宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ㉙-1022    仮谷さん拉致事件のつづき

 

  仮谷清志として殺害されたのはやっぱり19歳の女性

 

 1990年に仮谷清志として殺害された女性は、やはり19歳の女性だったのではないかと思われる。殺害したのが、河村Y子で、河村Y子が菊地直子である。河村Y子は、演歌歌手Мの妻のA美で、早川紀代秀でイナバさんである。

 河村Y子は、林郁夫と同一人物であるとずっと思われていたが、林郁夫ではなく娘(息子)の方である。

 仮谷清志は、当時の皇太子で、19歳女性の実母であるが、19歳女性が赤ん坊の時に捨て子にして孤児院に預けていた。

 演歌歌手Мと男女関係になり、親を殺されることになったが、親の方(仮谷清志)は19歳女性が殺害されている最中に自殺を図り、菊地直子に「死んだことにしてくれ」と頼み、助かっている。菊地直子は、当時のお妃候補のМ子で、現在、М子が天皇のように様々なことを決めているのは、仮谷清志の命を助ける代わりに自身が仮谷清志(つまり当時の皇太子)ととして扮するという約束をしたためだ。 

 頭蓋骨を見せた時に「これがイナバだ」と言ったらしいのは、イナバが殺害したからだ。三木武夫は、当時の皇太子の父親と言われていた人物で、皇太子の面倒を見ていたと思われる人物だ。

 仮谷清志は、高橋克也と同一人物のようで、菊地直子と共謀して仮谷が昔捨て子にした女性を殺害した共犯者だ。

 この殺人事件を5年後に仮谷拉致事件として再現して、あたかも最近起きたような事件だと装い、М警察署に相談しに行ったのが、菊地直子の父親の林郁夫だ。林郁夫は、サリン製造班の遠藤誠一中川智正と同一人物だ。

 つまり、仮谷拉致事件は、殺害されても痛くない女性を仮谷清志として殺害し、資産家殺人をするための謀略事件である。

 仮谷清志が殺害されたと装うことにより、資産家殺人を暗躍させた。オウムは、資金の調達方法を資産家殺人にしたことになる。資産家ではない事件に関係のない人たちは、化学兵器を散布することにより呪う。

 菊地直子と同一人物者は

司忍

桐島聡

早川紀代秀

皇后М子

K田文雄

 

等だ。

 

 

宝財探偵所の迷宮事件 ㉙-1022    仮谷さん拉致事件のつづき

 

  仮谷清志として殺害されたのはやっぱり19歳の女性

 

 1990年に仮谷清志として殺害された女性は、やはり19歳の女性だったのではないかと思われる。殺害したのが、河村Y子で、河村Y子が菊地直子である。河村Y子は、演歌歌手Мの妻のA美で、早川紀代秀でイナバさんである。

 河村Y子は、林郁夫と同一人物であるとずっと思われていたが、林郁夫ではなく娘(息子)の方である。

 仮谷清志は、当時の皇太子で、19歳女性の実母であるが、19歳女性が赤ん坊の時に捨て子にして孤児院に預けていた。

 演歌歌手Мと男女関係になり、親を殺されることになったが、親の方(仮谷清志)は19歳女性が殺害されている最中に自殺を図り、菊地直子に「死んだことにしてくれ」と頼み、助かっている。菊地直子は、当時のお妃候補のМ子で、現在、М子が天皇のように様々なことを決めているのは、仮谷清志の命を助ける代わりに自身が仮谷清志(つまり当時の皇太子)ととして扮するという約束をしたためだ。 

 頭蓋骨を見せた時に「これがイナバだ」と言ったらしいのは、イナバが殺害したからだ。三木武夫は、当時の皇太子の父親と言われていた人物で、皇太子の面倒を見ていたと思われる人物だ。

