岸首相で皇太子明仁の結婚相手は、日清の令嬢から、宮内庁がどうしても反対だと主張していた女(アメリカのスパイ?)に変更させられた。
これがアメリカの謀略であるとしたら、新安保条約締結は、アメリカの謀略活動によって結ばれたといえる。しかも、明仁天皇が結婚したかった人を殺害したという謀略である。
そして、この結婚から35年経った1995年11月に、皇后M子と同一人物者の菊地直子らオウムは、仮谷拉致事件の仮谷氏と間違えて(わざと)、明仁天皇を殺害している。そして、この事件が暴かれる前に、天皇死亡により即位が近くなったHの宮を陥れるために、Hの宮の親族者を次々と罠にかけ、殺害していたのである。
その方法は、菊地直子や平田信や高橋克也に間違えさせる方法で、たいして似てもいない、身長が違う、などの特徴の違いがありながら、天皇を殺害した、ということで、一部主張がまかり通るようになっていた。さらに、同じ頃、長銀の破綻などがあり、日本の経済は、アメリカの経済CIAにより、めちゃくちゃな状況(長銀の幹部を暗殺するなど)となった。
現天皇を殺害し、次に即位するはずの皇太子を罠にかける、この行動のどこが夫婦関係なのだろうか。
皇太子妃M子の顔と、母親のY美子さんの顔はそっくりである。
M子の二人の妹の三女の顔が菊地直子に似ている。
皇太子妃M子と母親のY美子さんが同一人物だとすると、菊地直子に似ている三女は皇太子妃M子の娘である。
しかし、母親と一緒に写っている写真ではなく、姉妹三人が写っている写真であるので、母親のY美子さんが三女のR子さんに扮装していて、後に姉のM子さんを殺害していたとしたら、ちょっと変わった家族ではあるが、三女と皇太子妃M子は同一人物である。
O和田M子という人物は、確かに存在していたが、婚約が決まった頃か、菊地直子が指名手配された頃に母親(菊地直子)に殺害されて、母親の方が皇太子の妻になったとしたら、逮捕されないために娘を殺害して皇太子妃になりすました、と考えられる。
1997年頃、フランス大使館で死亡した女性は、本物のO和田M子さんで、
殺害されずに生き残っていたが、菊地直子に間違えられ、ニセの皇太子妃の命令で殺害されたのかも知れない。
O和田M子さんの姉妹は、双子もいるはずなのにちっとも似ていないのも気になる点である。
ワスプ
ワスプの病院は、日本人の普通の生活を呪うために、病院に通院したりする人の血液情報を入手し、北朝鮮の統一教会に送られる。
このワスプの病院の幹部が、Hの宮と同一人物のI田D作であるが、何故、平田信やオウムの言う通りにするのだろうか。
平田信との対決でHの宮が負けでもしたのだろうか。
あるいは、Hの宮の親族者を殺害していたのが平田信だったのだろうか。
菊地直子は、演歌歌手M(高橋克也でフセイン)との離婚により、その助けを平田信に求めたという。平田信はチャールズ皇太子と同一人物であり、妻のKミラは菊地と同一人物であると思われる。
日本とイギリスの関係でイギリスの地位を利用してのことだろうか。
Hの宮は、イギリスに脅されてワスプの人身売買を仲介しているということなのだろうか。
もし、そうであるとすると、米英の天皇家への謀略であるし、日本国民への謀略であると考えられる。
オウム事件が起きる直前に、日本は何か犯罪をしたのだろうか。
1990年にアメリカにタリバンのテロが起きた。首謀者はAの宮と同一人物のオサマビン・ラディン師である。
だったら、Aの宮にこのような謀略をすべきではないのだろうか。
アメリカとイギリスは、Aの宮の犯罪をHの宮になすりつけているのである。
このことは、オサマビン・ラディン師とアメリカが共謀していたいい証拠であると思われる。
アメリカが肩を持つのは、テロリストの方であり、明かに日本の自由を奪っているものである。
アメリカの資本主義とセットになっている自由主義という思想は全くの嘘っぱちであるといえる。
ワスプとは、アングロサクソン系プロテスタントのキリスト教徒のことをいうが、他に、アメリカの海軍の伝統の艦名でもうる。アメリカ独立戦争の時にも使用された。
1942年9月に、日本の潜水艦伊-19の魚雷に被雷し、大火災の後に自沈処分によって沈没している。
このワスプは、マサチューセッツ州クインシーのフロント・リバー造船所で起工された。
このフロント・リバーには、W・ブッシュ(平田信)の家がある。フロント・リバーを直訳すると、日本人の苗字になり、この苗字の人物とW・ブッシュがワスプに関係している。
フロント・リバー造船所の所長が、直訳した苗字を日本で名乗っていて、
このワスプを被雷した日本人へ復讐していると考えられる。