宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件 72 Hの宮ラジオ体操殺人事件 H山氏のジャージ姿

 H山家の近くのラジオ体操といえば、護国寺境内のラジオ体操が有名である。
 H山氏はラジオ体操に行くといって夜中に家を出て、そのまま殺害され、その後、体格の違う変な男がH山家に出入りするようになった。
 H山氏はジャージ姿だったが、午前2時~3時頃、ラジオ体操をするところはないが、ラジオ体操の準備をする、ラジオ体操の打ち合わせがあった、などの理由で、3時間ぐらい早めに出た、ということも考えられる。

 H山氏は、ラジオ体操を終えた後姿を消している。一緒にいた子供が、H山氏の息子であるとしたら、近くの家に住んでいた子供で一緒にラジオ体操に出るためにH山氏も出ていたかも知れない。
 その時子供は、8歳ぐらいで小学2、3年だが、夏休みだったかも知れない。その時の子供がHの宮だったが、陰謀により皇居から出されていたのをH山氏はわけもわからず面倒を見ていたのだろう。

 この当時、護国寺の住職をしていたのが、T中参議院議員の父といわれているT中N氏か親しい者である。
 T中N氏は、シンガーソングライターMの出身地の熊本県に住んでいる。

 ラジオ体操を終え、みんなが帰った後にもH山氏は残っていた。ラジオ体操が終わった後、Hの宮が殺されたが、H山氏はそれもわからず呆然とし、子供が死んでいるのを発見し、その後何者かによって殺害された。
 殺害したのは、ニセのHの宮の父のシンガーソングライターMかも知れない。子供を殺したのが彼かも知れないし、住職だったMの父かも知れない(シンガーソングライターMと田宮高麿と今のH山K夫とT中参議院議員は同一人物である。民主党のO氏とも同一人物の可能性もある)。
 しかし、兄のH首相はK夫氏と父親が違い、弟のH山K夫氏を殺害したのはH首相の方かも知れない。シンガーソングライターMはH山K夫氏の役を演じているだけか、子供の方を殺害していたかも知れない。
 子供が誰の父かといえば、子が殺害されて一緒にいた人物が殺害されているとすると、この二人は親子である可能性が高い。
 しかし、Hの宮の父は自民党のH元首相であるともいわれていて、H元首相が思い違いをしていたか、実はAの宮の方の父親が自民党のH元首相であったかも知れない。
 Hの宮は、登山を趣味としているが、実はAの宮の父親の趣味だったのを
どうせ長男だからといい、Aの宮の父の趣味だったものを自分の趣味ということにしている、ということが考えられる。
 この殺人は、別の事件でシンガーソングライターMとH首相が共犯者で、命令者がI知事のものがあり、そういう関係が成り立っている可能性もある。
 I知事の意思によりシンガーソングライターMが殺人を実行し、H首相が二人の仲介役をしているという図式があり、I知事の目的は、天皇家への革命の監督である。

 T中元首相といえば、郵政族でも有名である。テレビが各家庭に普及する前の1968年頃といえば、庶民が情報を得る手段といえば、ラジオであったに違いない。
 T中元首相は、郵政が役に立つと考え、郵政大臣になってから頭角を現した、とされる。
 
 H山氏の母は、1989年頃の右翼事件の数日後に亡くなっているという。

 今のH前総務相は、アウトドアに野外へ出かける時には、ジャージを着ることが多いという。
 このジャージ姿こそ、本物のH山K夫氏の最後の姿であったと思われる。
 江東区南砂町近くの空き地に遺体を遺棄した、という情報があり、空き地の周辺に片方だけあるスニーカーや靴などが気になる近隣の人もいる。
 南砂町は、1969年に東西線の駅が新設された。
 その場所は、新砂3-3の都有地になっている。
 
 
 この天皇家一族の殺害について、警察が把握していることが考えられる。
 官僚のほとんどは、Hの宮のために努力すれば出世できると信じられていて、それはつまり、皇族のすりかえについて容認しているか賛同している様子がみられる。
 1959年に国会の前で赤軍派が暴動騒ぎを起こし、樺美智子が死亡した。この樺の死亡について、警察が殺した、などと当時マスコミで非難された。そして、皇后は、その樺美智子に似ていて、白樺をお印などにしていたことが警察のしゃくにさわり、このことがきっかけで、皇后と明仁を恨むようになり、明仁一族殺害を警察が容認していることが考えられる。
 樺美智子と皇后が同一人物であった場合、またはそうでなかったとしても、樺によく似ている皇后が警察から嫌われた要因だとすると、赤軍派の逮捕が中途半端で未だに事件の全貌を解決しようとしないのは、そのこと端を発しているせいだとも思われる。
 樺はその時実は妊娠中だったとすると(Hの宮が生まれたのは翌年)、明仁の子もろとも死亡させたことになり、もし同一人物であったとすると、この女は婚約中に赤軍派の暴動に加わるとは何だ、ということになる。