宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件-37 グリコ・森永事件と天皇家 JR労組

  
 もし、本物のHの宮をグリコ・森永事件のどさくさで殺害しているとすると、本物のHの宮を返さないとして、MG製菓はその時から皇族を堂々と名乗ったことが考えられ、MG製菓だけの警察の過剰な警備の理由がわかる。

 1995年頃に、天皇北朝鮮(→赤軍派)の脅威を感じていたのは、Hの宮の本性が現われたことに端を発しているのではないだろうか。
 本物の息子を殺害した、Hの宮と父母の革マル派赤軍派北朝鮮)や山口組北朝鮮と親戚)の圧力に悩まされ、その意味がわからなかったために、もう一人の自分(田宮高麿)が死に、他人になすりつけようとし、冤罪事件が多発した(昭和天皇には見ぬけることが今の天皇では認識にズレがあり、お門違いのところになすりつけられればいいや、と思っているので話がややこしくなる→それか息子の身に何か起こっていることに気づいていないなどの何らかの事件に巻き込まれている)。
 Hの宮の支持者が追われていたのは、そういう者たちが、いつHの宮の本性に気づくかも知れず、それがHの宮には邪魔だった。


 JRの労組

 戦後、GHQにより、日本企業の労組解体が指示された。
 戦犯の罪を逃れた731部隊などの関係者が、罪を逃れる代わりにアメリカの支配下で労組崩壊を企み、謀略活動などを行っていた。
 戦後の未解決事件とされる下山事件はその中のひとつである。
 東条英機(N元首相)、石原莞爾(S学会)、石井四郎(暴力団)などが、その任務にあたっていた。
 JRの前身、国鉄の労組もターゲットになり、その時の過激活動組がJRの労組に残っているとみられる。
 JRの労組に革マル派がいる、といわれているのも、その時の謀略班の部下がいるためである。
 中国の満鉄を作っていた者も731の関係者で、下山総裁の遺体を線路上で轢くのは、列車を運転することができるので簡単なことだった。

 ヒラドこと松崎という人物も、謀略班の部下で革マル派のJR労組の顧問である。
 彼は、牛嶋徳太朗と同一人物かも知れず、ファシストで、天皇の名の元に
日本を独裁主義に導こうとしている。
 その際、他人ではつまらないので、自分の子供を天皇にしたいと思うだろう。
 ヒラド氏の娘は元Nの宮で、母親は、Hの宮と同じ江東区出身の女である可能性もある。やはり、すりかえられているかも知れない。

 福知山線脱線事故

 2005年4月25日午前9時18分頃、JR福知山線塚口猪名寺間で、列車の脱線事故が起こり、100人を超える死者が出た。
 この脱線事故は、事故が起きた当初の報道では、乗用車と列車の衝突と伝えられたが、後になりJR側が置石によるものと示唆し、初めの乗用車と列車の衝突という情報は消えてしまった。
 しかし、列車の先頭に壊れた乗用車が置かれており、乗用車と列車が衝突したことがわかっている。
 しかし、結果的に、運転手のミスが多かったことや、ダイヤに余裕がなくスピードを出していたことなどがいわれ、あやふやな結果となった。
 しかし、乗用車があるのとないのでは大きな差があるのに、誰がいつ、電車の通過する線路上に乗用車を置いたのかは全く捜査されなかった。
 もし、故意に乗用車が置かれたものであるとすると、事故というよりテロである。

 乗用車説が消えた理由として、近くに踏み切りがなかったことが挙げられる。
 事故が起きた現場は、名神高速道路の下の少し先で、反対側の隣には駐車場がある。高速道路から落下させたか、駐車場の車が線路に柵を破って突入したか、は誰でも考えるが、そのような形跡はなかった。
 しかし、現場から2~300m先に電車の車庫がある。
 事故の後の工事車両はいったいどこから入ってきたのだろう。
 その車庫から入ってきたのではないだろうか。事故列車の先頭にあった乗用車も同様に、車庫から入ってきたのではないだろうか。
 
 快速電車が前駅を出発してから、次の電車まで2~4分位。しかし、犯人は前の電車が通過したのを見て、すぐに車を走らせて現場に車を乗り捨て逃走した。
 事故の起きた列車の運転手は、前の列車が、宝塚駅(事故の起きた列車は快速なので、宝塚-伊丹-尼崎に停車するが、前の列車は普通列車)を出発した頃に折り返し運転のため、車両を最後尾から前列に移動しなければならなかったが、3分間位、思いつめたようにずっと座ったままで、その後車掌に何か話しかけられても何も言わず不機嫌だったという。
 これは、今出発した普通列車の後に、いよいよ次は自分の列車だ、など思った際の思いつめではないかと思われる。

 運転手は、始発からオーバーランを3度程していて、振替輸送を想定してか、赤鉛筆を持っていた。事故などが起き、振り替え輸送をする時には、職員が赤ペンで振替輸送と切符に書くことになっている。事故列車の運転手の座席から赤鉛筆が発見されている。