Hの宮の妃候補
Hの宮の妃候補は、O和田M子さんが菊池直子に間違えられたと同様、菊池直子の疑いをかけられ、イラクのフセインとオサマビン・ラディン師の意思により、フランスで拉致され、イラクに運ばれた後、イラクの列車で手足を轢かれ、「だるま女」にさせられ、中国の見世物小屋に運ばれた。
そこで見世物にされ、殺害されているものと思われる。
これには、本物の菊池直子で今の皇太子妃M子も関わっている。
警察が逃走犯の逮捕をしぶると、このような事態になることが考えられる。
逃走犯らは、日本の政治の根幹を覆そうとしている者たちらである。
Hの宮は、T中角栄元首相と同一人物であり、日中国交正常化の締結をした当時の首相である。
中国とフランスには共通点がある。
中国の国家首席のO家宝やフランスの大統領のSルコジが、フセインと同一人物である。日本ではK元首相がフセインと同一人物であるが、中国やフランスにはこのような被害はない。
フセインは、日本人だけにこのような外国で拉致させ殺させるというような手法を使っており、それは、Hの宮とフセインが仲が良くないことに原因のひとつとなっている。
フセインはAの宮の一族であり、Hの宮ては天皇の座を争っている関係であるが、フセインは、第二次大戦の時、天皇の息子をすりかえていた可能性のある蒋介石の一味でもある。
明仁天皇と常陸の宮の争いの時も、蒋介石の息子の常陸の宮側は、明仁天皇にこのようなことをしていたと思われるが、結果的に明仁天皇の方を天皇に選んでいる。そこで、蒋介石一族は、今度はHの宮を陥れようと、Hの宮の関係者や支援する人をテロで狙っていた。
日米安保条約を締結した岸信介元首相もオウムに殺害されており、日本と外国の条約締結者が死んだり、関係者が被害に遭っている。
Aの宮がオウム信者でオサマビン・ラディン師であること、Aの宮の一族がタリバン幹部であることと無関係ではない。
M子さんはHの宮の妃になった時から不幸が始まっていた
M子さんとHの宮が結婚したのは、1993年6月である。
実は天皇家の皇族は、Aの宮紀子にオウムに誘われ、M子さんがHの宮と結婚した頃には、皇族(家族)はM子さん以外はほとんどオウム信者だった。
皇居内でも嫁イビリがあり、オウム信者ではないM子さんは理不尽な扱いを受けていた。
1995年3月に、M子さんの祖母であると思われる女性が、松本サリン事件の被害に遭い、サリンを吸引し植物状態となった。これは、松本市に麻原の別名のタレントが住んでいて、住民といざこざを起こしていたのを、大内早苗が麻原に恩を売りつけようと、住民をいいなりにするために、松本市の麻原の住む住宅の周辺にサリンを撒いた事件である。
しかし、麻原が松本に住んだのは、M子さんの祖母をつけるために住んだというようなことも考えられる。
そして、M子さんの祖母の夫を殺害し、家に入り込んでいたのが上佑(K野氏)である。上佑はこの家に、オウム施設で生成したサリンを持ち込み、サリンを持ち込んだ住宅として使ったのだ。
翌年には、M子さんが上佑と出会い、殺害された。
結婚からわずか3年だったが、M子さんは、祖母が被害に遭う頃には、すでにオウムばかりの人間関係がいやになっていた。
もちろん、Hの宮もオウム信者なので、相談してもM子さんの納得するようにはいかなかっただろう。
M子さんの一家を、M子さんが幼い時に殺害していたのは、Hの宮であり、Hの宮は、一家を殺害したM子さんを妃に選んだ。
これは、オウムの生け贄とするためだった可能性もある。
妃候補は何故「だるま女」にされたか
M子さんの友人か、妃候補だった女性たちが、イラクの列車で手足を轢かれ、「だるま女」にされ中国の見世物小屋に売り飛ばされているというが、
妃候補は何故、だるま女にされたのだろう。
妃選びレースに勝っていたのは、M子さんである。いってみれば、妃乞候補の中で一番の存在がM子さんである。
M子さんは水死させられたが、妃候補だった女性たちはだるまにされたのだろうか。
普通に考えれば、一番上の人がされたことを後に続く者が同じことをされていたのではないか、ということになる。その場合、M子さんも妃候補だった女性たちのように、手足を切断されていたのではないか、という推測が出て来る。
もし、M子さんの遺体が、数カ所に遺棄されていたのだとすると、バラバラにされていた可能性がある。
一つは葛西の海などに、別の一つは水族園の水槽の中に、もう一つは豊洲という具合である。
オウムが遺体をバラバラにするのに使用している施設がある。
それは、江東区の越中島と江戸川区の新小岩を結ぶ、越中島貨物線である。