昭和天皇と義の宮が神戸で目撃されていた?
第二次大戦中に、昭和天皇と明仁がそれぞれ、台湾に拉致監禁されていた、殺害されていたことがわかった。
この命令をしていたのは、K泉純一郎と同一人物の東条内閣の厚生相の小泉親彦で、東条カツ子だが、K泉は、この秘密が日本人に知られていない、として、厚生省(戦時中、日本政府と言われていた)で猛威を振るっていた。
このことから、明仁皇太子は、戦争中に殺害されていたことになり、昭和天皇と同じ頃に殺害されていたのは、明仁ではなく、義の宮の方である可能性がある。
昭和天皇と義の宮は、神戸の病院に通っていた時期があり、昭和天皇が車椅子に乗り、義の宮はそれを押していた姿を目撃されている、という。
二人、あるいは若い方がよく行っていた場所は、三の宮や中国料理店のT天紅だという。
昭和天皇が殺害されたのが、1989年1月なので、義の宮も同じ頃に殺害されているかも知れない。また、犯人は、このことを知らない人たちに、二人がまだ生きているように偽装工作をし、1990年代か2000年代の初め頃に、車椅子に乗る親子を装っていたことがあるらしい。
義の宮といっても、裏義の宮の方かも知れない。
終戦時、ヒトラーと同一人物者で、蒋介石でフィリップ殿下に、天皇の座をとって代わられたからだ(ヒトラーに天皇の座をとって代わられたので、日本はドイツの下の地位にされている?)。
義の宮は警察官だった?
義の宮のことを調べていると、浮上する人物がおり、この人物は、警察官をしていたようだ。しかし、殺害され、品川区のスポーツセンターの排水溝のあたりに埋められた人物がいて、この人物と義の宮が同一人物者である可能性がある(息子である可能性もある)。
品川区の京急線沿線のあたりは、江戸城を築城した、と言われる太田道潅ゆかりの地である。この一族の一人が、現在は天皇をしている。だから、殺害した者が自分たちのゆかり地に義の宮を埋めた、ということが考えられ、また、それを捜査する警察官も、殺害されて埋められたのだ。
品川区の京急線沿線に新馬場駅という駅があり、スポーツ会館はこのあたりにある。川沿いに歩くと、JR大崎駅の付近に出るが、大崎駅では、仮谷拉致事件の仮谷氏が拉致された場所が大崎であり、このあたりに仮谷拉致事件を捜査する警察官も殺害され、埋められているらしい。
大崎~新馬場にかけて、天皇(太田道潅の息子?)一族のゆかりの地となっており、義の宮が殺されて埋められている近くにそれを捜査していた警察官が埋められ、後から建物が建てられたことになる。
また、天皇をしている人物は、アラブ首長国連邦のアラファトと同一人物であり、仲間うちでは大崎の辺りをアラブ首長国連邦と呼んでいたようだ。
仲間というのは、仮谷拉致事件を起こしたオウム幹部らであり、現在のひかりの輪である。
六義園で天皇を殺していた
オウムが天皇を殺した、と吹聴していた時期があった。オウム幹部は同時、御茶ノ水の広告調査会社で働いていて、天皇を殺したということで、菊池直子が天狗になっていたことがあった。
1996年頃に、文京区の六義園で、鈴木という人物が殺害された事件があり、この時の鈴木という人物の殺害のことを「天皇を殺した」と言っているらしいことがわかった。
殺害された人物は、文京区で文房具店を経営している鈴木という人物だが、殺害された人物は、広告調査会社で部長か課長ぐらいにあたる地位で菊池直子の上司をしていた桝田という人物と同一人物であると思われる。
テレビに出ている天皇陛下とは違う顔だが、似ていることは似ている。
どちらが本物かはよくわからないが、殺害された皇后美智子の夫であるらしいが、皇后美智子もそれが天皇と呼ばれている人かもわからない、という感じで、夫婦であってもお互いの顔がわからないとか、別の場所になるとわからないという関係らしい。
桝田のやっていた業務をO島という女が後を引き継ぐことになり、桝田は会社に来なくなっていた。
O島という女は、上裕にも似ていたが、上裕ではなく、石井久子かも知れない。
被害者の鈴木H行という人物には、息子がいたが、息子が上裕と同一人物である。
この事件の後、菊池直子が会社の体制となっている(A元{菊池直子の広告調査会社での名前}体制と呼ばれている)。
菊池直子はHの宮なので、その後天皇は、Aの宮の肩を持つようになった。
この人物は、明仁が大戦中に殺害されていることから、義の宮の方であると思われる。しかし、兄が大戦中に殺害されていなくなっていることから、天皇となっていたのだ。
しかし、天皇をしていた人物は、富士吉田署で警察官をしている、という説もある。
表 明仁天皇 上裕
本物 明仁皇太子 死亡
表 義の宮 もともとはいなかった
裏 義の宮 六義園で殺害