宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑦   テレサ・テンの怪死事件 福田和子事件と関係?

  
●事件名
 テレサ・テン怪死事件

●事件の概要
 1995年、宿泊先のホテルで台湾人(当時は中国の歌姫と呼ばれていた)歌手のテレサ・テンが死んでいたのが発見された。

●事件の背景・動機
 テレサ・テンは「つぐない」を皮切りに「愛人」「時の流れに身をまかせ」など次々とヒット曲を飛ばしていた。

●犯人は誰か

 テレサ・テンの父母は、台湾人の男性(金日成)と日本のY代A紀である。
 中国の恩家宝氏は、F元首相で、毛沢東か台湾人の男性(金日成の息子?)に殺害されている。
 1995年当時、テレサ・テンは、指名手配されている逃走犯の福田和子であり、警察から追われていた。しかし、テレサ・テンが働いていた広告調査会社がテレサに親切にしていたたため、難を逃れている。また、1997年頃、つきあっていた男がオウムの平田信で、指名手配犯本人(福田和子という本名ではないが、犯人像と一致するのはテレサ・テンである)とオウムの逃走犯の組み合わせだった。

 中国は、犯罪人には厳しい制裁をするが、国外へ逃亡する分にはいいという思想があり、テレサ・テンは、もともと天安門事件民主化運動に加担していた、として政府からも睨まれていた。テレサ・テンは、台湾の諜報部員であるともいわれていて、関係者や夫が指名手配されているのは台湾も危険であると感じていたに違いない。
 中国も危うい、台湾も危険、日本では身内が逃走犯。その上、アメリカからもテロリストの一味であると追い掛けられていて、フランスなどにも一時住んでいた。
 テレサ・テンは、実は、フランスで起きた佐川一政の人肉事件にも関わっており、フランスも敬遠していた。
 テレサ・テンが住んでいた香港では、香港の有名なアクション・スター(麻原彰晃と同一人物)と破局していた。
 テレサ・テンの逃げ場はなかった。
 テレサ・テンの周りには、指名手配犯が多かった。
 1997年には香港が中国に返還されるとして、台湾にとっては面白くなかった。
 実は、テレサ・テン諜報機関としては、中国を邪魔することにあり、香港の中国返還はテレサ・テンの存在理由を脅かした。
 もともと、テレサ・テンが日本の歌謡界に出てきたのは、イギリスが香港を中国に返還する法案を国会で採決した頃で、その登場の仕方も危険な匂いが漂っていた。
 テレサ・テンのヒットの裏には、中国の邪魔する、という台湾政府のバックがあったのだろう。
 オウム真理教としても、テレサ・テンの状況は危険だった。捕まりでもして、オウムの実態がバレると困るからである。テレサ・テンは、オウムの大内早苗だった。

 テレサ・テンは、実は別名で日本で働いていたが、その会社の上司が台湾政府の幹部(蒋介石本人か息子→日本ではジャーナリストのA田芳F)であった。テレサ・テンは、E川紹子というジャーナリストだった。
 台湾の幹部は、テレサ・テンの危うい立場を考え、タイのホテルで密会する約束をしていた。
 死亡情報が流れたのはその後である。
 しかし、本当に死んだかどうかはあやしく、歌手のテレサ・テンの引退であったと思われる。 

 テレサ・テンは死亡情報が流れた後、日本人として生活するかたわら、日本と中国をまたにかけ、平田と菊池を助ける目的で、別人にぬれぎぬを着せるため、中国で日本人の偽造口座発行させていた(この偽造口座発行には、麻原彰晃が関わっている→麻原はオウムの教祖と同時に経済人でもあり、中国の上海銀行と親しい。麻原彰晃は、信じがたいことに、中国の法輪功※の教祖の李洪志でもある)。

 ※法輪功とは中国のカルトで、中国では日本のオウム真理教と同じ扱いである。生きたまま、拷問を学習者に与えるとして、中国共産党から弾圧をされていたが、学習者の数が増加し、中国共産党を脅かす勢力となっている(法輪功9千万人・中国共産党員1億人)。李洪志は、中国で指名手配されている。

李洪志の画像
http://news.searchina.ne.jp/2000/1023/politics_1023_002.jpg

 テレサ・テンは、1980年代には、K林しのぶと名乗っていた。この時、年齢を誤魔化し、都内の私立中学や高校に入学していた。
 
 テレサ・テンの父親は、アメリカのメイヤーというマフィアのボスで、彼は台湾の李T輝元総統の兄弟である。渡辺芳則とも同一人物である。金日成でもある。
 父親は、この娘が生まれた時、アメリカのケネディ大統領を暗殺しているというが、実際に生まれたのは、1948~1950年頃で、1965年ではない。