 仮谷清志は、高橋克也と同一人物のようで、菊地直子と共謀して仮谷が昔捨て子にした女性を殺害した共犯者だ。

 この殺人事件を5年後に仮谷拉致事件として再現して、あたかも最近起きたような事件だと装い、М警察署に相談しに行ったのが、菊地直子の父親の林郁夫だ。林郁夫は、サリン製造班の遠藤誠一中川智正と同一人物だ。

 つまり、仮谷拉致事件は、殺害されても痛くない女性を仮谷清志として殺害し、資産家殺人をするための謀略事件である。

 仮谷清志が殺害されたと装うことにより、資産家殺人を暗躍させた。オウムは、資金の調達方法を資産家殺人にしたことになる。資産家ではない事件に関係のない人たちは、化学兵器を散布することにより呪う。

 

宝財探偵所の迷宮事件 ①-601    9.11同時テロ事件のつづき

 

  突如として出てきたタリバンはグリコ森永事件の犯人

 

 1984年に、タリバンが突如として出てきたと言われている。

 これはどういうものをきっかけとして出てきたのか気になる。

 1984年といえば、グリコ・森永事件が大きな事件だ。グリコ・森永事件の犯人は、タリバンなのだろうか。

 グリコ・森永事件は、

①ホワイトデーがムカつく

➁当時の皇太子妃の子を殺害したらしい

タリバンといえば、皇族の女性がムカつくという思想がある

 

この三点がタリバンの思想と共通していると思われる。

 

 犯人のキツネ目の男らは、製菓会社や食品会社に、「お宅の会社の製品に毒を入れた」「やめてもらいたければ金を出せ」と脅迫状を送っている。

 金を出した企業に脅迫が収まったかどうかはわからない。

 しかし、ある企業は金を銀行口座に振り込んだのに、金が犯人の手に渡らず、犯人から「ちっとも金が振り込まれてこないじゃないか」と言われ何度も銀行に振り込みに行った、という説がある。

 ムハンマド体制を事件が起こったからといって作れるわけではない。しかし、何を目的としているかにより、それは変わってくることもある。

 

 日本の銀行は、次のような特徴がある。

 左派系の人に金が渡らないようにするという思想だ。例えば、左派系の人に給与以外の金が振り込まれたとする。普通なら、それがそのまま本人の銀行口座に振り込まれてくるが、左派系の人、野党に投票している人には違った傾向になる。

 左派系の人に金が振り込まれた場合、本人の口座に金が行かず、銀行の内部でオンラインを操作し、その金がある一人の偽造口座に渡ると金額が同じだといって後で調べられると困るので、複数の偽造口座に分けて流れるのだ。こうすることにより、誰が搾取したのかの特定が難しくなるのだ。

 前述した、グリコ森永事件で脅迫されたある企業は、それに当たる可能性がある。

 つまり、ムハンマド思想(与党思想、右派思想)を持っていないと、銀行で損をすることが多くなるようなのだ。

 さらに、キツネ目の男は、顔の一部の特徴から、保守王国・群馬県出身者のN元首相である可能性がある。当時の首相は、N元首相だ。

 保守王国が保守王国でいる理由は、銀行が保守体制だからではないだろうか。

 人間は何といっても金がないと生活できない。その金が振り込まれてくるのが銀行だ。しかし、その銀行を利用するのには、保守思想、右派思想を持っていないと金が入ってこない。嫌な場合、保守思想を持っているフリをするというものがあるかも知れないが、結局は見抜かれてしまうということもある。

 この事件では、ある企業を保守銀行が見せしめにし、ムハンマド思想を持っていなければ企業が安全を守れない、ということを他の企業に知らしめたかったことが目的の一つだったのではないだろうか。

 銀行は、思想の体制を統一する力がある。

 この事件と日航123便ジャンボジェット機墜落事故により、タリバンが自信をつけて、低い声の男が国会を支配するようになったのは、事件の未解決と銀行の体制を支配するようになったからではないだろうか。

