宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-725    仮谷さん拉致事件のつづき

 日本の経済情報には八百長が混じっている

 平田信は、司忍と同一人物であり、司忍は弘道会の創設者である。
 司が弘道会を退いた後は高山清司が会長を継承しているが、高山は上裕である。
 弘道会の行動は、オウムやひかりの輪を彷彿さとさせるものである。
 ・取調べに完全黙秘する(麻原彰晃と同じ)。
 ・暴力団担当者の警察官の氏名、住所、年齢、車のナンバー、知人、親戚などの個人情報を収集し、警察に対して無言の圧力をかける(ひかりの輪施設で見つかった警察官の写真の例)。
 また、家宅捜索の際には出入り口を封鎖し警察官の出入りを妨害することもあるという。

 日経社の主要人物は弘道会の構成員幹部であり、日本の特定の経済情報は、暴力団による捏造情報や願望情報が多く混じっている。

 日経社の捏造情報の例

 日経社の捏造情報は、間違ったタレント情報を大々的に流し、自分たちの親分である平田信(司忍)を有利にさせようとする方法である。
 その捏造情報の例とは

 M本人志の母親のM本秋子(菊池直子と同一人物)かM本明子と演歌歌手M(平田信)が1986年頃に結婚の約束をしたという。
 この情報の中で、M本秋子かM本明子の部分を全く関係のない一般人にすりかえて日経社は情報を流していた。
 しかし、一般人とタレントを入れ替えて情報を流したために、一般人の方に絶大な迷惑がかかり、暴力団組長の演歌歌手Mと勝手に関係があると勘ぐられたせいで、他の一般人にも迷惑がかかり、タレントと一般人の間の格差が生まれた。
 人権は同じだが収入の額がケタ違いということで、タレントよりも一般人の方が下という差別が発生した。
 演歌歌手MはM本人志(M本明子と同一人物)の力を借りて、演歌歌手M(司忍=渡邊芳則と同一人物)と対立しそうな一般人を狩ることに成功した。
 この結果、司忍の経済情報が日本の株情報の中心となり、司や渡邊は株で大儲けすることが出来た。

 M本と間違えられた一般人は、M本人志がトップ幹部であるカナダの諜報機関から偽造口座を作られた。同時にM本人志と母親の秋子は、この一般人の味方をする日本の政治家や外国の政治家などの偽造口座も作り、殺害までしていた。
 日経社としては、自分の親分である渡邊芳則、司忍を中心に経済情報を確立すれば、暴力団が有利になる日本経済が構築できると考えた。そして、それは20年程度の年月をかけて現在に至っている。
 M本人志(M本明子と同一人物)とM本秋子は、タリバンのメンバーであり、この二人が偽造口座を作った平和の使者のような人たちとそれに味方する政治家をタリバンということに捏造して、カナダの諜報機関が平和の使者狩りをすることになる。
 M本明子とM本人志は同一人物なので、M本人志の母親のM本秋子が、演歌歌手MとM本明子の悪事に加担していたのだ。
 M本人志は、この頃、長者番付の1位になったということを報道されており、長者番付1位パワーで所得が自分よりも低い人たちを無条件で有無を言わせないようにしたのだ(捏造情報の流し放題)。
 また、1995年頃から問題になっていたオウム真理教事件でも、政治がオウムに負ける、というような事態に実はなっていたのだ(掬賃膾遒両攷祐問が出来なかった)。
 これを受けて総理大臣になったH本龍太郎(演歌歌手Mの愛人)は「いらない子供を殺せ」と国民に向けて命令し、そのせいでオウムの年代の一般人が殺害されたり親からけなされるようになっていった。

 このことによって、日本企業の経済活動にも陰りが見える。だんだんと経済の基盤が暴力団会長のペースになっていったからだ。会長と敵対する人たちが立て続けに殺害されたり、普通の一般人が暴力団のように罠にはまったり陥れられたりするようになったから(暴力団によって)である。
 暴力団はさらに、為替に目をつけていたので、為替相場を気にしてそれを基本とする株式市場へ移行したと考えられる。
 為替は、1985年頃の中曽根内閣のプラザ合意により、円とドルの相対金額が決められていた。
 この時、中曽根の愛人だった人物がM本秋子と同一人物者(K澤春江という名前の女)である。
 プラザ合意の後、日米は構造協議でアメリカの対日赤字をどうにかしろよ、と迫ってくるが、これはプラザ合意円高ドル安になったことも大きな要因である。
 司忍は、レーガンと同一人物者である。