宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件-4 ごめんなさい、といい泣きながら死亡

 この殺害された人物の味方をしていたとオウムが主張する、一般人と放送局が対立するようになった。それは1997年7月頃に起き、業を煮やした放送局が電波を使って人をのろうようになった(1997年7月の恐怖の大王事件)。

 天皇の命令で、田宮高麿を殺したグループに、森順子の母親のK柳という演歌歌手も含まれている。他に、M元首相や、アメリカのB前大統領もいた。

 田宮高麿殺害は、早川紀代秀に端を発している。早川は1995年頃、逮捕されそうになり、慌てていたという。しかし、金総書記を前年に暗殺していたために、何か事件を起こし逮捕を免れている。
 それが田宮高麿の撲殺だった。年頭の地震はその予兆だったのだろうか。

 早川が逮捕を恐れていた事件とは、何だったのだろう。


 金総書記をA首相(当時A首相は韓国の金詠三大統領だった)とともに暗殺したことだろうか。
 早川は仮谷拉致事件にも関係があるといわれている。
 早川は、地下鉄サリン事件を大内を使い麻原に頼んだ首謀者であること考えられる。
 その後、国松長官を狙撃したのも早川である。

 そのことにより警察にマークされていたが、最終的に田宮高麿に罪をなすりつける案となった。天皇北朝鮮の脅威を感じていたので、赤軍派の田宮を殺すよう腹心に命令し、率先して実行したのが早川だった。
 森順子が捕まると困ると思った森順子の母、早川が父と呼ぶヒラド、M元首相(早川の身内?)、アメリカのB前大統領、F前首相、テレビ関係者(N社,T社)などが殺害グループだった。
 早川は、罪を田宮だけになすりつけるのでは足りないと感じ、田宮が死亡した後も使おうと思い、実際には田宮高麿の娘でない人を田宮の娘であると言張り、自分の罪をそういう人になすりつけようとした。
 警察は国松長官を狙撃したのが早川であると見抜けずに、早川に操られたままである。早川が白といえば白、黒といえば黒である。
 
 K元首相は、早川の愛人でもあり、兄弟か同じ暴力団に属する幹部である。
 M元首相は、早川の親戚であると思われる。

 天皇は田宮高麿か、という疑問だが、天皇と田宮がすりかわったのは、田宮が死んだ1995年か、よど号事件の時であるとしたら、年頭の大地震天皇の後継者レースがスタートした意味、天皇オウム信者である理由なども見えてくる。
 しかし、よど号事件の時にすりかわったとしたら、田宮と天皇の筆跡が似ている点が気になる。それではすりかわったというより、一人二役だからだ。田宮の筆跡は、北朝鮮から日本へあてた手紙のものである。
 すりかわるとしたらその手紙を書いた後であろうか。

 皇后も同じである。
 今の皇后は、Iという名の赤軍派である可能性もある。早川かK元首相により、イラク戦争のために、皇后を殺すように指示が出て、殺した後、皇居に入ってきたともいわれている。
 皇族はイラクと関係がある、といわれていたのは、皇后の親戚にフセイン元大統領がいたということだろうか。

 皇后かイラクの関係者を殺したという夫婦がいて、一人はオマル師で妻はフセインの妹であるといわれている女である。この女の代わりに誰か別の人を暴行し、それを皇后であると思っている可能性もある。
 

 天皇が本物かニセモノかを探る手立てとして、2000年頃に天皇の母が逝去した時に、天皇はどのような態度であったかだ。
 香淳皇后の死に関しては暗殺説があり、ある人物が見舞いに香淳皇后の部屋を訪れた後、容態が急変しているという。
 直後、部屋から出てきたのはI知事であるという。
 2000年頃、天皇は沈んだ感じであったかというとそうでもない。M元首相とともに飛んだりはねたりのうきうき気分であった。
 天皇という息子がいるのに、容態の良くない母がいて、外部の者が簡単に出入りできるというのも変である。しかも、その後もI知事は天皇から不審に思われずに、M元首相らと度々皇居を訪問している。まるで友達のようである。それは、彼らのお陰で天皇になれた、と思っているからではないだろうか。
 I知事に対し天皇は、憎しみの心や従おうとする気持ちはあるのだろうか。もう少し、カラッとした感覚のようである。

 今の天皇家は、北朝鮮や韓国と親しい。代わりに日本人はどうでも良い、という態度である。金総書記を暗殺したのは、早川とA首相だが、A首相と天皇はうりふたつかそっくりそのままだ。天皇ももしかすると金総書記暗殺の兄弟かも知れない。だから韓国人が天皇をかばう。天皇の部下はM元首相だが、M元首相も早川の親戚である。M元首相は金総書記から嫌われている。早川と生え際や顔も似ている。


 田宮は、撲殺される時に、ごめんなさいを繰り返していたという。日本の天皇は、赤軍派やテロリストに謝りながら死んだのだろうか。その現場には、テレビ関係者(オウム信者のいるT放送局)もいたという。