正田英三郎氏について
正田英三郎氏は、死亡したわけではなく、K泉元首相と同一人物であったことがわかった。
そうすると、オウムの大量殺人では、正田英三郎の代わりに正田英三郎についていた日本の経済人が殺害されていたことになる。
伊丹十三もK泉と同一人物で、娘が医療機関で殺害されていたので、そのことで映画を製作しようとしていた矢先に、娘を狙う女(伊丹の愛人)により、伊丹は自殺を図らされた(偽装自殺)。
江東区の佐賀一丁目殺人では、犯人は佐川急便の関係者で、被害者は正田家の一族であると考えられる。
正田英三郎は、もともとK泉だったわけではなく、江崎・グリコ森永事件の時の江崎社長の本物であったと思われ、事件の時に殺害された。そして、助かったフリをして、事件後、K泉が江崎社長になりすましていたのだ。
娘の美智子は、そのことに気づかなかったか知らなかったので、結婚相手のK泉の腹心か影の支配者のH山由紀夫にサリンを浴びせられ、後に殺害された。
グリコ事件の直前、グリコ本社の近くの川で、グリコが汚水をたれ流をしている、という噂が流れた。この直後に、江崎社長は誘拐されたというが、この時すでに江崎社長は殺害されていて、江崎社長の替え玉が社長となっていた可能性もある。
川の汚染は、テロが地震につかっていることがわかっているが、この時の汚染のたれ流しが何の目的のためかわからない。
汚水の正体は、自家発電だとすると、自家発電のための放射能物質を流したか、工場の清掃に使う劇薬などである。
もし、地震を起こす目的があったのだとすると、失敗したので、誘拐事件に変更された、ということになる。
事件の時、社長を誘拐したという犯人グループは、企業の幹部をしていた江崎氏の家族や親戚に電話をかけ、社長を助けたければ○○万円持って来い、といってアジトに呼び出されたが、社長はすでに死亡しているので、犯人グループは、金だけ奪って一族を殺害した。
このことにより、グリコの一族はその時にほとんどが死亡してしまった。
事件終結(終息)の直前には、正田美智子が呼び出され、亀戸の香取神社か亀戸の公園(亀戸中央公園?)のトイレで暴行を受け、病院に運ばれた。
正田美智子は赤軍派に暴行されていた
グリコ事件で助かった正田美智子は、サリン事件の被害者となり、その後、2000年代前半に、赤軍派の女(同じ江東区の団地に住む、永田洋子、浴田由紀子、重信房子?)によってまたしてもトイレで暴行され死亡した。
この時、日本はイラク戦争に自衛隊が派遣する、ということで持ちきりになっていた。美智子とイラクが関係があるために、日本はイラクの肩を持つ、などと噂が流れた。しかし、当の美智子は、この時に殺害されていた。
美智子が死亡した場所は、亀戸の香取神社のトイレか、秋田県(青森県との県境)能代にあるサンウッドの管理事務所のトイレで、埋められたのは八甲田山であるという。
亀戸は江東区と墨田区の境に位置する。団地に住む者が江東区なので、「団地の者」という共通点から、殺害現場は秋田県や青森県ではなく、亀戸である可能性が高い。
亀戸天神は調べたところ、そのような事件はなかった。亀戸天神の近くの香取神社は、ここ何年か前に改装された形跡があり、怪しい場所のひとつである。
1999年6月に正田英三郎が死去したといわれ、美智子の死亡はこの何年か後であるが、正田家の別宅の土地が国に寄贈され、その土地は公園になった、というニュースが何かひっかかる。
殺害現場はこの場所というわけではないだろうが、この寄贈した時期か場所が何らかの関係があるような感じもする。
正田美智子の父親は、K泉(フセイン)に殺害されていたと考えられ、美智子が娘であるとみなされていたために、アメリカも美智子の死亡には関心を持っていたようだ。
亀戸6丁目の事件
平成12年9月29日(日)に、亀戸6丁目のマンションで、漫画家の女性が殺害される事件が起きた。平成12年は西暦2000年である。
亀戸6丁目は、亀戸天神や香取神社の近くで、この女性が正田美智子であった可能性もある。トイレ内で暴行死したということは、もし、この事件の被害者が正田美智子であれば、このマンションのトイレ内で3~4人の赤軍派の女に暴行を受けて死亡した、ということになる。
また、この場所周辺には、日本共産党の宣伝カーが出現することがあり、天皇反対を掲げている共産党にとっては、格好の宣伝になる。
また、正田英三郎氏が死去したのは、1999年6月18日であり、父親の死亡後、1年3ヶ月後に娘が死亡したということになり、有り得ない話でもない。