宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件    天皇陛下殺人事件 80 平田信はHの宮の息子か? オウム逃走犯と皇族

 村下孝蔵氏で麻原彰晃は、熊本県出身で、水俣病の原因とされる水銀が苦手である。
 普通の家庭などで使われている蛍光灯には、水銀が使用されていて、村下孝蔵氏は蛍光灯が苦手である。
 会社で使用されている分には問題がないが、自宅で使用する照明では蛍光灯を使わない時期があったようだ。
 1996年頃、御茶ノ水にある調査会社で働いていたN村という背の高くコンピュータのエンジニアをしていた人物がいて、彼は蛍光灯が苦手だった。この人は、会社関係者からHの宮だと思われていた。
 はじめは麻原の息子であると思われたが、しかし、それは、麻原の蛍光灯嫌いを合わせていただけであることがわかった。
 何故、合わせるかというと、平田信だからではないだろうか。

 2007年頃、Hの宮の宮名が変更された。新しい宮名は、K府の宮である。
 村下孝蔵氏が2005年頃、伊豆高原で働いていた時にK府田と名乗っていた。この宮名とK府田という名前は酷似している。
 村下孝蔵氏の別人格のA元首相の妻と、Hの宮の妻の顔は似ている(悪魔顔)。

 あまりにもHの宮が村下孝蔵氏に似ているのは、Hの宮自体が村下孝蔵の息子ではなく、村下孝蔵本人であるからではないだろうか。
 N村氏とHの宮は身長が違うが、N村と平田とは同じ位で、N村はHの宮ではなく、平田信である。
 N村で平田は、HTの宮の息子で、イラク戦争の暁にはHTの宮が天皇になる、と言われていたその息子である。
 Hの宮で麻原とは最終的に対立することになるので、N村は、それを勘付かれないよう、麻原に蛍光灯嫌いを合わせていたようだ。

 高橋克也は、元金融大臣のT中H蔵に顔が似ている。K政権の目玉だった構造改革は、村下「孝蔵」改革であると噂が流れていた。
 T中H蔵氏は、M元首相に顔の特徴が似ていて、M元首相の可能性がある。M元首相も村下孝蔵氏と同一人物であり、T中氏で高橋克也麻原彰晃であると思われる。
 
 菊地直子・・・昭和天皇の娘の清子→1970年頃皇居から連れられ一般家庭の子として育つ。昭和天皇は今まで四谷3丁目で働いていた。母親は、M皇后。95年頃に一旦逮捕されていたのは、友人でライバルのW島N子の方で、菊地直子という人を麻原と殺害していた女とは別人である。
 平田信・・・・HTの宮(アメリカのR元長官)の息子。若い頃のR元長官に似ている。お笑いコンビT2のA朋Hでもある(HTの宮はお笑いタレントの東H?)。2000年のコンピュータ問題の時、コンピュータプログラマーをしていた。コンピュータに、あらぬ人が疑われるよう呪いをかけた。その結果、オウム逃走犯の冤罪者が多数出た。
 高橋克也・・・演歌歌手M。

 オウムの逃走犯全員が皇族か皇族関係者である。
 Aの宮は、45歳の若さで白髪は不自然である。カツラの可能性があり、K元首相の弟といわれるK泉M也で大内利裕(J事務所の人気グループSのK村も同一人物?)かも知れない。

 オウム逃走犯の冤罪をかけられた者は、たいてい下着泥棒に遭っている。
 下着泥棒は、単に下着好きとかそういう意味ではなく、人間の情操を操ったり、運を落とさせるための手段である。
 葛飾区のパプの店長殺人で逮捕された山口組のI田という人物は、麻原でA元首相の妻に頼まれ、オウム逃走犯の冤罪をかけられた者の家に侵入し、衣類などを度々盗んでいた。

 冤罪は、テレビ局から命令を受けていた

 菊地直子で放送局TBS社のアナウンサーだったA宮T子は、1995年頃、TBS社の社員でありながら、オウム真理教菊地直子であることを、TBS社が隠すため、神保町にある調査会社で働くよう命令していたことがわかった。菊地直子は二重雇用され、調査会社の方が疑われた。その調査会社には、麻原彰晃の息子か本人の別人格が働いていた。しかし、放送局T社が、菊地直子のぬれぎぬを着せるようテレビ局が名指しした人は、オウムとは関係のない、ごく一般のアルバイト社員だった。
 そこで、麻原でH山K夫は、調査会社の社員に、オウムと無関係な人の名前を警察に通報させ、金を払った。
 このようにして、冤罪事件は起きて行った。
 放送局TBS社は、自分の会社のアナウンサーが菊地直子であると知っていて、かばい、その上、別の会社で働く無関係な人にぬれぎぬを着せるように指図したわけだ。
 耐震強度偽装のA歯という人物も、この放送局のアナウンサーの別人格である(ドイツの諜報機関?→菊地直子の実の父親の昭和天皇<ドイツ人>の諜報機関→後に天皇サウジアラビアサウード家であることがわかった→放送局TBSはサウジアラビアサウード家諜報機関であると思われる)。