宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ①-305    9.11同時テロ事件のつづき アルカイダ

 アルカイダとは

 アルカイダとは、A生太郎をお父さん(子分)と呼んでいる者たちを指すのではないだろうか。
 それは、A生太郎の芸能活動に関係があり、タレントなどは実の父親ではなく、主義主張の合致した者同士が親子と名乗っていることに関係がある。
 タレントの実父とか実母などは、本当の親ではなく、タレントととしての父親母親を指して父母と呼ぶ。
 たいていの場合は、暴力団の親分と子分である場合が多い。
 A生太郎は、工藤会(外国の場合はまた別のマフィアの呼び名があると思われる)の会長の野村悟という人物で、タリバンの手配人たちは、A生太郎のことをどこかでオヤジやお父さんと呼んでいるはずである。
 

 福岡県のS本Y爾とS本S爾という兄弟がいる。
 S本Y爾はフセインで、S本S爾は、オサマビン・ラディン師か息子のBレア元首相であると思われる。
 もし、Bレア元首相だった場合は、イラク戦争を決めた張本人である。
 イラク戦争を提案したのは、ディビット博士だが、この人物は、A生元首相であると思われる。
 二人の兄弟のうち、どちからが勝つか、といわれており、結局、イラクの大統領とイギリスの首相ではどちらが上かということになったのだろう。
 そこで、9.11の罪を、フセインのせいにしている。

 首謀者のハンブルグ細胞とムハンマド・アタだが、本来は、S本S爾の側であるが(ムハンマド・アタとBレア元首相は、二人とも同じ妻がいる)、
イギリスの方が権力が上だった。
 9.11という日付だが、天皇家のAの宮の妻の誕生日と同じだが、Aの宮夫妻とは、すでにHの宮の世話をしている存在である。つまり、Aの宮夫妻がどのように思っていても、結局はHの宮のためになっている。
 Hの宮とは、ムハンマド・アタという首謀者であり、別名の妻がハンブルグ細胞(ドイツのMルケル首相→父親は、9.11当時、ドイツの首相だったシュレイダ-である)である。Hの宮の妻のM子は、オウム真理教菊地直子であり、Hの宮は麻原彰晃と同一人物である。
 これは、フセイン一人が仲間はずれにされている。

 他は、麻原彰晃(Hの宮)についていて、フセイン(Aの宮)が悪者になっている。
 
 皇太子M子の娘の父親は、Bレア首相で、S本S爾(I原S太郎の息子のH山Y紀夫で)ある。
 I原S太郎は、オサマビン・ラディン師である。
 
 ムハンマド・アタとは、エジプト人留学生ということだが、エジプトの大統領(A生元首相?)の息子ぐらいの地位にある者であると思われる。しかし、スイスやドイツの留学生でもあったらしく、留学生を点々としているような人物であると思われる。
 
 ドイツ以外、A生元首相の子供たちである。
 逆に言えば、A生元首相とドイツとHの宮(オウム真理教でSGI→Hの宮は、麻原と同時にI田D作である)が首謀者であるといえる。
 
 9.11の首謀者

 ・アルカイダエジプト人のA生元首相の子供たち(ハンブルグ細胞もムハンマド・アタもA生元首相をどこかで父と呼んでいる)※
 ・ハンブルグ細胞→ドイツのシュレイダ-首相とMルケル首相親子
 ・ムハンマド・アタ→Hの宮
 ・オサマビン・ラディン師→A生元首相をオヤジと呼んでいる演歌歌手
 ・フセインムハンマド・アーテフでタリバンの軍事部。A生元首相をオヤジと呼んでいる暴力団(いろんな人に逆らうクセがあるため、一人だけ仲間はずれにされて罪をなすりつけられイラク戦争が起きた)
 ・H山Y紀夫→CIAのウィルソン氏。アメリカのマコ-マック議員で、
9.11のシナリオを書いたタリバンの企画部。ハンブルグ細胞の「婿養子」的存在。

 ※A生元首相は、ザ・DリフターズのK藤茶と同一人物で、この人物がエジプトの大統領か同等の権力者。ムハンマド・アタは、その息子のY本高広というタレント(しかし、中身は麻原彰晃の変装)。ハンブルグ細胞は、Y本高広と夫婦か同居していた。麻原の別名者の何人かとも婚姻関係がある。

 オウムが日本ではびこったた理由が、イスラエル諜報機関に警察が握られていたためだ。
 オウムの首謀者であるといえる大内早苗(麻原彰晃の妻で渡辺芳則の娘)
がドイツ人で、サリンはドイツで開発された。警視庁のMという警察署は、
モサドであるが、初動捜査に大内早苗を優遇していた。
 オウムの指名手配を作ったのもこの警察署であるが、始めから逃走犯を、逃走させることにより力むを与えることを目的として指名手配を作成したとしか思えない。
 ユダヤ人とドイツの関係は今でも続いており、だいたいイスラエルが世界政治を支配しようとすること自体、ドイツに有利にはたらいている。

 ドイツがここまで強い立場であるのは、ユダヤ人を利用しているからである。