Mさんは、政治家や宗教団体などの大物と親密で、それがわざわいしていたこともある。
全くの赤の他人に似顔絵を渡していたのが1986~1987年頃である。その時からすでに誰のせいにするかという相談がされていた可能性があり、尾崎氏が死亡する5,6年前から計画が決まっていたともとれる。
その似顔絵は、突然渡された人にしてみれば意味が全くわからずしかも、かなりへたくそだったので、後に捨ててしまったという。
高校時代のギター部のMさんは仲間や部長のSさんよりもギターが上手かったといわれていた。Mさんには、自民党の政治家のパトロンが多数いて、Mさんの願いはなるべく聞き入れられるよう、とりはかられていた。
Mさんは、部長のSさんが付き合っていた尾崎氏のギターのことで悩むようになり、それを察した自民党の政治家が尾崎氏をどうにかするように示唆していた、ともいわれている。それが似顔絵事件のあった1986~1987年頃である。
尾崎豊は足立区の自宅マンション近くの民家(尾崎氏の叔父の家?)の軒先で全裸で倒れているところを住民に発見された。
尾崎豊氏はなぜ全裸だったのか?
・足立区の自宅マンションから一駅離れた場所に居所(尾崎ハウス)があり、そこでシャワーを浴びていた。
・女性と会っていたが、誰かに盗人野郎と言われて慌てて外へ飛び出した。実はそれが罠だった。
・覚せい剤を打ちながら全裸になり(→解放されたかったことの表現?)興奮状態のまま外へ飛び出した。擦り傷は、興奮を高めようとして自分でつけた。まだ部屋の中にいた尾崎氏を見かねた叔父がもうやめろ、といって右目の上を殴った。その時「もう出て行け」と言われて外へ出た。
尾崎氏は、実は育ての父親の実子ではなく、尾崎氏が死亡する4ヶ月前に母親が死亡し、父親にとって手に負えない他人の子同然になっていたと思われる。
実の父親はラムズフェルドで、防衛庁とはかなり関係のある人物だった。尾崎氏の曲の中にアメリカをイメージさせる「米軍キャンプ」や「ドーナツショップ」などの単語が度々登場しているのそのせいであると思われる。育ての親が防衛庁の職員だったことで、よけいに周りからの雑音がうるさかったに違いない。
本人にしてみれば、母親の死のショックもあり、覚せい剤のことで警察から追い詰められていたし、体のポロボロだった。周囲の人々も半ば見放していた状況だった。家族の人はもう尾崎にはいなくなってもらいたいと思っていて、尾崎氏の死因に限りなく近いことを半死状態の彼に示唆していたことも考えられる。そして本人もうすうすそれに感づいていた。
尾崎氏の遺体には殴られた跡や傷などがついていた、ということだが、もしそうならば、警察の発表とは少し違うことになる。
考えられることは、覚せい剤のルートを暴かれそうになった暴力団が、お前のせいだなどと言い、尾崎氏にリンチを加えた可能性がある。
尾崎氏の妻は、大阪の暴力団と知り合いか身内で、このルートを使用して覚せい剤を入手していた可能性がある。
この暴力団は水心会で山口組系暴力団Y組である。妻はオウム信者でもあった。
暴力団対策法が施行され、摘発されそうになった暴力団が河原町の民家で尾崎氏と話をし、言い合いか喧嘩にでもなり最後にリンチに至った。殴られた跡や傷はその際にできたものだった。近くの川で水責めをしたために、足がむくんでいたというのは、その時のものだった、ということも考えられる。肺水腫とは、肺に水がたまる急性の病気だが、水責めに遭い、川の水を飲まされその時に肺に水が入り込んだ可能性もある。
大阪のY組は、タレントなどに知り合いや身内がいて、金になるタレントなどに覚せい剤を売買していた可能性がある。尾崎が覚せい剤をやっていたことはみんなが知っていたことだし、警察から追い詰められて、金にならなくなりそうだと感づいた暴力団が、尾崎氏をお払い箱にしたことが考えられる。
入手先の外国はキューバで、組員にキューバの知り合いがいる。
東京・晴海や青海の倉庫街近くに、船(長崎?)が停泊する。
彼らは芸能人や若者などに覚せい剤を売り、いわゆる「シャブ漬け」の廃人同様にし、要がなくなったら殺すということをしている覚せい剤のバイヤーである。
妻は、尾崎氏の死後、他の芸能人とも結婚していて、その人物も1999年頃死亡している。
尾崎氏の妻の実家には、シンガーソングライターHもいて、死の前に尾崎氏がHと同じ事務所に移った時から、尾崎氏の運命が決まってしまっていた、といえる。
尾崎豊は実際にはまだ生きている。今もFという名前でシンガーソングライターをしている。