宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-305    仮谷さん拉致事件のつづき

 I原慎太郎が殿と呼ばれていることについて 

 I原慎太郎は、妻のI原典子の男装した者に「殿」と呼ばれている。これは、I原が徳川家康だったことを指して言っているが、徳川家康がI原慎太郎だとすると、キリスト教の弾圧は見せかけで、実は徳川家康キリスト教だったことになる。これは、現在の状況と一致している。
 
 仮谷拉致事件の犯人は村井

 仮谷拉致事件の仮谷氏を殺せ、という命令を麻原は村井秀夫にしていたことがわかった。村井秀夫は、村井刺殺事件で死亡したといわれた幹部で、正体は昭和天皇である。
 従って、仮谷氏は村井ではないようだ。しかも、村井はまだ生きている。
 1995年頃に昭和天皇が殺した人物とは誰だったのだろう。

 例えば、昭和天皇は、次の天皇をH陸の宮にしたいと思った。村井の孫であると思われる早川(H陸の宮)を天皇にするためには、当時の天皇を追い出すか殺す必要があり、当時の明仁天皇が仮谷氏だったことが考えられる。
 仮谷氏の殺人をしていた村井は、現在はアメリカのオバマ大統領である。
 仮谷氏の遺体は、上九のサティアンで焼却し、本栖湖に遺棄したという。

 指名手配犯は、一人を除いて仮谷拉致事件の容疑があり、村井と共に殺したか、殺す意思を持っていたのが、早川と早川の父母、ということになる。
 このうち、菊池直子は麻原であると思われる。

 仮谷氏は、明仁天皇であるなら、明仁皇太子の昔の写真から、A生太郎に似ている。
 昭和天皇とA生太郎は仲が悪かった、というが、本当のことなのかどうかはわからない。しかし、A生太郎は、自分が天皇の息子だが、幼い頃にどこかへ連れられて、ドイツから日本に戻って来た、という昔の記憶があったらしい。
 このA生太郎が、本当の昭和天皇の息子だったが、ニセの昭和天皇の村井が、天皇一族を殺していたので、生き残りのA生太郎が邪魔だった、ということも考えられる。昭和天皇がA生が嫌いだったのは、その後、A生が皇太子としてか家臣としてか天皇家宮内庁に入り込んだことを知らずに、A生がうっとおしい、と思っていたとも考えられる。
 そして、麻原(Hの宮)は、天皇家の財産をA生に持っていかれると困るので、また、自分たちの一族を天皇にしないと苦労が台無しになるので、そのことでA生を殺せと命令したのではないだろうか。
 オウムとは、天皇家がメンバーの、汚いことをする裏部隊といえる。

 1997年7月頃に、「あーヒマだ」と言った瞬間に頭を殴られて死んだのは、A生太郎で、遺体を運ぶ時に浅間神社の浅間茶屋に立ち寄ったのだろう。
 A生は、もともとはオウムのメンバーでルイ・シャルル皇帝だったが、天皇家の問題で死亡したことになる。
 現在A生太郎をしているのは、麻原彰晃ではないかと考えられる。

 御茶ノ水の調査会社で働いていたM田という人物は、A生太郎に似ているといえば似ている。この人物は、顕微鏡店の店員に殺害された、といわれているが、本当にここで殺害されたかどうかはわからない。殺害犯人が店に入って行く姿を見た、ということかも知れない。また、この顕微鏡店のもともとの店主がA生太郎だった可能性もある。
 この顕微鏡店の店主が死亡したのは1997年だ。これは仮谷氏の死亡時期と一致している。
 皇居にいたところを殺害されたともいうが、本当は天皇家御用達か明仁天皇が経営していたH顕微鏡店で殺害されたのかも知れない。
 天皇家は、医療業界と親しいし、医療会社を経営していることもある。だから、仮谷氏が顕微鏡店の店主だったとしても不思議ではない。
 
 また、明仁天皇のニセモノもいて、これが演歌歌手Mだったようだ。
 この人物は、高橋克也の実物である早川紀代秀の家の息子で、早川の別名の渡辺芳則と名前を入れ替えていた人物である。高橋克也の写真は、この人物だが、高橋克也の意思を持っていたのは早川であると考えられる。
 あるいは、このようなことかも知れない。
 1997年6月に兵庫県須磨区で、土師淳君という小学生が殺害された事件が起こった。この小学生の実の父親は、Mであり、その前には娘が殺害されていた。
 殺された子供は、Mと妻が離婚していたので、二人の子供は見放された形になり、親戚の家に預けられていた。
この事件の犯人は麻原であると思われ、Mは、A生太郎を殺すように麻原に言われたも同然となった。
 そこで、Mが殺害に関与した、ということが考えられる。もし、Mが殺害に関与していたら、高橋克也は演歌歌手Mである。早川は、動機となった人物である。あるいは、二人が高橋克也かも知れない。