①-601

 

  突如として出てきたタリバンはグリコ森永事件の犯人

 

 1984年に、タリバンが突如として出てきたと言われている。

 これはどういうものをきっかけとして出てきたのか気になる。

 1984年といえば、グリコ・森永事件が大きな事件だ。グリコ・森永事件の犯人は、タリバンなのだろうか。

 グリコ・森永事件は、

①ホワイトデーがムカつく

➁当時の皇太子妃の子を殺害したらしい

タリバンといえば、皇族の女性がムカつくという思想がある

 

この三点がタリバンの思想と共通していると思われる。

 

 犯人のキツネ目の男らは、製菓会社や食品会社に、「お宅の会社の製品に毒を入れた」「やめてもらいたければ金を出せ」と脅迫状を送っている。

 金を出した企業に脅迫が収まったかどうかはわからない。

 しかし、ある企業は金を銀行口座に振り込んだのに、金が犯人の手に渡らず、犯人から「ちっとも金が振り込まれてこないじゃないか」と言われ何度も銀行に振り込みに行った、という説がある。

 ムハンマド体制を事件が起こったからといって作れるわけではない。しかし、何を目的としているかにより、それは変わってくることもある。

 

 日本の銀行は、次のような特徴がある。

 左派系の人に金が渡らないようにするという思想だ。例えば、左派系の人に給与以外の金が振り込まれたとする。普通なら、それがそのまま本人の銀行口座に振り込まれてくるが、左派系の人、野党に投票している人には違った傾向になる。

 左派系の人に金が振り込まれた場合、本人本人の口座に金が行かず、銀行の内部でオンラインを操作し、その金がある一人の偽造口座に渡ると金額が同じだといって後で調べられると困るので、複数の偽造口座に分けて振り込まれるのだ。こうすることにより、誰が搾取したのかの特定が難しくなるのだ。

 前述した、グリコ森永事件で脅迫されたある企業は、それに当たる可能性がある。

宝財探偵所の迷宮事件 66    栃木県・茨城県にまたがる女児殺害事件

●事件名 
栃木県・茨城県にまたがる女児殺害事件

 

●事件の概要
2005年12月1日栃木県今市市の小学1年生の女児吉田有希ちゃんが殺害され、翌日2日に、有希ちゃんの自宅から60km離れた常陸大宮市の山林で遺体が発見された。

 

●事件の背景
吉田有希ちゃんの写真が東京都に住むМ子ちゃんという女の子によく似ている。М子ちゃんは、当時9歳で、この事件の被害者の人物像とは2歳年が離れている。

 

