は、資産家の子供を奪ったことを盾に取り資産家に詰め寄り土足で踏みにじり殺害し、財産を奪う。子供は真実を知って行動を起こされると困るので気が付ないように監視でも置いておくのだろう。

 このようにして、子供を奪い、資産家を殺害し、資産を搾取し資産が蓄積されて行く。

 単なる愉快犯か赤軍派の勢力を拡大する行為に見えた子供拉致には、資産家の資産を奪いそれを蓄積し世界一の金持ちになるという麻原の野望があったのだ。

 そして、このことを象徴しているのが、仮谷拉致事件ではないだろうか。

 プロセス的には、仮谷氏の妹がオウムに入信し、布施を拒否したので兄の資産家である仮谷氏を拉致し殺害した、という事件だが、ここに至るまでの間に、妹や子供を病院から拉致されたということがあったのではないだろうか。そして、そのし首謀者の麻原に本人の命までも奪われたのが、この事件である。

 おそらく、団塊ジュニアの貧困は、このことと関係している。拉致された子供も子供で、貧困問題を抱えているだろう。何かある家庭の子供は、働くことを続けて行くのが難しいからだ。

 これまでは、赤軍派麻原彰晃として活動し財産を貯める時期であったが、これからは天皇として金持ちぶりをアピールすることになるのだろう。

 富のある人が富を分配するのが資本主義だが、やはり、その金持ちが一人だけではなかなか経済がうまく回って行かないし、その一人の金持ちがしくじったら、全体がしくじることになり、脆弱であることは否めないだろう。