宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-961    仮谷さん拉致事件のつづき

   菊地直子に近い人物と母親殺害  

    都内に住んでいたK村Y子さんは、シンガーソングライターのM下孝蔵の曲によくモデルとして登場していた。  

    1993年に起きた八戸市の女子中学生殺人の中学生の元々の女子中学生はK村Y子さんと同一人物であると思われ、この女子中学生は、陸上部に入っていたらしい。

 K村さんの身長は高めで162センチ程度あり、成績優秀だった。文京区大塚の父親は、大学助教授で、家が資産家なので厳しい家庭だったと思われ、さらに埼玉県草加市に菊地という家を持ち、たまに文京区から草加市に移り住んだりしていたし、家をいくつも持っている親について大阪等にも行っていたようだ。このK村Y子さん(血液型はA型)が菊地直子のモデルであったと思われる。しかし、93年にある事件が起こる。

 K村さんは、1990年頃、演歌歌手Mと婚約した。演歌歌手Mは、男女関係になった女性の親を殺すという思想を持っていて、K村さんはそれを後から聞かされて後悔した。家族でもどうしようと思っていて、K村さん自体を殺害する案が出た。

 そして1993年秋頃、家族がK村さん自体を殺そうとしていた時、その思惑を知らない母親が「演歌歌手Mに殺されたらたまったものではない」と思い、K村さんの格好をして学校に行き帰宅した時、K村さんの父や兄等により殺害されてしまった。

 この殺害されたK村さんのお母さんが、エリザベス女王で浩の宮と同一人物だったようだ。    

 オウム真理教の信者のオウム内での名前は「麻原と共犯で殺害した人物の名前を名乗る」という掟のようなものがあるようなので、K村さんが扮していた菊地直子も元々は別人がいてその別人を麻原とオウム内の菊地直子が共犯で殺害していたのだろうか。  あるいは、K村さんは、母親と婚約者、家族に殺害されたが、何らかのトラブルで母親も殺害され、K村さんを殺害した婚約者(演歌歌手M)がその後、菊地直子と名乗ったのだろうか。

 K村さんは、電機メーカーPの子会社で派遣社員として働いていたというので、菊地直子の違法捜査に関することで発生する盗聴は、Pと関係がある可能性がある。  

    K村Y子と名乗っていた人物は二人いるという説がある。一人は麻原でもう一人は松本知子でも演歌歌手Mでもない第三者だ。  

 菊地直子とは、麻原のことだったのだろうか、それとも、麻原が殺害した元々の菊地直子がいるのだろうか、それとも麻原が殺したと思ったが実は死んでいなかった等の勘違いがあったのだろうか。

 あるいは、母親、家族と婚約者がK村さんを共犯で殺害した後、母親が殺害されたので、その後、K村さんを殺した家族の誰かか婚約者が菊地直子ということになったのだろうか。                                    

 

    父親は平田信高橋克也として逮捕された人物

 K村家の父親は、平田信高橋克也として逮捕された人物と同一人物である。

 仮にK村家の中に菊地直子がいたとしたら、1993年に死んだ母親は仮谷清志と同一人物である可能性も出てくる。最初は演歌歌手M対策として娘の方を殺そうとしたが、母親が娘になりすましていた時に母親が殺害されたということなら、一応、演歌歌手Mの目的は達成されたことになる。娘の方に殺意はなくても、娘の男が原因となり母親が死んでしまっていたら、全体的に見て娘も親を殺す計画に乗っていたと言えなくもない。  K村家の母親は仮谷清志なのだろうか。                                     

 

母親の妹  

    93年に殺害された人物には、妹がいて、その妹が仮谷清志の妹に酷似していることがわかった。

 母親はやはり仮谷清志のようである。

 オウムはやはり、仮谷清志を殺害してから自作自演の拉致劇を起こしていたことになる。