大量破壊兵器による地震の起こし方 原発の非常停止ボタン
日本各地に埋められている小型核兵器爆弾による地震の起こし方は、ソ連のチェルノブイリ原発事故と同じ方法である。
福島県の福島第一原発の非常停止ボタンの上に透明のカバーがついているが、非常時の場合、このカバーを破ってボタンを押す。
テロリストは、地震の起きる前に、この非常停止ボタンのカバーを破った。
非常停止ボタンのカバーが破られることにより、非常事態の前段階状態を作ったのだ。
福島第一原発が、これを発見し、運転を停止したことにより、他の東北の発電所も原発の運転を停止した。そのために、異変を感じた住民に不安が広がり、集団不安のために大地震が発生した。
そして、これまでの日本各地の地震も、各地にある原発の発電所の非常停止ボタンのカバーを破ったことにより、地震が発生したのだ。
犯人はオサマビン・ラディン師(I原S太郎)とフセイン(K泉J一郎)らタリバンでオウムである。
二人は、チェルノブイリ原発事故の犯人でもある。
チェルノブイリの事故の時、女がいたといわれる。その女は、菊池直子で、3月11日の大地震の前に、非常ボタンのカバーを破ったのは、菊池直子(ドイツのMルケル首相)である可能性もある。
二人は、タリバンであると同時にオウム真理教でもあり、仲間で首謀者の上佑史裕が1週間前に起こしたと思われる異臭事件と、松本サリン事件の上佑と同一人物のK野義行の犯行が暴かれそうになったためであると考えられる。
東電とI原S太郎
I原S太郎は、原発所の職員に、金を渡している。自分の命令を聞くことによる報酬である。
これは何のためだろう。
各地の原発会社にI原が金を渡すのは、いつでも地震が起こせるように、ということではないのだろうか。
I原S太郎は、地震の起きた頃、都庁で次の都知事選に出馬すると発表しようとしていた時だったという。地震が起きたのが14時46分、記者会見は15
時からである。
しかし、その時間に福島にいなくても、非常停止ボタンのカバーを破って帰って来ることは出来る。
職員がカバーが破られていることを発見した時間に例え東京にいたとしてもである。
前日の3月10日にすでに停電と地震が起きていた
大地震が起きる前日の3月10日の午前3時16分に、東北地方に震度3の地震が発生している。さらに、同じ日には、宮城県で約2640戸が停電している。
3月10日に東北地方では雪が降っていて、ビニールハウスなどが倒壊していたという。
非常停止ボタンを触ったのは、3月10日の午前3時16分より前だろうか。
I原S太郎は、3月11日の地震が起きた頃には東京にいたが、前日にはいたかどうかはわかっていない。
福島まで飛行機で1時間弱。現地まで行くのに1時間かかったとしても2時間で行ける。
さらに、ヘリコプターを使えば、1時間で東京-福島まで行ける。
秘書をしている上佑も、3月10日の夜から3月11日の夕方までは、どこにいたかわかっていない。
ヘリコプターを使用したとすると、自家用ヘリを所有しているオウムの大内利裕(A生元首相)がいる。
もし、何者かが3月9日夜~3月10日の夜中に発電所まで行った場合、隣の学校にそれを見られた可能性もある。
しかし、犯人は、作業服を着ていたので、不審者だとは思わなかった。
菊池直子
ソ連のチェルノブイリ原発事故の時、菊池直子が非常停止ボタンのカバーを破った(非常ボタンを押したのかも知れない)。
3月11日に起きた東北太平洋大地震の前に、福島第一原発の非常停止ボタンのカバーを破り、発電所や住民に不安連鎖を起こさせたのは、菊池直子であると思われる。菊池直子は、ドイツのMルケル首相と同一人物である。
東北太平洋大地震の大量破壊兵器のボタンを押したも同然なのは、菊池直子であると思われる。
菊池直子は、オウムの幹部でもあるが、同じオウムの幹部の大内早苗と統一人物であり、福島第一原発のある福島県双葉郡は、大内早苗の実家があった。1970年代に大内利裕と共に一家殺人をした。