●犯人は誰か
 2005年夏に、静岡県の別荘地で子供が拉致されている。拉致されたのは、当時9歳のМ子ちゃんという女の子で、М子ちゃんは両親とあまり仲が良くなく喧嘩が多かった。しかし、母親の体調不良の仲、やっと生まれた子供がМ子ちゃんだったようだ。
 М子ちゃんは、当時から何者かに狙われており、水着に水銀を塗られる等のいやがらせを当日されていた。そうとは知らず、水着を着用して子供プールに入っていたМ子ちゃんは、気分が悪くなり、また母親と喧嘩になり、М子ちゃんは「子供プールを出て外へ出た。母親が「もう終えなんかいらない、出て行け」と言ったためである。外へ出たМ子ちゃんを呼び出す声が聞こえ「うちにくるか」と誘ってきた女がいて、М子ちゃんはそのまま拉致されてしまった。
 М子ちゃんがいないことに気づいた両親は、地元の警察に相談したが、当日は見つからなかった。
 しかし、数日後、М子ちゃんは急に今度は両親の東京の自宅に戻ってきた。
 錯乱していた両親は、戻ってきた子に「本当のМ子なのか」を聞くと、子供はそうだと言ったので、その日から、その戻ってきた子をМ子ちゃんとして同居するようになったが、この戻ってきた子というのが、今市市に住む有希ちゃんだったのだ。
 有希ちゃんは、М子ちゃんと2歳離れていて、有希ちゃんの方が2歳年下だった。
見知らぬ家に<М子ちゃんとすりかわってやってきた有希ちゃんも読経のある子供と言える。
 その後、両親はやってきた有希ちゃんがМ子ちゃんではないことに気づき、今市市に住むМ子ちゃんを取り戻しに行ったが、また、М子ちゃんが今市市に連れて行かれる等の堂々巡りを何度かしている。
 しかし、2005年12月に事件が起きる。
 今市市の7歳の女の子が栃木県と茨城県の県境で殺害された。
この殺害された女の子が、東京のМ子ちゃんなのか、今市市の有希ちゃんなのかが判断が難しい。
 しかし、事件の後、今市市の有希ちゃんの両親が、М子ちゃんの自宅近くで飲食店を経営していたり、М子ちゃんの親族に嫌がらせをする等の行為をしていることや、М子ちゃんの母親が事件から3年後に死亡したり、父親も、有希ちゃんの親が関与した事件の容疑者と間違えられたり、自宅にいる「娘」から度々金をせびられる等の行為を受けていることから、殺害されたのは、有希ちゃんではなく、М子ちゃんの方である可能性が高い。
 今市市で女の子を殺害した人物は、М子ちゃんの親と間違えられるような人物像になりすまして女の子を殺害しているようだ。
 殺害されたのは、東京のМ子ちゃんの方だとしたら、動機は何だろう。
 М子ちゃんの家は、都内の自宅や別荘も持っていたので、その資産を狙っての犯行である可能性がある。
 М子ちゃんは度々両親と喧嘩していたのは、両親自体もあまり仲が良くなかったこともあるが、何者かに子供を嫌がらせされていたので、その嫌がらせをしていたのが、犯人ではないかとも考えられる。
 М子ちゃんと有希ちゃんは、年が2歳離れているので、同じ学年であることはあり得ないし、病院ですりかわることもない。まして東京と今市市なので私立小学校でない限り同じ学校に入学することもない、
 接点がどこにあったかだが、例えば、М子ちゃんと両親の別荘の近くの宿泊施設に有希ちゃんや両親が泊まりに来ていて、通りがかりにМ子ちゃん家族を見かけて家族仲が悪いことを知っていた、ということでもあったのだろうか。
 その別荘地の地域に貸別荘やコテージを運営する企業があり、М子ちゃんと両親の別荘の隣に犯人が宿泊に来ていたのだろうか。
 水銀中毒になったМ子ちゃんを呼び出し、隣の別荘にいた犯人は、М子ちゃんを隣の別荘に連れてきて、ガスをかがせた後昏睡状態に陥らせ、今市市にМ子ちゃんを運んだのだろうか。  

 

 犯人の被害者宅に対するたかり行為

 

 犯人の男は、有希ちゃんの母親と同一人物(本当の性別は男)で、栃木県警の警察官をしていた。事件の捜査の指揮も執っていたとみられる。 
 М子ちゃんが有希ちゃんとして殺害されたかどうかわからないМ子ちゃんの両親に対し、自身の娘である有希ちゃん対する「殺した責任を取れ」、とМ子ちゃんの両親に脅迫し、М子ちゃんの両親に金品をたかったり、М子ちゃんの親に入ってくる金をすかさずもらいに行く等、М子ちゃんの両親の家にたかり行為をしている。

 しかし、有希ちゃんは、М子ちゃんの自宅近くの施設に7歳頃から入所しているという情報もあり、М子ちゃんの親に金品をたかっていた人物が、有希ちゃん本人かどうかはわからない。さらに、有希ちゃんは別の時期に殺害されて、有希ちゃんになりすましている人物は有希ちゃんの母親で、施設に入所している有希ちゃん(殺害されたことになっているので別の名前を名乗っている)は母親と同一人物者である可能性がある。

