宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ①-506    9.11同時テロ事件のつづき

 
 ムハンマド・アーテフ
 
 青森県の米軍基地のエシュロン施設の担当者は、ムハンマド・アーテフである可能性がある。
 ムハンマド・アーテフは、9.11のテロを起こしたタリバンの軍事部のトップだが、テロ後、自衛隊の艦船の中で殺害されたことになっていた。しかし、最近になり、ムハンマド・アーテフによく似た人物が都内で働いていることがわかった。
 日本は、ムハンマド・アーテフが本当は死んでいなかったのに、死んだことにしてムハンマド・アーテフを逃亡させていたことになるが、そのしわよせが盗聴という形になって、国民に降って来たということだろう。
 ムハンマド・アーテフについて、国会質問がされた時、答弁者は自衛隊の艦船の中で殺害した、と述べている。
 
 自衛隊の艦船にラムズフェルドから電話がかかり、その船の中にムハンマド・アーテフがいる、という。
 自衛隊が早速艦内を捜索したら、ムハンマド・アーテフと思しき男を発見した。「お前がムハンマド・アーテフか」と聞くと、別のところから銃声がし、一人の隊員が銃で撃たれていた。
 ムハンマド・アーテフと仲間は、「そいつをムハンマド・アーテフということにしよう」と示し合わせ、銃で撃たれた人をムハンマド・アーテフということにした。その人物は、ブッシュ大統領と同一人物だった。
 ラムズフェルドタリバンアイマン・ザワヒリと同一人物であり、自衛隊の艦内に電話してきた理由は、実はブッシュの方を殺したかったためで、電話はタリバンの謀略だったのだ。
 
 ビン・ラディン師は重信末夫か
 
 ビン・ラデイン師は、2010年5月に死亡したと伝えられたが、ビン・ラデイン師らしき男がまだいることが最近になり、わかった。
 この人物は、日本赤軍重信房子の父親で、重信に過激活動に参加するのに強い影響力を与えた、とされる、重信末夫という人物だ。
 重信房子は、奥平純三と偽装結婚した後、パレスチナ男性と結婚し、パレスチナイスラエルで過激活動を行い、日本赤軍という団体を創設した。しかし、2001年に解散しているが、この年、9.11のテロ事件が起きている。
 タリバンが自分たちであることを知られないために、日本赤軍を解散したようにもみえる。
 もし、日本赤軍タリバンと同様の団体であるなら、そのリーダー重信房子の親玉として、末夫はテロ事件に何らかの関与をしているか、もしくは重信房子を操りテロ事件の首謀者だった可能性もある。
 重信末夫と同一人物の芸能人に、N沼謙治やE口洋介がいる。
 
 
 上記の人物の重信末夫は、マッカーサーと同一人物であることがわかった。
 このことにより、ビン・ラディン師とは、GHQのマッカーサーであることがわかった。
 アルカイダというのは、各国にある米軍基地のことであるのではないか、と前述したが、その可能性が高くなった。
 アルカイダが、各国の米軍基地だとしたら、タリバンというのは、その戦闘部隊、ということになろう。
 暴力でもって、他国をいいなりにしよう、という、サウジアラビア系の戦闘部隊だ。
 何故、サウジアラビアかというと、重信末夫の思想が、サウジアラビア人の思想と似ているためだ。
 もし、マッカーサーサウジアラビア人であるとしたら、第二次大戦の直前、アメリカと戦争直前だったサウジアラビアが「日本を戦犯国にしよう」という密約で、サウジアラビア人がパールハーバーを仕組んで、日本の仕業に見せかけ、戦争を起こして謀略勝ちした、という戦争のいきさつの真相と一致してくる。
 この時、先頭に立って計画・実行をしたのが、マッカーサーだった、ということになる。
 実は、第二次大戦前にも、今のようなビン・ラデイン師のようなイスラム思想の男がいて、それをずっと、演歌歌手Mのせいだと思わせていたということがあったらしい。
 重信末夫でマッカーサーがビン・ラデイン師だとしたら、ビン・ラデイン師は演歌歌手Mとは、少し違う人物、ということになる。
 マッカーサーが重信末夫なら、トルーマン(演歌歌手M)大統領であり、この二人は別人なのだが、重信は、演歌歌手Mとも、現れる姿が酷似していることから、普段から間違えられることが多いらしい。
 さらに、ムハンマド・アーテフである、上裕とも間違えられることがあり、なかなか区別が難しい。だからこそ、指名手配される人物であり、変装や行動が見破りにくい。