2004年頃、墨田区の堅川第一公園でバラバラ遺体か゜見つかる事件が起きた。遺体はボストンバックに入れられて遺棄されたか持ち出された可能性がある。
この事件の犯人の顔は、麻原彰晃と菊地直子によく似ている。
隣の区の江東区に多数のオウム信者が働いている会社(亀戸道場?)があり、隣は東京都水道局である。
この水道局には大きな煙突があり、頻繁に異臭がすることが確認されている。
遺体の遺棄場所はこのオウム道場の隣にある水道局の煙突の下の土部分であると思われる。
煙突の下には、オウムに殺された人たちなどが多数遺棄されている可能性がある。
この男性は、イラク戦争の暁にはHTの宮が天皇に即位する、といわれていたため、Hの宮の身代わりとして殺害されたHの宮の関係者である。
イラク戦争とは、麻原の肩を持っていたか兄弟か父親のフセイン元大統領が逮捕・処刑されたため、麻原と仲が良くないHTの宮の方から天皇を出すために、Hの宮の方が麻原と菊地によって殺害されたと思われる。
天皇殺人とは
清子と文仁はすりかえられていて、清子は菊地直子で文仁は行方がわかっていない。清子は引き取られた後、文仁はそのまま神社に残り、宮司の息子として育っていたが、1976~80年頃、話を聞きつけ様子を見に来た宮内庁の関係者が殺害された(その後皇居に戻ったか行方不明のままかは不明)。
Hの宮は1968年頃すりかえられている。すりかえられた後、殺された。
結局テレビなどに出ている皇太子や親王、元王女らはニセモノである。
天皇は、息子や娘たちがすりかえられたり、死んだりしているし、娘の清子が菊地直子だったので、死んでいることにしているのかも知れない。
天皇を殺したといっているのは、オウム幹部で、天皇一族が指名手配されるいきさつに顔を出す人物である。そのため、天皇を殺した、という表現をしている可能性もある(気を遣ている)。しかも、今の文仁は、このオウム幹部(演歌歌手M・J事務所の人気グループSのK村は弟)によく似ている。
演歌歌手Mの顔は、天皇に似ている点も気になる。
もしかすると、本当に演歌歌手Mが天皇を殺害し、文仁を殺した演歌歌手Mが文仁をしていて、演歌歌手Mの父親がもともと天皇明仁か、天皇明仁をしている(殺した)のかも知れない。
演歌歌手Mの父親についてはわかっていないことが多い。
しかし、1998年頃、天皇をしているのは、演歌歌手Mの父親であると噂が流れたこともあった。
その場合、文仁もオウム信者で、明仁はオウムの実父ということになる。
演歌歌手Mについて
演歌歌手Mは、デビューから歌謡コーラスグループU山田HとC5のボーカルとして活動していたが、1987年頃、U山田HとC5のボーカルを辞め、ソロとして活動することになった。U山田HとC5のボーカルの後釜は、A城N樹という人物で、この人物は、演歌歌手Mの父親の明仁と確執のあったHTの宮の息子である可能性がある。
もし、これが本当だとすると、演歌歌手Mが天皇を殺したと吹聴していても、捕まらないこと、昔からマスコミに対して圧力がかけられたこと、などの理由がわかってくる。
演歌歌手Mと麻原の大ファンだといわれるM沢Rは、Aの宮の妻で、Aの宮は演歌歌手Mである。
二人が夫婦であるというのは、関係者の中では知られている。
演歌歌手Mは皇后の子ではなく、明仁と演歌歌手Mの母との間に生まれた子で、いってみれば、皇后Mは演歌歌手Mの生みの母親のライバルである。
また、菊地直子は昭和天皇の娘で皇后Mの娘である。
また、平田信もHの宮である。
文仁である演歌歌手Mは、菊地直子やHの宮とはライバル関係にあたる(菊地直子や平田信が指名手配された時は、演歌歌手Mは文仁ではなかった可能性がある)。
松山ホステス殺人事件もオウム事件も、演歌歌手Mが全て内部で事情を知っていて警察に通報し明るみに出た事件である。
自分のライバルたちを指名手配犯にした。
2001年9年11日には、妻の誕生日を利用し自分の即位を狙って、アメリカにテロを起こした。