●事件名
●事件の概要
1966年に、静岡県清水市の味噌製造会社の専務宅から出火し、中の住宅から家族4人の死体が発見された事件。
その後、味噌製造会社の味噌樽から、専務の家族の物と思われる衣服が味噌まみれになって発見された。
●事件の背景
1966年に起きたこの事件は、未解決のまま50年以上が経過している。
●犯人は誰か
池田大作一家が殺害、放火された
犯人が放火した味噌製造会社の専務は、池田大作と同一人物である。妻は、池田の妻のかねと同一人物である。
犯人は、専務宅の長女だが、当時、未成年者ということで警察が逮捕を渋っていたら、長女の方から男女関係を結ぶ申し出が、清水警察署の署長にあったために、
清水警察署は長女をかばってしまったのだ。
何故、長女が専務宅を放火したかといったら、この長女は、専務の家族からの扱いに不満を持っており、当時、交際していた彼氏の父の袴田巌に「お前は本当は専務宅の娘ではない、子供の時にどこかの家から連れ去られたのだ、家族を殺してしまったらどうだろう」等ということを彼氏を通じて長女に伝えたのだ。
このため、長女は寝ている家族を殺害し専務宅を放火したのだ。
衣服が、味噌樽から見つかっている。
この衣服は、実は、袴田が事件の前に専務宅から盗んだ物と同じ物を近くのスーパーIから袴田氏が購入した物が含まれている。
衣服を盗まれた専務ら家族は、「あの服はどこに行ったんだろう」と時々に気にかけていた物と同じ物である。
事件の直前、専務宅に入った袴田が、その家族の服をタンスに返して置いたのだ。袴田としては、「衣服を返してやる代わりに命を寄越せ」ということだった。
この衣服は、専務宅の家族がどこかでお買い得セールで買った物だった。
現在、袴田巌をしている人物は、殺害放火犯の長女である。
警察が、未成年だからどうしよう、と渋っていたので、警察の中では、犯人は、長女に殺人と放火をするよう指示した袴田ということになっている。
長女が袴田で意味合い的には合っているのだが、長女は長女、袴田は袴田、という風にきっちりと人物の認識をしてくれ、というのが袴田側の言い分なのだろうが、警察も一回袴田が犯人だと発表したためにそれができないので、それで裁判が長引いている。
実は、この事件で、専務も妻も生き返っている。
この専務は、池田大作だが、この事件のお陰で創価学会が勢力を大きくした、という説もある。しかし、池田の妻のかねは、事件後殺害されている。かねは、韓国の金大中の娘で、創価学会の会員に韓国人が多かったのは、このためらしい。
しかし、死んでしまったので、韓国人から不審に思われるようになっている。
また、池田創価学会は、袴田一家に妻を殺害されたために、いいなり状態になっていたと思われる。ここで不正選挙が出て来る。
黒い霧疑惑と関係?
当時、日本の政界は、黒い霧疑惑が持ち上がり、多数の疑惑事件が浮上している。池田大作は、佐藤栄作首相とも同一人物である。
黒い霧解散の後、自民党の議席数が減らなかったのは、池田大作が不正選挙をしたためなのか、それとも、疑惑事件が持ち上がったがほとんどが警察の手によって明るみになったためかはわからない。
しかし、この事件が解決するまで自民党や創価学会の不正選挙はなくならない、と言われている。
池田大作は1994年に殺害され死去しているいが、池田大作が死んだ後も、
不正選挙が続いている。死後、袴田巌が池田大作になりすましていて、袴田巌が創価学会の名誉会長になっていると同じである。
不正選挙は、この袴田の家族のために行われていると思われ、袴田一家は袴田一家で、政界を不正選挙で支配し、あわよくば無罪判決を勝ち取り賠償金をせしめたいと思っている。
黒い霧疑惑では、田中角栄の黒い霧が明るみになっている。複数の企業から不正な金をもらった田中派の議員が調べられている。
池田大作の妻を殺害したのは、田中角栄と同一人物者であると思われるのは、現在、池田の妻をしている人物が田中と同一人物者だからである。
佐藤内閣と田中は仲が悪かったようだ。黒い霧疑惑の後、田中派の入閣がなくなっている。
池田かねを殺害した人物が、疑惑の張本人であるのか、それとも、妻を殺害された恨みが佐藤にあり、主に田中派を中心に捜査するように頼んだのかは不明だ。
しかし、池田の妻の旧姓は、「白木かね」で、読み方によっては「しろきかね」つまり「白き金」である。池田の妻を殺害した田中は、白き金と正反対のことをしていたということなのだろうか。
田中は、後のオウム真理教の麻原彰晃で、オウム真理教は元々、自民党の非合法活動をしていた組織だという説がある。不正選挙と敵対する人物の暗殺が主な役割ではないのだろうか。
それが今でも続いている。バックには、袴田事件の裁判の長期化があると思われる。
池田かねと選挙の関係
池田かねは選挙と何の関係があるのか今のところわかっていない。
しかし、下記に記すところから、選挙において重要な人物であることがわかる。
池田かねの親戚に、白木義一郎という人物がいる。池田かねの旧姓は白木なので、かねの実家の親戚なのだろう。
この白木義一郎という人物は、元々野球選手だったが、野球界初の参議院議員であり創価学会の会員で、公明党の前身の公明政治連盟の結成や、1962年の公明党の結成に参加したり、創価学会の初代大阪支部長に就任したり等、創価学会が政界進出するにあたり草創期に活躍した人物であると思われる。その白木氏は、公職選挙法改正に関する特別委員会の委員長を務めていたようだ。
1965年第48回国会公職選挙法改正に関する特別委員会の委員長として、欠員した理事を決めたり、委員長として補欠選挙の改正案の特別議会の進行役を任されている。
この人物は、池田大作氏の著作のモデルとしても登場していて、創価学会の中ではとても名の知れた人物だったと思われる。
この人物が、白木かねと同一人物で、後の池田かねと同一人物である。
池田大作氏は、本物は、1994年に死去している。池田かねは、1966年の事件直後に死去していると思われる。
このように、創価学会の有名な名誉会長夫妻は、袴田事件の関連で殺害されていたたのだ。