宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-338 仮谷さん拉致事件 昭和64年に死んだのは コンクリートと遺体遺棄

 昭和天皇明仁天皇 昭和64年に死んだのは本当に昭和天皇か 

 1989年1月7日に死去したのは、本当は昭和天皇ではなく、明仁天皇だとしたら、どうなのだろう。
 常陸の宮は、天皇の座を狙っていて、明仁皇太子と確執があった。
 昭和天皇が死去した時期に、正田美智子の母の富美子さんが死亡したことになっている。これは、何かの事件により、身内が死亡したことを受けてのものだとして、そこで何故明仁皇太子が死去するのだろう。
 富美子さんと明仁皇太子の間に子がいた場合、子が変死をした場合、親も狙われる場合が多い。
 例えば、女子高生コンクリート殺人事件の被害者が、明仁皇太子と正田富美子さんの子だとすると、父親が死亡する要因としては大きな理由になる。
 女子高生コンクリート殺人事件がもし、常陸の宮一派の確執の事件だとすると、明仁皇太子は、このことで負けたことになり、死去してしまった。
 常陸の宮はO野田セメント側で、明仁秩父セメント側だとすると、O野田に殺害されたのが秩父セメントということになる。
 この場合、秩父宮明仁は、何らかの血縁関係があることになるが、明仁昭和天皇の息子だが、本当の父親は秩父宮かも知れない。
 そのようなことで、常陸の宮が明仁として即位し、常陸の宮に扮したのが、現在常陸の宮をしているHの宮と同一人物者である。
 孫と息子をコンクリ事件で失ったのが、仮谷氏で秩父宮ということになり、この人物は、A生太郎と同一人物だが、仮谷拉致事件の死後、井上嘉浩がA生太郎となった。
 昭和天皇明仁皇太子が引退し死亡したことにより、戦後経済が不要となっか、常陸の宮の時代を作るために改革させられた、ということだ。
 
 仮谷氏もコンクリートに詰められて遺棄された?

 女子高生コンクリ殺人事件の被害者が、秩父セメントの仮谷氏の一族の女子高生だったとして、被害者の女子高生は、コンクリの中に埋められて海に遺棄された。
 1994年に死亡したと思われる仮谷氏も、同様の要領で遺体を遺棄された可能性もある。
 明石海峡大橋の淡路島側の橋のたもとに、松帆の浦原発所という原発所がある。
 原発は、廃炉になると、原子炉に水を流して冷却し、その後にコンクリートを流して固めて遺棄する。この過程で、コンクリを流す段階で、人の遺体を一緒に入れて上からコンクリで固めてしまえば、遺体は永久に見つからない場合もある。
 核廃棄物処理場というところがあり、関東では、埼玉県大宮市天沼町というところに、核廃棄物の埋立地がある。
 女子高生は若洲の海に遺棄されたが、ドラム缶に詰めたコンクリートは、橋の材料にも使えそうである。仮谷氏を詰めたコンクリートの円柱は、明石海峡大橋の橋の材料に使われた可能性もある。
 原子炉と同じ大きさのコンクリ材の柱が、明石海峡大橋にあるかも知れない。
 また、女子高生を遺棄した江東区若洲の海には、2011年3月11日の直前に、橋の貫通工事が完了している。
 これは、若洲と台場の中央防波堤を結ぶ橋だが、この橋を作るにあたり、
女子高生の親族(仮谷氏の一族で秩父セメントの一族)を殺害してコンクリに詰め、橋に利用していた、ということはないのだろうか。
 このコンクリに詰められた人々は、秩父セメントの従業員や一族らで、T平洋セメントの仕業であるが、若洲は太平洋にある海岸であり、東北太平洋地震と名づけられた3月11日の地震は、廃炉にした原子炉のコンクリートの中に、仮谷氏の一族や仲間などが詰められていて、そのことを誰にも知られていない、として、地震のパワーにしていたことがも考えられる。
 原発所の近くには、橋はないが、海岸沿いにコンクリを使うことはあるだろう。
 テトラポットなどもコンクリートで出来ているし、埋立地などもそうである。
 
 また、仮谷氏の遺体は、福島第一原発の原子炉の中に投げ込まれた可能性もある。