宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ③-10   江崎グリコ森永事件のつづき

 

  犯人はタリバン

 

 江崎グリコ森永事件が起きる5年前に、東京文京区の江崎さんという家の当時8才位の娘さんが、拉致されている。当初、事件の起きる直前であると思われていたが、5年前のことだったようだ。

 この8才位の娘さんのお父さんをしていた人物は、江崎社長と同一人物であると思われる。

 1979年か78年頃のある夜、江崎さんの娘さんのお母さんが、隣の家に「娘がいなくなった、返してくれ」と意味不明なことを言い泣き叫んでいた。

 隣の家の人は「なんでうちに言うんだ?」と思ったがあやして帰ってもらうしか方法がなかったようだ。

 お父さんの姿も見えず、お母さんだけがお隣の家に言いに来ていたが、娘さんとお父さんの両方がいなくなったのだろうか。

 江崎さんは、この出来事の直後に別の場所へ引っ越していった。

 この件から5~6年後に、グリコ森永事件が起きることになる。

 グリコ森永事件の発端は、お風呂に入っていた江崎社長と10才位の娘が拉致され、大阪の川の近くの小屋に監禁されたことからである。

 江崎社長は自力で逃げだしたというが、その後、食品会社の商品に青酸を混入したという脅迫状が届き、犯人グループは多額の金を要求した。

 江崎さんの娘はおかっぱの髪型で、年齢も近いことから、拉致された娘は紀の宮である可能性がある。

 この事件の主な目的は、紀の宮を殺害することと、皇太子妃М子に圧力をかけることだった説がある。

 紀の宮を殺害したのは、1979年か78年3月14日で、ホワイトデーを習慣づけようとしたことがムカつくからであるという可能性もあり、

この事件の目的として

①女の皇族がムカつく

➁皇太子妃に圧力をかける

③ホワイトデーの習慣(バレンタインデーのお返しに男性から女性にお菓子を贈る)が

ムカつく

と犯人らの思想があると思われることから、この事件の犯人グループは、タリバンである可能性がある。

 タリバンは「1984年に突如として現れた」ということなので、事件が起きた年・1984年とも一致している。また、日航ジャンボ機墜落事故が起きた日に、犯人グループが終結宣言をしていることから、同じ犯人による新しい犯行が起こり、古い事件で何か失敗して捕まるのが嫌だったので終結宣言を出し、とりあえず新たに起こした事件に集中しようということだったのかも知れない。

 この事件で、安倍晋三と昭惠が交際している所が発覚しているが、安倍晋三タリバンのメンバーであり、昭惠は皇太子妃М子と同一人物であることから、森永が頼む形で安倍晋三との交際がスタートしたとも考えられる。

 また、この事件の直後に、山口組の会長が変更され、新しい会長となったが、5~6年前に江崎さんのお母さんが泣き叫んだお隣さんの家には、竹中正久似の人物がおり、さらに竹中の会長期間がとても短いことから、竹中を嵌めようとした新体制(渡辺芳則新体制)が竹中が会長に就任するのを待って、5~6年前に紀の宮を殺していたことを再現した事件が、84年に起きたグリコ森永事件だったということも考えられる。

 江崎さんの娘は、兵庫県天皇夫妻の家から連れて来られた娘だ、という説があり、この事件に兵庫県警が出てくるのは、そのためかも知れない。

 

 タリバンの犯行は捜査されなかったのか

 

 竹中正久は、会長に就任してから短期間の間に山広組に殺害されているが、竹中正久の本当の性別は女であり、竹中の会長就任期間が短かったのはそのせいである可能性がある。また、竹中を殺害した山広組の山本広は、オウム事件の仮谷拉致事件の仮谷清志と同一人物であり、竹中は山広に殺害されてはいるものの本当には死なずに生き残っていたが、竹中の住んでいた家の人が仮谷拉致事件の犠牲のように使われている。竹中自体は仮谷拉致事件に関係はないが、菊地直子で河村Y子という女を1980年代に一時的に愛人にしていたことがあった。

 また、山本広は、タリバンの最高幹部だったアブドゥール・オマル師(アラー)と同一人物であり、この事件で、当時の皇太子妃М子が経営する企業に脅迫で圧力をかけ、幼い頃に拉致されていた紀の宮を殺害し、さらに、女性で山口組の会長となった竹中正久を陥れ殺害することにより、タリバンというテロ組織を日本で台頭させた最初の事件がグリコ事件だったと考えられる(山口組の田岡一雄の妻は一時会長代理のような扱いになっていたが会長職には就いていなかった)。

 また、キツネ目の男らの犯人グループが出した脅迫状に時折みられる、警察をののしるような文言(腰抜けの警察諸君へ、知っているのに知らないふり等)は、女性の為になる捜査はなるべく真面目にやらないようにしようという警察の姿勢を皮肉ったものであると考えられ、この事件がいつまでも未解決なのは、そういった警察の内部の腐敗も関係しているように思える。 

 

 その後政治のイスラム化が進んだ

 

 グリコ事件、123便ジャンボ機墜落事故の後から、「地の底を這うような低い男の声」が国会を支配するようになった。何か決めようとすると待ったがかかったり、議員に命令、指示等をする声がした。当時、この声の主は、創価学会池田大作氏の声ではないかと思われたが、オウム事件の後からは麻原彰晃であるという認識が広まった。この声の主は、中曽根元首相(ムハンマドイスラム教の創立者)であるとも考えられているが、中曽根元首相の辞任後も続いていた。

 中曽根内閣では、国鉄やNTTの分割民営化や、プラザ合意により円高ドル安政策が進められたが、これにより、一気に日本のイスラム化やテロの介入が暗躍した。

 ちなみに、池田大作氏がオウム事件の関連で国会証人喚問をされそうになったのは、この声の主が、池田大作麻原彰晃で両人が同一人物ではないかと考えられたからである。