宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 23-25    仮谷さん拉致事件のつづき

 1970年のよど号事件の際、Nの宮と文京区の女の子が地元のM警察署で迷子になり、すりかえようと思った者がためらったため、もとの家にもどされることになった。しかし、Nの宮を皇居に返すフリをして、自分の家に連れて行き、自分たち夫婦の子として育てようとした。
 しかし、何年か後(1970年代前半)近くに住む菊地直子の手によって殺害された。この家は、オウムの林郁夫である。
 天皇家のNの宮はいなかったが、そのうち別の者が入ってきた。

 天皇殺害に関わっている者には、韓国人が多い。
 高橋克也は、韓国の真露社という軍需企業の社長か役員で韓国の大統領だった人物だし、A前首相(A生元首相)も、韓国の金詠三元大統領である。
 オウムのような反日者はたいてい韓国人か韓国と関係している。


 天皇明仁が死亡した時期について、新たなことがわかった。

 天皇明仁は、1995年2月に仮谷さん拉致事件で仮谷さんとして拉致された後、大内早苗が地下鉄サリン事件の前日に金をもらうまで生きていたという。
 サリン事件が起きたのは、1996年3月のことで、1年間あまり、明仁天皇はオウムに監禁され生きていたことになる。
 そこで、部屋に閉じ込められ、マインドコントロールをされていたらしい。サティアンのにあったマインドコントロール部屋と呼ばれる部屋があったが、おそらくそこが天皇明仁の監禁場所だろう。
 1996年3月に地下鉄サリン事件が起きたが、その前日、大内早苗はK元首相から金を受け取っている。
 K元首相とは高橋克也で、オウムの意思を決める位置にある人物で、麻原がえらいか高橋がえらいか、信者も迷う。
 この金を受け取った前日か直前頃、マインドコントロールされた明仁天皇を殺害していた。
 大内早苗の犯行といわれる、在家信者の母親を殺害した、というのは、明仁天皇のことで、在家信者の母親という人ではなかった。

 また、松本サリン事件の起きた夜、逮捕されると危機を抱いた大内早苗が、皇居を訪れ、男女関係を明仁天皇に迫り、その後、殺害したという説もある。
 松本サリン事件は、1995年6月に起きたが、当時、大内の働いていた調査会社は、1995年7月に御茶ノ水へ引っ越している。
 明仁天皇を殺害した大内は、この頃から厚待遇を受けている。

 オウムによる皇族殺人

 1987年2月 高橋克也高松宮を殺害。
 1995年2月 仮谷さん拉致事件により、明仁天皇を拉致?
 1995年6月 松本サリン事件の当日、大内早苗が明仁天皇を殺害
 1995年11月30日 江東区にあるオウム信者が多数働く会社で、皇族を殺害(Aの宮?)
 1997年7月 麻原や平田信などのオウム信者天皇の代理を殺害し、遺体の一部を食べ、残りをゴミに出す
 1998年頃 林郁夫が香淳皇后を殺害。
 2002年 大内早苗と麻原彰晃とT円宮を殺害
 2006年8月 オウム信者らが皇太子M子の父を上野公園にて殺害
  皇族の妻なども大内早苗が殺害しているものとみられる。
  皇居を警備する警察隊などの監視体制は、どうなっているのか不明。

 仮谷さんが明仁天皇だったとすると、松本サリン事件の時に天皇を殺害することは出来ない。何故なら、その時すでに死んでいたからである。
 逆に、仮谷さんが明仁天皇でない場合には、明仁天皇が死んだのは、1995年6月である。 
 オウムが明仁天皇の体制を敷くという名目のもと、自分たちに逆らう人人々を大量殺害していたのは、松本サリン事件の時に、明仁天皇を殺害していたからである。

 そうすると、仮谷さんは、当初の推測通り、A生元首相ということになる。
 仮谷さんがA生元首相なら、何故指名手配犯が出るのか不明ですある。A生氏は生きているし、天皇家と親戚だが、天皇天皇の兄弟ではない。
 
 目黒公証役場といえば、目黒区民が使用する役場である。オウム信者の中に、目黒区に自宅のある者が高橋克也だった。事件が起きた頃、高橋克也は離婚している。その際、公証役場を訪れたら、離婚しようとしていた妻の父親がいた。
 妻は、T井という女だったが、T橋留美子と同一人物で、菊地直子であったと思われる。
 菊地直子の父で有名なのがA生元首相で、仮谷さんはA生元首相であることが考えられる。