宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑨-3    新説・よど号事件のつづき I会長の野望 赤軍派は石原莞爾革命?

 A首相は、田宮高麿を殺している。1995年に大阪の岸和田市で死んだ男が田宮であるらしい。田宮を殺したのは、オウム信者山口組の男である。
 A首相は、自分の息子が田宮と知り、殺していた可能性もある。
 もし、田宮がA首相の親であるとすると、A首相も赤軍派に関わっている可能性がある。

 A首相と天皇は、兄弟のようにそっくりであるとはいろいろな人が言う。
 天皇の妃のM妃殿下は、昔、A首相とつきあいがあったという。
  たいていの望みが通る、といわれる天皇も、実はA首相には遠慮があるし、A首相のために我慢もしているといわれる。

 天皇とA首相の関係は何であろう。
 簡単に推理できるのは、父親が同じの兄弟である、ということだ。
 兄弟のようにも見えるが、違う理由があるとすれば、何かの共通点があるということである。
 
 A首相と皇后は昔からつきあいがあったという。1960年頃、Hの宮が誕生した頃から赤軍派が登場した。
 A首相は田宮高麿のような過激な面を持つ政治家であることは、最近では知られるようになってきた。
 Hの宮が、A首相と皇后の間の子であるとしたら、天皇とA首相の関係は、Hの宮の父親同士という共通点がある。
 
 Hの宮は、1980年後半~1990年にかけて、歌謡コーラスグループのボーカルをしていたAという青年であることがわかっている。そして、その顔が、A首相の他の息子たちとよく似ている。

 Hの宮の父親がA首相かH元首相か判断に迷うところだが、Hの宮の父親がA首相であると思われる理由として

・Hの宮が生まれた1960年頃に赤軍派などが登場し、過激な行動をする人々がいたことと比較すると、
・H政権の頃はさほどひどくなかったが、オウム真理教などが台頭してきている。
・2000年半ばH元首相が死亡した際、皇室に特別変わったことがなかった。父親が死亡した後もHの宮は心構え的にも変化はなかったようだ。
・A首相は女性嫌いは有名だが、Hの宮も似たり寄ったりである。
・A政権になってから、過激な活動をする人々が居直る態度を見せている。
・A政権になってから、宮名をHの宮からKの宮に変更している。
・A首相の支持が低い割に政権は強い。
天皇とA首相の関係は、皇太子の父親同士という関係で、似ているという人が多いのではないか?
などが挙げられる。



赤軍派の真の狙い>
 M皇后は、S学会のI会長のひ孫のような関係で、一連の赤軍派の行動は、M皇后とI会長の革命のためであるということもいわれている。
 I会長は、戦中の石原莞爾であり、台湾と日本の戦いの中で中心的役割を果たしたかも知れない人物だ。しかし、もともと天皇と敵対する者で、戦後も天皇家を倒す計画を立てていたと思われる。
 河内大作と呼ばれる将校が、張作霖を爆死させた張本人であるといわれているが、張作霖天皇家と関係のある奉天派と呼ばれる勢力だった。
 
 石原氏の書いた書物世界最終論は、オウムや赤軍派の愛読書で父と仰ぐ人物が書いた彼らのバイブルである。

 
 A首相とI会長の孫の皇后の間に男の子が生まれたのが1960年。その後の赤軍派など過激派の活動は、そのせいでないとは言えないだろう。

 1965年には、Aの宮が生まれている。
 Aの宮の父は、A首相の身内のような(兄弟か息子)ヨルダン人である。彼は、橋本龍伍という人物で、H元首相の父親である。