 有希ちゃんに扮してМ子ちゃんの親にたかり行為をしていた有希ちゃんのような女は、事件から3年後に病死したМ子ちゃんの母親であることも考えられ、子供を事件で亡くした母親(本当の性別は男)が、死んだ後に有希ちゃんになりすまし、夫に金品をたかっていたという可能性もある。

宝財探偵所の迷宮事件 ㉟-45    松山ホステス殺人事件(福田和子事件)のつづき

 

 福田和子は演歌歌手М(手許金係)

 

 福田和子は、演歌歌手Мで、事件を最初に持ち込んだ、チャールズ皇太子のような人物であることがわかった。

 この人物は、エリザベス女王の小遣いを管理する手許金係という役職についていた人物である。

 被害者は、仮谷清志と同一人物で、マーガレット王女と同一人物者であると思われる。

 被害者は、T童よしみと同一人物で、犯人はT童よしみになりすまして本物のT童を殺害した人物である。つまり、T童がT童を殺害したという設定になっているようだ。

 福田和子は、仮谷清志でマーガレット王女の資産に目をつけ殺害し、家財道具を運んで自身がマーガレット王女になりすまし、完全になり切った後で、愛媛県警に相談しに行き、(自身と同一人物の)福田和子が殺害したと言い、福田和子を指名手配させたようだ。

 相談者と犯人が同一人物の自作自演事件とも言えるが、演歌歌手Мは、別の時にもこの方法を使っており、演歌歌手Мがよく使う手法である可能性が高い。 

 フィリップ殿下が「金がない」と言っている言葉を聞いたエリザベス女王が「自分で稼いで来い」と返答した後、女王の手許金係が、エリザベス女王の妹の資産を狙い、福田和子事件を起こした、ということになる。

 

 

宝財探偵所の迷宮事件 ③-10   江崎グリコ森永事件のつづき

 

  犯人はタリバン

 

 江崎グリコ森永事件が起きる5年前に、東京文京区の江崎さんという家の当時8才位の娘さんが、拉致されている。当初、事件の起きる直前であると思われていたが、5年前のことだったようだ。

 この8才位の娘さんのお父さんをしていた人物は、江崎社長と同一人物であると思われる。

 1979年か78年頃のある夜、江崎さんの娘さんのお母さんが、隣の家に「娘がいなくなった、返してくれ」と意味不明なことを言い泣き叫んでいた。

 隣の家の人は「なんでうちに言うんだ?」と思ったがあやして帰ってもらうしか方法がなかったようだ。

 お父さんの姿も見えず、お母さんだけがお隣の家に言いに来ていたが、娘さんとお父さんの両方がいなくなったのだろうか。

 江崎さんは、この出来事の直後に別の場所へ引っ越していった。

 この件から5~6年後に、グリコ森永事件が起きることになる。

 グリコ森永事件の発端は、お風呂に入っていた江崎社長と10才位の娘が拉致され、大阪の川の近くの小屋に監禁されたことからである。

 江崎社長は自力で逃げだしたというが、その後、食品会社の商品に青酸を混入したという脅迫状が届き、犯人グループは多額の金を要求した。

 江崎さんの娘はおかっぱの髪型で、年齢も近いことから、拉致された娘は紀の宮である可能性がある。

 この事件の主な目的は、紀の宮を殺害することと、皇太子妃М子に圧力をかけることだった説がある。

 紀の宮を殺害したのは、1979年か78年3月14日で、ホワイトデーを習慣づけようとしたことがムカつくからであるという可能性もあり、

この事件の目的として

①女の皇族がムカつく

➁皇太子妃に圧力をかける

③ホワイトデーの習慣(バレンタインデーのお返しに男性から女性にお菓子を贈る)が

ムカつく

と犯人らの思想があると思われることから、この事件の犯人グループは、タリバンである可能性がある。

 タリバンは「1984年に突如として現れた」ということなので、事件が起きた年・1984年とも一致している。また、日航ジャンボ機墜落事故が起きた日に、犯人グループが終結宣言をしていることから、同じ犯人による新しい犯行が起こり、古い事件で何か失敗して捕まるのが嫌だったので終結宣言を出し、とりあえず新たに起こした事件に集中しようということだったのかも知れない。

