宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-960    仮谷さん拉致事件のつづき

 1993年にエリザベス女王で浩の宮が殺害されていた  

 1993年にエリザベス女王で浩の宮が青森県八戸市で殺害されていたことがわかった。この事件の事件名は「八戸市女子中学生殺人事件」である。

 犯人は、松本知子(皇太子妃M子)で、遺体解体をしたのは演歌歌手Mである。

 殺害後、松本知子は、青森県三沢基地に「演歌歌手Mを殺害した、演歌歌手Mのシビリアンコントロールを止めてくれ」と言い、この直後からシビリアンコントロールがおかしくなったと思われる。  

    元々、演歌歌手Mは、シビリアンコントロールではなかったが、エリザベス女王を殺害したことにより、何とでも言えるようになり、その後は演歌歌手Mか松本知子のシビリアンコントロールに変わってしまったと考えられる。

 演歌歌手Mは、エリザベス女王の息子のC皇太子だが、以前からエリザベス女王の財産を狙っていて、福田和子事件を首謀していたと考えられる。

 

 エリザベス女王や浩の宮の子たちは中国人に殺害されイランに運ばれた  

    エリザベス女王、浩の宮殺害後、松本知子らは、イギリスではエリザベス女王の子を、日本では浩の宮の子を

①中国人が次々と殺害し、

②遺体をS川運送会社がイランに運び 

③遺体と一緒に運ばれたカバンをイラン人が持ち去り

④カバンを奪ったイラン人が日本にやってきて身分証等を使い

⑤浩の宮が経営していると言われるコンビニFで働き始め

⑥日本にイラン人が急増したと思われる。  

 

 浩の宮の関係する経済界の人々は三沢基地で銃殺されていた  

    浩の宮の子や関連の経済界に身を置いていた資産家らは、ある時、自分の情報が外に洩れていることに気づく。

 ヤフーは、浩の宮が設立したインターネット企業だが、そのプロバイダーを経由し、資産家らの経済情報やスケジュールが盗み出され、理由はよくわからなかったが米軍三沢基地が何かやっていることが資産家らはわかった。そこで資産家らは、青森県三沢基地に行き「一体何をやっているのか」を訪ね応接室に案内された。その応接室に入ってきたのは、上祐を殺害していた演歌歌手Mで、資産家らは上祐の姿をした演歌歌手Mにその場で銃殺されてしまった。この資産家らが、元々の経団連のメンバーの人々だと言われている。

 殺害したエリザベス女王や浩の宮の財産を奪うことを計画していた松本知子や演歌歌手M(早川紀代秀?)は、その息子や娘、その関連の資産家の資産まで奪うことに成功したのだ。     

 

 太陽王、資本主義思想を作った人物、日露戦争を勝利に導いた人物

 エリザベス女王で浩の宮は、太陽王、資本主義思想を作った人物、日露戦争を勝利に導いた人物(三笠の宮)であると思われるが、最近流行しているコロナウイルスは、太陽王(太陽の周期を発見した人物)が殺害されたことにより、太陽の状態がおかしくなったことから大流行した伝染病ではないだろうか。太陽王で浩の宮を殺害した人物らがオウム真理教の信者であることから、オウムが製造密輸している化学兵器の大量散布かわ引きがねになっているかも知れないが、コロナウイルスというからには、太陽が毒的要素を持つようになり、それが化学兵器と結び付いて伝染病になっているのではないだろうか。300年前にスペイン風邪が流行った頃には、エリザベス女王で浩の宮の母親が同じ人物に殺害されていたようだ。                                                                                                                 自民党は知っていた?

     選挙制度を変えて得をした自民党  

     皇太子の浩の浩が殺害されたことを、当時、時の政権や自民党は知っていた可能性がある。

 当時の政権は細川内閣で、細川は演歌歌手Mと同一人物だが、細川氏が事件翌日に自民党の歴代首相を訪ね「選挙制度改革」を打診していたのだ。その時に細川氏か「皇太子が死んだので」というようなニュアンスを混じえ「だから選挙制度が改革できるのだ」と伝えた可能性がある。

 野党が有利だと言われる中選挙区制度を、与党に有利だと言われる小選挙区制度に変えようとそもそも言い出したのは、今でいう野党側で、自民党ではないが、結局のところ、小選挙区制度は自民党に有利になり、今の圧勝につながっている。村山政権が政権を放り出してから自民党が好調となっているが、細川氏エリザベス女王で皇太子の息子だが、共犯行為といえど親は親であり、やはり、皇太子は、当時の皇太子妃で平成天皇に殺害されているので、その後の政権運営でも皇太子が殺害されていることを気づく機会はあったはずだ。 

  しかも、皇太子はI田大作氏と同一人物でもあったが、死亡してしまい、代わりにS学会のI田名誉会長に扮したのは、殺害者の皇太子妃(当時の天皇)だが、選挙制度を変えてから自民党公明党と連立政権を組んでおり、自民党圧勝に皇太子の死亡を利用していると考えられる。                                                                                菊地直子は演歌歌手M

 エリザベス女王が殺害される前日、K村Y優子というエリザベス女王の娘が殺害されている。

 K村Y子さんは、文京区大塚に住んでいた資産家の娘で、親が家をいくつも持っており、その中の一つに埼玉県草加市の菊地家があった。K村家は、家を変わる度にその苗字、名前を名乗るという決まりがあり、埼玉県の家に行く時は菊地直子と名乗るようになっていた。

 K村Y子さんには、兄がいて、その兄がシンガーソングライターの村下孝蔵と同一人物で、K村Y子さんはよく村下孝蔵の曲のモデルとして登場し、レコーディング等にも一緒に姿を現し、関係者の間では知られた存在だった。

 しかし、1993年10月にエリザベス女王が殺害される前日に、婚約して間もない婚約者の演歌歌手Mに殺害されてしまったK村さんとエリザベス女王は親子関係にあり、娘が前日に殺害された後、母親のエリザベス女王がK村さんに扮している時に、家族によって殺害されている。

 何故家族が殺害するかというと、演歌歌手Mは、男女関係を持った女性の親を殺してその女性をいいなりにするという思想を持っていて、K村さんの親は演歌歌手Mに命を狙われていた。そこで家族は、母親のエリザベス女王をかばうのにY子さんを殺そうと思っていたが、兄と同一人物の演歌歌手Mに殺害されてしまった。しかし、演歌歌手Mは、本人の河村優子さんを殺害しても、母親の殺害計画を中止しなかったが、これが何故なのかわかっていない。