宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 38-58    八王子大和田スーパー殺人事件のつづき

 米軍はフィリピンが苦手だった

 アメリカの国防長官だったラムズフェルドは、フィリピンが苦手だったという。そのため、米軍自体がフィリピンが苦手だった可能性がある。
 ラムズフェルドが何故フィリピンが苦手だったかといえば、第二次大戦中、フィリピンでバターン死の行進を指揮した本間雅晴というA級戦犯が、ラムズフェルドと同一人物者だったためであると考えられる。
 そのため、フィリピンにはラムズフェルドアレルギーがあり、そのことを持ち出されると、何も言えない状態になってしまったのだろう。
 そして、ラムズフェルドと同一人物なのが、S価学会の掬賃膾遒世辰拭
 このため、SGIもフィリピンが苦手だったと思われ、フィリピンの攻略は、米軍のためでもありSGIのためでもあったのだ。
 水面下ではA谷派と掬椎匹梁侘が学会内であったとすれば、A谷派は掬弔苦手なフィリピンとグルになっていたであろうと思われ、A谷をやる(殺す)なら、フィリピンを使おう、ということでフィリピン製の銃が使用されたのではないだろうか。
 スカイヤーズ・ビンガムは、もともとフィリピンの米軍が使用していた銃だったという情報があり、1991年にフィリピンの火山が噴火してから米軍はフィリピンの基地を撤収している。この後、この基地で使用されていたスカイヤーズ・ビンガムが横流れして密売されることもあったのだということだ。
 だから、スカイヤーズ・ビンガムを使用することは、ある程度、米軍のためにもなっていたのだろう。

 自衛隊とのからみ

 自衛隊病院で朝木が殺されたも同然なのは、このような米軍とのしがらみが防衛省にあり、朝木とフィリピンをいいなりにする計画のS価学会とどちらを取ろうかということになり、朝木はその選択により殺害されたという可能性が出て来る。
 しかし、その結果、フィリピン国内で火山噴火の前に起きていたであろう軍事的戦略テロの数々が日本国内にも飛び火してきたのだ
 フィリピンをいいなりにして何かよいことがあったのだろうか。答えは何もなかったといえる。この後、日本では、オウムのテロが犯罪として取り締まれなくなるも同然となり、国外的にはタリバンのテロが横行した。
 もともとフィリピンの本間雅晴派が、フィリピン国内でイスラム勢力を指導してテロ活動をしていたが、1995年以降、そのイスラム勢力がますます勢力を拡大し、手がつけられない状態となっていたようだ。
 
 A谷栄之助はO沢一郎と同一人物者?

 A谷栄之助とO沢一郎の関係が取りざたされることもよくあるようだが、都内のホテルで会談した、などという時に、実際は会談していなくても、その二人が同一人物者である場合には、会談したと同じ意味だということで会談した、と発表することもある。あるいは、ダミーが別にいて本当に会談している風を装う工作なとがあるかも知れない。都内のホテルで会談などという時には、公にそれを目撃する者もいなく密室状態であるので、実際に本当に二人いたのか一人だったのかわかる者がいない。
 しかし、密室で会談するぐらいなのだから、親しい間柄でなくてはあまりしないものではないだろうか。
 こういうことから、A谷栄之助は、O沢一郎と同一人物者が大変近い間柄にあることがわかる。
 A谷栄之助は、スーパー事件で、自分の娘や息子と呼ばれる人々の殺害により自分が国会招致になっていることを知っているだろうに、そういうことに触れることなく声を荒げることもなく普通に毎日を送っている様子だ。
 一方、O沢一郎も自分の娘や息子と呼んでいる人たちを陥れることによって自分の運にしようと企んでいるような人物であることがわかっているが、この二人の共通点は、自分以外の家族や一族に対して陥れる行為を自らが命令し、そのくせ自分だけは安全地帯にいることである(汚職事件で逮捕されるのは全く自分自身の問題)。
 人格的にはひどい人間、ということになるが、この朝木の転落にしてもスーパー殺人事件にしてもそのようなA谷の思惑もみえてきそうだ。
 この人物は、麻原のバックと言われるように、オウムの全体像を仕切っている人物であり、オウム信者の中で一番の長老である。その意味は、オウム一族の中で父親的な役割を果たしている一番の首謀者で警察庁長官とも同一人物の人を化かすタヌキということだ。

 この人物は、掬賃膾遒良秧討任△覯椎柔もあり、掬弔茲蠑紊領場にあるかも知れない。
 この事件で死んだのは、A谷の親族かも知れないが、A谷とは全く別物の人間たちで、A谷に道具のように利用されて捨てられてしまった人たちである。
 A谷は、石原莞爾と同一人物で、赤軍派の聖書と言われる「最終戦総論」を書いた人物で、この人物の最終目的は、中国を中心とした世界の統一である。
 フィリピンの利用も災害の利用も全てこの思想に基づくものであろう。