宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-339    仮谷さん拉致事件のつづき

 女子高生コンクリート殺人事件の被害者は誰か

 1988年11月25日~1989年1月4日に起きた女子高生コンクリート監禁殺人事件の被害者は、吉田順子さんという女性だ。
 この女性を調べると、3年前に自殺したというタレントの岡田有希子に顔が似ている。
 岡田有希子は、自殺をしたということだが、岡田有希子の遺体は、岡田有希子には見えず、中年女性のように見える。
 岡田有希子として、自殺したか飛び降りをさせられた替え玉だったのかも知れない。
 岡田有希子の自殺の原因は、俳優のM岸徹との恋愛問題だといわれている。
 女子高生コンクリート殺人事件で、加害者の足立区の少年の自宅には、父母がいたが、この父母や殺害に加わった少年達は、岡田有希子の自殺のせいで迷惑をかけられたとして、3年後に監禁殺人を起こした岡田有希子の関係者たちではないだろうか。
 岡田有希子の顔は、菊池直子と同一人物のM田聖子に似ており、岡田有希子とM田聖子は同一人物とまで言われていた。
 この二人が親子である可能性もあるが、芸能界は、子供が犯した犯罪を親がつぐなうこともよくあるという。
 岡田有希子の自殺のせいで、母親のM田聖子や、M岸徹に迷惑がかかり、二人が犯行現場の足立区の自宅の父母をしていた可能性がある。
 つまり、死んでくれないと、いつまでも自分たちに迷惑がかかるので、そのために、恨みに満ちた犯行となったのだ。
 女子高生コンクリート殺人の母親はM田聖子だとして、父親は誰だったのだろう。

 ところで、女子高生コンクリート殺人が行なわれた殺害当日は、1989年1月4日で、この3日後に、天皇崩御している。
 この時死去した天皇とは、昭和天皇ではなく、明仁天皇の方だとすると、
昭和天皇がまだ生きている説があったり、常陸の宮を別人がしていることなど、明仁天皇が死んだことにより、入替えが行なわれていたことで説明がつく。
 明仁天皇は、娘が凄惨な殺され方をしたことにより、ショックを受けて死亡してしまったか、体調を悪化させ死亡してしまったという可能性はないのだろうか。例えば、岡田有希子が、Nの宮だった場合などである。
 ひとつの手がかりとして、現在、元紀の宮でK田清子をしているのは、同じ事務所に所属するS井法子である。岡田有希子とS井法子は、同じ事務所の先輩と後輩にあたる。
 しかし、S井法子は、赤軍派の奥平房子と同一人物で、紀の宮の年齢とは全く違う。そうすると、本物のNの宮はどうしたのか、という疑問が湧いて来る。S井法子が紀の宮に扮するようになったのは、女子高生コンクリート殺人事件の直後であると考えられる。

 埼玉県や足立区に多いU部セメント

 秩父セメントは、1984年に宇部興産を中心としたセメント共同販売会社のユニオンセメントに参加している。そして、ユニオンセメントは、たったの7年で解散している。解散したのは、1991年7月のことである。女子高生コンクリート殺人事件の起きた2年後である。
 足立区や埼玉県のセメント会社には、U部セメント系が多い。
 少年達が働いていたことがあるセメント会社とは、U部セメント系で、秩父セメントとは、ユニオンセメントでつながっている。
 ユニオンセメントの目的は何だったのだろう。
 例えば、秩父セメントの様子を探る目的で、ライバル会社(O野田)が子会社に依頼して、共同販売を行なうようにさせた、なども考えられる。
 また、秩父セメントのメインバンクは第一勧業銀行である。O野田セメントは三井系であり、A生ニセ太郎が、S価学会で、三井A生と名乗っているのは、三井のA生になった、という意味なのではないのだろうか。