宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-200    仮谷さん拉致事件のつづき 皇太子の妃選びと熊本の公害問題

 正田美智子さんは、何故Cッソ社の社長の娘になっていたか

 皇太子の妃候補として名前が挙がった正田美智子さんは、よく考えてみたところ、自分には天皇の妃はできない、と思い、宮内庁に無理です、と伝えている。正田美智子さんが妃になることを辞退した、と報道でも伝えられている。しかし、名前が挙がり、マスコミが詰めかけるようになり、どうしても天皇の側から離れなれなくなってしまった。
 つまり、どのようにあがいても、自分が皇太子の世話をさせられてしまうので、ずっとお側にいたい、という言葉で表現し、成婚することになった。
 この時、マスコミが正田さんの考えとは裏腹に、正田さんの元に詰めかけ、返事をしない頃から、妃が内定、などと報道していた(マスコミもドイツの手先?→テレビを発明したのがドイツ?)。
 しかし、内心、無理だ、と思い、悩んでいた時に、CッソのE頭Y美子さんが、自分が替え玉になるので、そのようにすれば少しは肩の荷が降りるだろう、自分にいい考えがある、などと正田さんを誘い、しばらく自分の代わりをしてくれないか、と言い(正田さんの方から提案させた、という説もあるが)、正田美智子さんがE頭Y美子になり、E頭は、皇太子の妻の正田美智子をしていた。マスコミが詰めかけた時や、成婚の時は、本物の正田美智子さんが登場し、そうでない時には、E頭Y美子さんが正田美智子をしていたのだと思われる。
 しかし、正田美智子さんがE頭Y美子さんの代わりにCッソ社の娘となっていた時に、公害問題が発生する。その直前に、O和田恒に扮していた正田英三郎氏と結婚する。しかし、結婚したところで、すでにどうにもならなくなっていた。
 正田美智子さんは、江頭家の人を殺害したわけではなく、E頭Y美子さんの提案で、二人が入れ替わっていただけなのだ。
 そして、その時に公害問題が発生した。
 
 正田美智子さんがE頭Y美子さんに扮している時に、公害問題が発生したが、これがもし謀略だったとすると、悪いのは、正田美智子さんではない。
 しかし、国民やテレビの世論は、江頭家やY美子さんが悪い、という風に伝え、裁判になり、Cッソ社は敗訴し、賠償金問題で経営が悪化し、三井銀行に融資を受けるはめになった。
 三井銀行から追われるはめになったのは、正田親子である。
 Cッソ社(鹿児島の関連企業)の発動機や設備の買い先は、ドイツのSメンス社である。

 しかし、前々から、水銀が海に流れ、地元の漁師や村民が公害病になっていたことをうすうす知っていたCッソ社の娘が、天皇の妃になれば大丈夫だ、などと地元の人たちに言っていた、という説もある。

 水銀の発生源は、発動機や設備の機械が水銀を使用している可能性があることから、会社の設備からの水銀流出であることが考えられるが、機械の清掃には、劇薬が使用されることもあり、設備自体が水銀が流出してしまう欠陥品であるか、清掃に使用した水が海に流れていることが考えられる。
 また、似たような事件が、1980年代半ばのグリコ・森永事件の直前に、グリコ社から汚染水が川に流されるという事故が起きている。
 
 皇太子は、実は正田美智子さんが結婚を断ったことから、正田一族や正田親子に恨みを持ち、何人かの一族が殺害される事態となっていると思われる。

 正田美智子さんは、亀戸公園のトイレで暴行を受けていた
 
 グリコ・森永事件の時、グリコの排水が汚染されていた、として問題になったことがあったが、これも、グリコのドイツ系の新幹部によるものである。グリコの社長に扮していたのは、正田英三郎氏で、妻が正田美智子さんだった。
 江崎グリコ・森永事件では、美智子さんの娘のNの宮を誘拐するのが目的であったが、1985年当時、Nの宮はすでに死亡していた。
 しかし、9歳の娘が誘拐されたことになっているが、この娘というのは、正田美智子さん本人である。
 その後、正田美智子さんは、江東区亀戸にある亀戸公園のトイレ内で、赤軍派の女により暴行を受けていた。
 その直後、グリコの犯人グループからの終息宣言が出されている。
 犯人グループは、U山田洋とC5のメンバーだが、このメンバーの中の少なくとも4人は、赤軍派の構成員や皇太子本人である。
 このようなことから、天皇明仁天皇)と皇后(本物の正田美智子さんと日清一族)の間には、確執があったことがわかる。
 
 オウムと公害病の企業

 オウムの幹部は、Cッソの経営に関係する者で、熊本の住民はオウムに何とかしてやる、といわれ、期待を寄せていたが、その結果が、公害を発生させた企業のために、多くの人を殺害するという事態に至っている。
 つまり、公害を発生させていた側がオウムであったということで、オウムが熊本県知事などを説得させていた当初の理由は、ウソであるということだ。