宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件-6 Hの宮の父はオマル師  それが天皇にバレると困る

 
 Hの宮の実の父親は、オマル師であるという。
 オマル師は、見かけは40歳代に見えるが、昔から知っている人が年配者であることから、70~80歳ぐらいであろうと思われる。
 盲目のため、他人の口座を作り、ストーカーのしすぎで、その人の目に見える物がオマル師にも見えるという特異な体質である。
 シンガーソングライターHで、大塚と呼ばれる人物である。
 山口組のY健組という暴力団の一員で、死亡したとされるYという人物の息子か同一人物であると思われる。

 皇族が死亡したといわれるだんじり祭りの地域を仕切る暴力団で、Hの宮のために、殺害されている皇族がいると思われる。

 現在は、菊地直子と一緒に住んでいる。

  
 ところで、オマル師の父親のような人物がいて、その人物の名前はヒラドという。ヒラドには息子が多くいて、サイフ・アル・アデルやアル・ムガシルなど、タリバンの指名手配犯も彼の息子である。
 オサマ・ビン・ラディン師なども彼と親交があり、サイフとは小学校の同級生だったという。 

 Hの宮の父親がオマル師で、オマル師を少年時代に手なずけていたのがヒラド氏で、タリバンのメンバーはその息子たちだった。
 タリバンのメンバーは、ローマカトリック教会の信者たちで、ヒラドは、教会の神父か司祭だった。そこで、タリバンのメンバーはヒラドをお父さんと呼んでいた。
 オマル師は、少年時代から数々の未解決事件を起こし、広島では有名な札付きだった。それは、タリバンのメンバーも黙ってしまうほどだったに違いなく、彼と張り合うのを避ける者もいた。
 これが、オマル師がタリバンの指導者と呼ばれたはじまりである。

 司祭は反米主義だった。これがアメリカにテロが起きていた理由である。

 オマル師はタリバンの指導者であり、タリバンとは、皇族のHの宮の父に一目置く者たちで、タリバンとはHの宮が天皇になるためのテロ活動をする組織である可能性がある。

 Hの宮のすりかえがバレては困るし、安保条約を拒否してまでも天皇になりたかったHの宮と父親は、タリバンによるテロをアメリカに行っていた。
 2001年のテロは、Hの宮もいい年になり、天皇に即位してもおかしくない
時期だったことで、世界支配を念頭においたテロを実行した。
 それがニューヨークとペンタゴンの同時テロ事件である。

 テロが起きた日は、9月11日で、皇室の次男Aの宮に罪をなすりつけるつもりだったが、どのように転ぶかわからないので、どちらか天皇になっても恨みッ子なしだ、といわれた。


 ヒラドは、アメリカのマイヤーズ・マフィアというマフィアのドンで反米主義だった。
 

 Hの宮が生まれたのは、1960年2月である。母親の皇后と天皇の成婚は、その後の6月11日である。樺美智子が死亡したのは6月15日である。
 
 実は、日米安保条約を反対する勢力の誰かが、皇后が樺美智子だと知らず、すりかえていたという。
 すりかえをしていたのは、アメリカと日本が同盟を結ばれると困る誰かである。ソ連人のI知事があやしい。他にも、赤軍派など協力者がいた可能性もある。樺美智子が国会前の紛争にいたこと自体、そのことに端を発している可能性もある。

 江東区の女は、2003年頃、亀のつく公園か神社で皇后らしき女性をヒラド氏と共に殺した、という。
 

 江東区の女とオマル師が皇后と思われる女性を殺した、というのは、
子供をすりかえていたので皇后が邪魔だった、という点で共犯が成り立つ。
しかし、オマル師と皇后の間の子であると、オマル師が何故皇后を殺すのか理由がわからない。
 天皇と皇后の不幸な死、しかも、リンチに近い殺害方法は、よっぽどのことでもない限り、起きないと思われる。しかも、二人の死の原因が、Hの宮の関係者である点も大きな疑問である。
 Hの宮は、二人の死後も、その責任を自分で取らずに他人になすりつけている。親が不幸な死に方をしたのに、自分を責めることもせず、当然のような顔をしている。
 この場合、亡くなった二人はHの宮の親ではないのではないだろうか、と疑いが出てくる。

 Hの宮がすりかえられてから、皇族は気ちがい沙汰だったに違いない。
 
 子供をすりかえた可能性のある人物にI知事がいて、彼はよど号事件を皇族らに示唆し、旅客機まで用意している。よど号事件の前に起きた3億円事件は、よど号事件の資金のためのものではないかという疑いがある。当時、HTの宮の関係者の口座に2億9千万円の金が振り込まれている。HTの宮はI知事と親しくしている。
 I知事は、京都に自宅か別宅があり、王室などのすりかえた子供を育てる家だ、といわれていたこともある。