宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件-43    Hの宮は多摩の病院で生まれた?


 宏池会といえば台湾との関係が深い政治家の派閥である。
 岸元首相、F元首相、A元首相、A首相なども宏池会である。
 長銀が破綻した1998年には、宏池会のM元首相が大蔵大臣に就任していたが、当時から長銀のことは問題になっていた。

 しかし、S生銀行がロスチャイルド銀行かどうかはわからないが、Mほ銀行(帝銀)が、創設の過程でロスチャイルドに関連している(石井四郎や東条が帝銀事件を起こしている)。

 銀行に代表される1996年頃からの日本企業の経済破綻の原因は、Hの宮のオウムとのかかわりに端を発している。しかし、そのHの宮を裏で支援していたのは、A首相らのロスチャイルドであると思われる。 
 これは、Hの宮の命令を全部聞く代わりに、日本のものを犠牲にする、という契約のようなものであり、Hの宮は、その責任を取ろうとするかけらもなく、当然のように、他人になすりつければいい、と思っている。
 彼らは、自分の親族の言う通りに命令を実行し、日本の崩壊を企んでいる。

 Hの宮の言う通りにすると、日本のものは崩壊していく。しかし、一部の政治家の間では、Hの宮が実はそういう性質であることを信じられずに、他の人をHの宮の親族であるかのように見せかけ、テロリストのものと日本のものとをごっちゃにしている。
 その政治手法が大きな間違いである。
 Hの宮はHの宮であり、誰とも同じではないし、親族でないものは親族ではない。

 Hの宮は、自分の正体がバレるのを怖れて、政治家にHの宮の関係者であるといわれていた人々への取り締まりを命令している。
 日本の微々たるものをかばわせられながら取り締まりを受けつづけねばならない人たちが在日日本人である。


  在日日本人だけが敗戦する 何故役所は何もしないのか

 何故、そのようにさせられるかというと、アメリカから最終的に日本人が負けていることを敗戦だと主張され、在日日本人だけが苦しい思いをしなければならないが、それを役所が知らん顔をしていて、日本人への取り締まりをやめないからである。それを、日本の役所のなすりつけと呼ぶ。
 その時に、日本の行政は何故大丈夫でいられるのか、ということで、役所への批判が出る。





 Hの宮の出生に関して情報がある。
 今のHの宮を生んだかも知れない女性が、1960年頃、東京・京王多摩にある病院で男の子を出産したという。
 この時、父親がわからず、母親だけ退院し、子供は置き去りにしている。
 後から父親と思しき男が病院に来て、Hの宮を引き取り、置き去りにした母親への恨みも込めて「王様にしてやる」と思ったという。
 この女は、当時20歳位で、父親の方も20~30歳位であった。
 病院のあった場所は、20年位前に、多摩ニュータウンという振興住宅地に整備された。
 多摩ニュータウンになる前に、その地域で産婦人科のあった病院か産婦人科医院である。

 父親は、オマル師であろうか。


 その後、女性が道を歩いている時に、ばったり天皇に出くわしたという。当時は天皇ではなく、皇太子だった。
 そのまま男女関係になり、女性はその後、宮内庁へ出入りするようになった。
 その時期と前後して、皇太子妃は皇太子との結婚に対して、「こんなはずじゃなかった」と不満を持つようになっていた。マリッジブルーに相当する感情のようなものであろうか。そして、子供を産むんじゃなかった、とまで思うようになっていた。
 王様になりたい男の子の母親と、王様の家に生まれながらこんなはずじゃなかったという母親。
 この二人が同じ皇居内にいた。

 1968年頃、女性はある男と結婚したが、宮内庁に出入りをしていた女性は、男の子を抱えて家に帰ってきた。
 どうしよう、と相談し、夫婦は「そうだ、橋の下に捨てて来よう」と思い立ち、橋の下に置き去りにした。

 その後、その子供がどうなったのかはわからない。

 今のHの宮と思われる当時の男の子は、どこから入ってきたのだろう。

 女性が宮内庁に出入りすると同時に、男の子も宮内庁に入ってきた。宮内庁に託児所のような場所があったということだが、小学校はどうしていたのかも不明だ。

 しかし、Hの宮の父母については、いくつかの説がある。この女性が母であるという説の他には

永田洋子
・皇后
・T元外相(1970年のよど号事件ですりかえられた際、新潟に移った)
などがある。