宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件-12 国会は、テロリストを隠匿している 菊地直子は自民党議員

 その場合、1998年頃O担当相はO元首相に秘書になりたいと申し出て、
わざとドコモ株を受け取り、O元首相は自分が受け取ってはいけない株を受け取ってしまったことにより、追及され死亡してしまった。
 つまり、M元首相の娘であることを知っていて、わざとそのように計らった。菊地直子として指名手配されていたので、O元首相の地盤を受け継ぎ、政治家になることによって警察に捜査されないようにした、というわけだ。

 菊地直子の本名はK紀子という。
 O担当相はA元政権の時に、当選3回で入閣し、A政権でも入閣している。5回当選して入閣する、という自民党の決まりはこの場合、無視されている。当選2回で初入閣は異例ともいえる。

 自民党は何故、O担当相の入閣を急いだのか。

 郵政省民営化の引きがねとなったオウム真理教の逃走犯、菊地直子が入閣していた方が、郵政民営化に関係した人々が心強いし、郵政民営化の象徴のような役割となっているからではないだろうか。O担当相を一番かばっていたのは、M元首相で、M元首相はO担当相の実の父親かも知れない。
 
 9.11のテロリストでテロのシナリオを書いたといわれる大塚という男がいる。この男は、リーマン証券で株をしている人物だが、身分証明の保険証に妻の名前が記載されていて、その名前がO担当相の名前と同じである。
 二人が夫婦だとするとまたテロがらみである。
 大塚と相手のなれそめは、銀座の広告代理店で働いていた大塚の部下に、その女が入社し、男女関係の仲になりそのまま結婚したか、結婚したと同じ状態になり、保険証の名前にその女の名前を記載したという。
 その時の保険証をリーマンで株をするにあたり、大塚は身分証明書として提出している。

 大塚と呼ばれるムハンマド・アーテフであると思われるテロリストでオウム信者は、広島にあるローマカトリック教会の信者で洗礼を受けている。
 ところで、国会質疑でムハンマド・アーテフを拘束した、という議事録が残っている。これは、イラク戦争のあった2003年の議事録で、ムハンマド・アーテフをインド洋で拘束した、というものだが、ムハンマド・アーテフは、2001年11月にアメリカで死亡したことになっている。
 死んだはずのムハンマド・アーテフが拘束されているのは変である。
 その後、アメリカにムハンマド・アーテフのことを聞かれ、日本側は死亡した、と回答している。
 大塚は、9.11のテロの時、事故機の上空を飛行していた人物で、ムハンマド・アーテフはタリバンの軍事部にあたるという。軍事部なら旅客機を操縦できるはずだ。
 これは、日本の政治家がかばっている可能性もある。
 大塚という人物は、タリバンのテロのシナリオを書いたとされる人物で、自らもオサマビン・ラディンの名で本を出版しているが、彼はオサマビン・ラディン師ではない。しかも死んでいない。
 この人物は、菊地直子と職場で出会い、結婚し、保険証の家族欄に菊地の別名の名前が記載されているという。
 菊地も、ローマカトリックの信者であるし、実は兄妹なので馬が合っても不思議はない。
 日本の政治家は菊地直子と夫のムハンマド・アーテフをかばっていると思われる。
 菊地には、別名がわかっているだけで4~5人あるし、それぞれに夫もいるが、夫全てが同一人物かはわからない。

 1990年代後半の警察による同名者の取り締まりにより、またしても、この女と関係のない同名者が、今度はテロの疑いをかけらることになる。

 
 もし、天皇が生きていた場合、政治家や国会が異常なことをしている、と何か言ってくることもないのだろうか。宮内庁などに相談や会議をすることもないのだろうか。

 国会や日本で何か問題があった時には、天皇に迷惑がかかるのが普通であると思われる。1990年代半ばの北朝鮮の脅威に天皇が怯えていた、というのがその証拠でもある(アメリカは日本はもはや国ではない、とK元大統領が意思を持っている)。
 

 
 それにしても、逃走犯が選挙に出馬することはよくあることなのだろうか。


 田宮高麿と天皇は同一人物か

 天皇は、1994~5年頃、北朝鮮の脅威に怯えていた。田宮高麿は、北朝鮮のスパイの赤軍派である。
 田宮高麿が北朝鮮に怯えることはあるのだろうか。
 天皇の北に対する脅威は、自分でどうすることもできなく、ただオロオロするばりであったことがうかがえる。もし、田宮であったら、ああ、あそこか、くらいの判別ができたはすである。
 従って、田宮高麿と天皇は同一人物ではないのではないかと思われる。
 見当も目星もつけられないのでは、スパイとしてどうかとも思われる。

 天皇が逝去した時期

1995年11月30日・・・これは田宮高麿である可能性が高い。
1997年7月・・・・・有名な予言の恐怖の大王の時期と一致する。天皇殺人にはテレビが関係していると思われる。
1998年・・・・・・・ある暴力団が殺害した。