また、この地域には、自衛隊駐屯地の他、農業試験場、畜産試験場、機動隊センター、消防学校、自治省研修センターなどがある。
農業と畜産といえば、大きな問題が発生している業種である。この試験場というのは、実験試験場のことなのだろうか。
千葉県にも佐倉市という場所があり、千葉県も含めて皇居と呼べる建物は、城ではないかと考えられる。
佐倉城(千葉県)
二本松城(福島県)
会津若松城(福島県)
白河小峰城(福島県)
稲村城(福島県)
などである。
○佐倉城は、明治時代に出た廃城令により、現在は門のみとなっている。
城跡は、草むらか農地となっている。
近くに自衛隊駐屯地があるという。
○福島県の稲村城の城主は二階堂氏という人物で、菊池直子は仮谷拉致事件の頃、二階堂と名乗っていた。
この城は廃城となり、稲公民館の隣に看板があるのみだ。
仮谷氏を殺害するとしたら、稲公民館のあたりだろうか。この公民館がある地名は須賀川といい、須賀川市民病院などがある。
○また、福島市佐倉の自治研修センターという建物で人体実験をしていた説があり、ここもあやしい。
○昭和天皇で仮谷氏の遺体のうち、右腕が福島第一原発所内にあるといわれている。少なくとも犯人は、腕を切断していたことになり、この場合、外よりも屋内であると考えられる。
例えば、清掃が簡単な入浴施設などが考えられる。
桜か佐倉の近くの温水施設とか入浴施設などが殺害現場に近いのではないだろうか。
昭和天皇の右腕とは
仮谷氏で昭和天皇であると思われる人物は(正田英三郎氏にも似ている)、1990年代初頭頃に、ある人物を自分の右腕と呼んでいた。
ある人物とは、Sという名前を名乗っていた渡辺芳則である。この人物は、現在天皇をしている人物だ。
この人物は、名乗っていた名前と同じ名前で和食チェーンを経営している。
福島第一原発に遺棄した右腕とは、このSという人物のことになっている可能性がある。この人物は、高橋克也と同一人物である。
Sというチェーンは、個人経営の和食料理店に対して集団で店に入るなどして脅したり潰したりしていたことがある。
Sという人物が危険な状態になった頃に、福島第一原発でポケベルによる地震テロを起こしていたという可能性もある。
Sという人物は、東条英機とも同一人物である。
戦時中に、昭和天皇のニセモノや外務大臣の松岡洋輔のように明仁皇太子にそっくりな人物がいたが、戦後50~60年後に、ニセモノが本物を殺害していた、ということになる。
仮谷氏の殺害場所は佐倉周辺の入浴施設
口蹄疫事件では、家畜に人間の一部分を食べさせていたために、それを消化できない家畜が水泡をあらわしそれが口蹄疫の症状である、と言われたとすれば、家畜試験場で仮谷氏の遺体の一部を家畜に食べさせていた疑いが発生する。
また、農業試験場では、仮谷氏の遺体の一部を木の根元に埋め、品種改良を試みたということが考えられ、その場合、遠くで殺して遺体を解体し後で福島県に持ってくる、というよりも、福島県の佐倉のあたりで殺害し、遺体を何人かの信者がそれぞれ原発所や試験場に遺棄したり埋めたりしたという方が自然である。
そのため、殺害現場は、やはり佐倉のあたりの温泉施設か入浴施設で、しかも、その施設は前々からオウムが仕切っていた、というような店である可能性が高い。
佐倉の近くには、土湯温泉という町がある。また、郡山市は市内全体が温泉地で、福島県の温泉施設は多い。遺体遺棄現場の洲本から連想される福島の温泉地に洲走温泉という場所がある。
仮谷氏(昭和天皇)の遺体の一部は福島第一原発所に遺棄され、また、常陸の宮や仮谷氏の知人や会社関係者の要人を殺害して東北の造成地に遺棄し、埋立地のテトラポットの中に殺害した人を詰めて、それを埋立地に積んだ。
顕微鏡店で死亡したのは明仁天皇(常陸の宮)
また、殺害現場が顕微鏡店であるというのは、調査会社があった文京区本郷(2000年初頭に御茶ノ水から本郷へ移転した)のあたりにS啓という上祐が経営する医療機器会社が引っ越していて、調査会社と医療機器会社は同じ町内にあり、行き来が簡単である。
仮谷氏を殺害した翌日位に、仮谷氏で父親が死んだことを知り、近くの顕微鏡関連の医療機器の会社へ行き、そこで殺害されていた、ということも考えられる。
どういうことだ、と抗議をして、従業員か上祐が何とかする、という言葉を信じて待っていた時に時間がかかり、ヒマだ、と思ったのかも知れない。
抗議をしに行って殺害されたということだ。