宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑤-4    三億円事件のつづき

 清水一家は、都内の富士という名前のつく場所に構成員がいることもある。
 オウムの上九一色村サティアンは、富士山総本部と呼ばれていたし、オウムは何かと富士山の近くにアジトがあることが多いようだ。
 それというのも、清水一家が清水の次郎長という富士山の周りを縄張りにしていたやくざだったからではないだろうか。

 英語

 英語と高橋克也の関係は、高橋克也は、アメリカで俳優をしている人物だし、ハリウッド俳優にたくさんの信者を持つアメリカの宗教団体・サイエント・ロジーの教祖と同一人物である。
 この人物は、やはり、アメリカでもいくつもの奇怪な事件を起こし、逮捕されたりしているが、検察側が負けることもよくあるようだ。
 サイエント・ロジーとは別の名前の宗教団体の教祖として逮捕されたり、子供を殺したふてぶてしい女として逮捕されたこともあるので、英語が堪能というのは、この人物の特徴を言っているといえばそうでもある。むしろ、日本語よりも英語の方が得意かも知れない。
 また、最初に出てきたシンガーソングライターMとは、親子関係もある。

 犯人は、三億円を奪い、I知事の口座に入金したと言われているが、I知事がシンガーソングライターMであるし、事件の共犯者か首謀者だろう。
 誼了?蓮魚本公博(安部公博)、黒田佐喜子(若林佐喜子)、吉田金太郎(K府の宮)と同一人物である。

 オウムと赤軍派

 赤軍派は、1960年代に、東京戦争というテロ事件を起こしている。
 この事件は、警視庁の本富士署の署長室に爆弾を仕掛け、爆発させた、というものだ。
 本富士警察署の隣には、東京大学があり、安保闘争の舞台として知られている。
 この東京戦争の時、本富士署の署長をしていたのが、国松長官狙撃事件の国松長官である、と言われている。
 赤軍派もオウムも狙いは国松長官だったのだろうか。

 1990年代半ばに、オウム事件が騒がれていた頃、本富士警察署にオウムが現れ、オウムが「上を見ろ」と警察官に言い、そのまま銃殺された事件がある、と言われている。この時、犯人が言った上を見ろ、という言葉は、「国松長官の署長室があった場所を見ろ」ということだったのかも知れない。
 この時、上を見ろ、と言った人物は、女の信者であると言われていて、大内早苗かE川紹子であるということだ。
 大内早苗は菊池直子と同一人物のI知事で、E川紹子は、高橋克也(麻原彰晃)と同一人物者である。

 地点で待機する車

 犯人の逃走ルートに、車が乗り捨てられ、後部座席には金が入っていた銀色のケース(ジェラルミンケース)だけが蓋が開いた状態で置かれていたという。
 これは、犯人がバイクでこの場所まで行き、待っていた仲間が銀色のジェラルミンケースから金を取り出し、別の入れ物に入れ、待機していた車でまた次の地点まで行き、同じことをしつつ、最後にはスイス銀行シティバンクのような外国系の銀行口座へ入金したと考えられる。
 このように犯人は、単独犯ではなく、赤軍派メンバーの複数人がいただろう。そして、金が入っている入れ物を替えたり、乗り物を替えたりして、強奪したもともとの金の形(入っている入れ物)や形跡を少しずつ消したのだ。

 犯人はE頭優美子?

 実行犯のモンタージュの人物は、森順子に似ていると思われるが、この人物は、E藤優美子と同一人物者である。
E頭優美子は、熊本のチッソの一族だが、明仁皇太子(当時)の妃候補の一人だったが、正田美智子に妃の座を奪われ、妃レースから落選している。
 赤軍派が出てきた時期とミッチーブームは同時期であり、妃レースに敗れたE頭優美子が、落とされた恨みをはらすために、革命思想と称し、天皇家の崩壊あるいは一新を企てたものではないかと考えられる。

 実行犯は田宮なのか?

 また、モンタージュ写真は、平田信と同一人物の田宮高麿にも似ている。この人物は、A城直樹であると思われる。
 実行犯は、この人物かも知れないが、田宮は森の夫なので、森の動機とだいたい同じであろう。
 森は赤軍派のマドンナだったので、言う通りにする男がたくさんいたということだ。

 国松長官への疑惑

 その後、国松長官は、赤軍派幹部の父親であることがわかってきた。
 森順子(小川淳と同一人物)、魚本公博、明仁皇太子(塩見孝也)の実の父親ということになる。親子は、団結して息を合わせて行動を共に取っていた。
 事件の首謀者は、この父親の国松長官の意図である可能性も出てきた。
 国松は、当時、北朝鮮の総書記だった金日成と同一人物である。
 金日成が日本の銀行から銀行強盗をして作戦の資金にしていたということも考えられる。
 赤軍派グループは革命という言葉を使っていたが、国松は皇后美智子と同一人物であり、皇太子が民間人と結婚するということでもともと革命要素はあったわけだ。