宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ㉙-1004   仮谷さん拉致事件のつづき

 

 94年の殺害事件で被害者は死んでいなかった?

 

 94年にHの宮でエリザベス女王を殺害したという件で、別の人を殺害し、それをHの宮を殺害していたことにしていたことがわかった。

 そして、その殺害された人のことを仮谷さんと呼んでいたようだ。

 殺害された人物は江東区の住民で拉致されたときにその部屋に住んでいた女性である。この女性は、何らかの理由で江東区亀戸の仮谷家の人物からストーカーされていて、仮谷家の人かはわからないがある男にも部屋に入られるなどの被害を受けていた。

 この女性を拉致したのは菊池直子で、文京区のマンションの一室で待ち伏せしていたのが高橋克也である。部屋の借主は平田信だったようだ。

 殺害された後、その女性の娘が飼っている猫を直前に連れてきて一緒に青森県に運び、コンクリート詰めにして遺棄した。

 この被害者のことを警察は本名で呼ぶこともなく、通称仮谷さんと呼び、家族にも教えないようにしていた。

 家族といっても離婚者だったので、別居している娘二人がいるだけだった。

 この被害者は、人権を故意に伏せられているようである。つまり、被害に遭おうが殺害されようがそれを別人の被害、ということにすり替えるのが警察のスタンスのようである。それは、離婚者だからなのか離婚後も働いて生計を立てていた女性だからかはわからない。

 そして、この女性のだいたいのいきさつを知っているのが、仮谷拉致事件を公表したМ富士警察署である。

 この警察署は、東条英機の実家の岩崎邸があった池之端を管轄にしており、戦前から東条英機と懇意にしているという噂があった。日米安保条約の根幹は色々意見もあるだろうが、東条英機、石井四郎体制の堅持であり、そのために、東京大学安田講堂インターンによる「人体実験の再開」が声高に叫ばれたのである。もう一つは、女性にいい思いをさせてはならないという、東条英機の最大の悲願の実現であり、これが日米安保条約の二大要点である。

 М富士警察署はその東京大学を管轄している警察署で、警察方針を決定している警視庁本体と言われているので、この女性の事件が伏せられていたのもアメリカが関与していると思われる。

 オウム真理教はそもそも赤軍派のメンバーと同一メンバーが多くいて、麻原彰晃東条英機昭和天皇)とも同一人物であると思われ、自身にとって都合の良い条約の締結を邪魔するはずもなく、むしろ、安保反対と邪魔するように見せかけて反対派を抱え込み裏で締結を促進していたはずだ。だから、赤軍派というのは、CIAのようなアメリカの諜報機関組織であったはずだ。この名前なき、Hの宮やエリザベス女王や仮谷さんが被害者であると見せかけられた事件は、オウム真理教とCIAの合作である可能性がある。当時のイギリスは、エリザベス女王の政治が長いといわれていた時期で、女王が責められないようにする何らかの事柄も必要だった。

 被害者の女性は、第二次大戦中に政府からやり玉に上げられ戦時中に国内における東条政権からの化学兵器攻撃のターゲットになっていた女性である話もあり、日米安保条約により再び東条政権(前夜)から狙いをつけられていたことになる。

 遺体をネコと一緒にコンクリート詰めにされた被害者は、その後、コンクリートが固まらないうちに逃げ出し助かっていた可能性がある。

 

 エリザベス女王はネコが嫌いと言われているが、殺害された時にネコと一緒に遺棄されたのは何故なのだろう。一緒に遺棄されたなら親近感がわくはずなのに、女王はネコは嫌いで通っている。

 しかし、最近、その女王と一緒に遺棄されたと思われるネコが出てきた、といわれており、女王が脱出したのでその猫も脱出でき、ネコも女王も生きていたという可能性を示すものになっている。

 さらに、顔の一部が似ている人物が時々姿を現していることがある。

 

 女王が死んだことにして暗躍していた理由については、

〇女王の就任期間が長いとイギリス国内で言われていたので、死んだ噂を流し28年間休みを取っていた。

〇浩の宮の子供たちの多くがオウム真理教に殺害されてイラン(青森)に遺棄されていたのは、浩の宮が本当に死んだと勘違いしていたのでかばわなくていいや、と思った、という事が挙げられる。もう一つの理由としては、自身と似たような人たちを殺さないと、権力が分散されて自身の権力が一極集中できないと考えたために、子や、誕生日が同じである人などを殺害しようとしていた、という説がある。ちなみに、自身と似ている人を殺害するてにをはを持っているのは、徳川家康も同様である。

 

 菊地直子団塊の世代

 

 前イギリス女王は、死んでいると思われていた期間に、不動産業者の中田清秀として暗躍していた。国政では、大企業や裕福層が優遇され中小企業の銀行の貸し渋りなどが行われていた。この政策に合わせるように、富豪ではない、中小の資産家が、経営破綻しその資産を破産管財人が管理するという例がみられた。

 中田は各所の警察署の署長を殺害するなどして警察署を支配し、管轄の資産家を殺害して得た資産の一部を金にして警察官に渡し「逮捕しないでくれ」と頼み、犯罪行為と錬金術により体制を築いていったと思われる。

 中田が成功したのは、菊地直子が裁判によって無罪になったことと関係があるのではないだろうか。

 ところで、菊地直子の名前を元々名乗っていたK村さんは、中田清秀と同一人物ではない。中田清秀は、K村さんの親と同一人物のようである。また、菊地直子の指名手配写真の顔に似ているK倉さんという女性も、顔の一部分だけ合致していなく、何者かがK倉さんに似た整形なり変装をしその時に写真を撮り、それを指名手配の写真に提出したのではないだろうか。それができるのは、家に成りすまそうとする人の写真がある家族の誰かだとした場合、謀略がしやすい。K倉さんの親が菊地直子だった場合、似た顔をしているし一緒に住んでいるので、普段違う顔をしている親より、娘の方が年齢も近いし疑いをかけられる可能性が高くなる。 

 菊地直子の年齢は、50代前半なので、親の年齢は70代~80代で、丁度、団塊の世代に当たる。オウム真理教との関係があるのではないかと言われ国会にも登場したS価学会は、「子供を犠牲に親がいい思いをしよう」という裏の教義を提案し、人気を博している。このことは、菊池直子が親世代の人物だったとした場合に重要な関連性を示してくる。 

 親世代がいい思いをするには、子の就業妨害が不可欠であると考える人が多かった場合、菊地直子の年齢の世代が就職氷河期であると言われていることも説明できる。