宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-497    仮谷さん拉致事件のつづき

 女子高生コンクリート殺人事件についての真相

 女子高生コンクリート殺人事件は、1988年11月~1989年1月に起きたが、この時の被害者の顔が、O和田M子に似ている(女優のS田歌穂)。似ているというよりうり二つなので、被害者は生きていることになる。しかし、それでは事件自体がなかったかというとそうでもない。
 では、この事件の被害者とはいったい誰だったのだろうか。

 まず、被害者の顔の人物だが、この人物は、O和田M子の顔の人物で女優のS田歌穂だが、事件の犯人の神作(小倉譲という人物が改名し神作となった)という人物と同一人物である。つまり、被害者として写真に載っている人物が、実は加害者だったことになる。K泉今日子の歌を歌いながら、被害者を殴り続けたのは、この人物だろう。
 事件の本当の被害者は別にいたはずだ。
 被害者が死亡したのは、1989年1月初旬。ほどなくして、昭和天皇崩御した。
 このことで、被害者は、昭和天皇明仁皇太子の娘ではないかと思われた。
 本当の被害者は、写真に載っている女子高生の同級生の女子高生ではないかと思われる。例えば、友人関係であるとか、苗字が同じであるとかだ。
 
 1986年に、アイドルのO田有希子が自殺したニュースがあった。この時、所属事務所のビルから飛び降りた人物は、タイトスカートにストッキングという姿で裸足だった。
 O田有希子は、普段、このような服装をしていたのか、と誰もが思ったはずだが、この自殺した人物がO田有希子でないとすれば、服装の謎は解ける。
 所属事務所のビルに入れ、タイトスカートにストッキングという姿をしている女性といえば、O田有希子のマネージャーのY崎結美という人物であることが考えられる。マネージャーなので、O田有希子の自宅にいたとしても不思議ではない(自殺した人物は、自殺の直前に、自宅で自殺未遂をしている)。
 また、もう一人マネージャーの男性がいるが、この人物が、実はO田有希子と同一人物であった。
 つまり、O田有希子は自殺したわけではなく、O田有希子の女性マネージャーが自殺をしていたのだ。
 
 女子高生コンクリート殺人の被害者は、O田有希子だったのではないか、という説はこのことによりなくなった。
 O田有希子は、Nの宮と同一人物で、昭和天皇明仁皇太子の娘ではないかという線もなくなった。
 
 では、女子高生コンクリート殺人の被害者とは誰なのだろう。
 女子高生死亡後に程なくして崩御した昭和天皇だったのだろうか。 昭和天皇がもしも女性であり、整形をして学校などに通っていたとすれば、神作ら犯人グループと同級生だったはずだ。
 被害者の顔が何故、犯人の女装写真に差し替えられてしまったか変わってしまったかは、とうてい発表できない人物だったからなのではないだろうか。 

 被害者が昭和天皇だった場合

 女子高生コンクリート殺人事件の被害者の女子高生が、昭和天皇だった場合を考えてみる。
 現在、天皇をしている人物は、H陸宮をしていた人物で、この人物は、O和田M子の顔の人物(S田歌穂)で神作と同一人物者である。
 つまり、昭和天皇を殺害したので、明仁皇太子を押しのけて天皇に即位したのだ。
 さらに、仮谷拉致事件で犠牲となっていたのは、美智子皇后とO和田M子の本体の方で、秘密を知られたので殺害されたのではないだろうか。
 どちらも、天皇候補者の妻であり、余所から嫁いで来た者なので、しゃべられたりしたら困るわけだ。
 仮谷清志は、Hの宮だが、Hの宮のライバルのAの宮夫妻とH陸宮がグルになり、昭和天皇を殺害し、天皇の座を奪った。

 女子高生コンクリート殺人事件の被害者は、昭和天皇であるとすれば、つじつまが合ってくる。

 被害者は、県立八潮南高校3年生の吉田順子という名前だった、ということだが、本当の被害者は、同じクラスの吉田という同じ苗字の昭和天皇だったのだろうか。
 あるいは、女子高生ではなく、別人の殺害を女子高生の殺害事件にすりかえたのだろか。

 遺体発見時の服装

 遺体発見時の服装は、女子高校生の服装だったのだろろうか。
 遺体はやせこけた状態で、歯がほとんどなくなっていて、頭髪もなかった、ということだが、これは老人の遺体だったからではないのだろうか。

 被害女子高生の受けた暴行と昭和天皇の治療

 被害者は、発見された時、助骨を折っていたとされている。
 一方、昭和天皇は、黄疸症状が出て危篤状態だと報道されている。
 黄疸症状で助骨と関係のある病気は、胆のう結石で、助骨に石が詰まり、助骨に痛みが出るということだ。
 被害者の暴行状態と、昭和天皇の治療状態は、まあまあ似ているところがあり、被害者の女子高生が昭和天皇であるとしたら、女子高生がひどい暴力を受けた、というのは、実は宮内庁の治療だったか、被害者が暴行される状態を、昭和天皇の治療として報道していたことになるだろう。