 この事件で、安倍晋三と昭惠が交際している所が発覚しているが、安倍晋三タリバンのメンバーであり、昭惠は皇太子妃М子と同一人物であることから、森永が頼む形で安倍晋三との交際がスタートしたとも考えられる。

 また、この事件の直後に、山口組の会長が変更され、新しい会長となったが、5~6年前に江崎さんのお母さんが泣き叫んだお隣さんの家には、竹中正久似の人物がおり、さらに竹中の会長期間がとても短いことから、竹中を嵌めようとした新体制(渡辺芳則新体制)が竹中が会長に就任するのを待って、5~6年前に紀の宮を殺していたことを再現した事件が、84年に起きたグリコ森永事件だったということも考えられる。

 江崎さんの娘は、兵庫県天皇夫妻の家から連れて来られた娘だ、という説があり、この事件に兵庫県警が出てくるのは、そのためかも知れない。

 

 タリバンの犯行は捜査されなかったのか

 

 竹中正久は、会長に就任してから短期間の間に山広組に殺害されているが、竹中正久の本当の性別は女であり、竹中の会長就任期間が短かったのはそのせいである可能性がある。また、竹中を殺害した山広組の山本広は、オウム事件の仮谷拉致事件の仮谷清志と同一人物であり、竹中は山広に殺害されてはいるものの本当には死なずに生き残っていたが、竹中の住んでいた家の人が仮谷拉致事件の犠牲のように使われている。竹中自体は仮谷拉致事件に関係はないが、菊地直子で河村Y子という女を1980年代に一時的に愛人にしていたことがあった。

 また、山本広は、タリバンの最高幹部だったアブドゥール・オマル師(アラー)と同一人物であり、この事件で、当時の皇太子妃М子が経営する企業に脅迫で圧力をかけ、幼い頃に拉致されていた紀の宮を殺害し、さらに、女性で山口組の会長となった竹中正久を陥れ殺害することにより、タリバンというテロ組織を日本で台頭させた最初の事件がグリコ事件だったと考えられる(山口組の田岡一雄の妻は一時会長代理のような扱いになっていたが会長職には就いていなかった)。

 また、キツネ目の男らの犯人グループが出した脅迫状に時折みられる、警察をののしるような文言(腰抜けの警察諸君へ、知っているのに知らないふり等)は、女性の為になる捜査はなるべく真面目にやらないようにしようという警察の姿勢を皮肉ったものであると考えられ、この事件がいつまでも未解決なのは、そういった警察の内部の腐敗も関係しているように思える。 

 

 その後政治のイスラム化が進んだ

 

 グリコ事件、123便ジャンボ機墜落事故の後から、「地の底を這うような低い男の声」が国会を支配するようになった。何か決めようとすると待ったがかかったり、議員に命令、指示等をする声がした。当時、この声の主は、創価学会池田大作氏の声ではないかと思われたが、オウム事件の後からは麻原彰晃であるという認識が広まった。この声の主は、中曽根元首相(ムハンマドイスラム教の創立者)であるとも考えられているが、中曽根元首相の辞任後も続いていた。

 中曽根内閣では、国鉄やNTTの分割民営化や、プラザ合意により円高ドル安政策が進められたが、これにより、一気に日本のイスラム化やテロの介入が暗躍した。

 ちなみに、池田大作氏がオウム事件の関連で国会証人喚問をされそうになったのは、この声の主が、池田大作麻原彰晃で両人が同一人物ではないかと考えられたからである。