宮内庁の中の事件
宮内庁の中には、江戸時代の武将の子孫なども職員として勤務しているようだ。
しかし、ここ20年くらいの間に、多くの職員が行方不明になるなどのことも起きていて、何事かの異変があったものと思われるが、それはほとんど国民には伝えられていない。
通報する職員もいるようだが、皇宮警察の中で捜査されているようだ。仮に、丸の内警察署などに通報があった場合に、警察官が皇居の中で捜査しようと思っても、殺害されるために中のことはほとんど誰にもわからないという(平田信が自首してきた警察署だが、平田を憎んでいないのは、皇居内の事件で丸の内警察の警察官が死んでいることを知らないため?)。
宮内庁の中には、徳川家の末裔である人々もいるようだが、この末裔が半ばあきらめていて、自ら命を絶つ者まで出てきているということだ。
このことと、日本人の自殺者が急増していることと関係があるかも知れない。
福島第一原発に埋められているのは仮谷氏?
もし、仮谷さんと会社社長が同一人物だとすると、福島第一原発所の敷地内に埋められた人物は、仮谷さんである可能性がある。
会社社長は、正田家の人なので宮内庁の職員だったことは考えられることだ。
また、上裕(演歌歌手M)との関係も兄弟か近い関係だろう。
皇后美智子のライバルだった人物
オウムの仮谷拉致事件の後、H本龍太郎が総理大臣に就任しているが、H本はE頭優美子と同一人物である。E頭優美子は、皇后美智子に、お妃レースで負けて小和田Hと結婚した。その娘が皇太子妃M子である。
皇太子妃M子と皇后美智子は同一人物だが、皇后の一族に恨みがあるとすれば、E頭優美子が出てくる。実際に、仮谷拉致事件が起きた後にE頭と同一人物のH本が総理大臣になっている。
H本と同一人物者はそれまで総理大臣になっていたかというと、S木善幸が同一人物である。
それ以後は首相になっていないようだ。
H本以後には、K泉、A倍、H山、N田など数回首相に就任している。
皇后美智子とE頭優美子の二人は、妃レースだけでなく、総理大臣の椅子争いもしていたのだろうか。
この二人は、角福戦争の身内としても争いをしているし、今でも確執が知られている間柄である。
仮谷拉致事件の関係者でいえば、オウムの松本知子で、演歌歌手Mの妻である。この二人が離婚をするので目黒公証役場を訪れたのが演歌歌手Mである。
演歌歌手Mは天皇だったので、離婚による遺産分与で、妻の肩を持ったのが仮谷氏(仮谷清志は麻原彰晃と同一人物)で、演歌歌手Mの肩を持ったのが、宮内庁の職員か正田一族であると思われる本当の仮谷氏の方ではないかと考えられる。
仮谷氏が二人出てくるかと思うが、仮谷清志は麻原彰晃で、本物の仮谷氏が殺害された方という言い方なのは、被害者は仮谷氏である、という考えが定着しているためである。被害者の本当の名前がわかっていないために、仮谷氏ということにしてある。
つまり、麻原彰晃と松本知子は、天皇の財産を遺産分与でもらおうとしたら、被害者の仮谷氏がダメだ、と出てきたために、麻原に腹を立てられ拉致されたということだ。
このことから、宮内庁職員や正田一族などが拉致されたり殺害されたりしていたが、裁判は進行中だった。そのうち、上裕がアレフを結成しひかりの輪を設立したが、この人物自体が自分の被害や妻の被害をわかっていないので、オウム逃走犯の救済にあけくれて、関係のない人を逃走犯呼ばわりして警察署などに入り込み、松本知子と一緒になって冤罪問題も起こしていたのだ。
上裕は、もしかしたら、演歌歌手Mの妻に渡す慰謝料代わりの財産を、天皇として妻である正田家から渡そうとしていたのかも知れない。それを聞いた公証役場の職員の被害者の方の仮谷氏が「ダメだ」と言い出し、麻原はそれに腹を立てたということも考えられる。
仮谷氏の妹というのがいたはずだが、これは皇后美智子のことなのではないだろうか。
皇后美智子の兄は、S田巌という人物で、元日本銀行監事である。
H本龍太郎は、総理就任後に、財務省の2階に、造幣局と同じ印刷機を持ってきて、適当な時に偽札を刷っていたという。
これが出来たのは、日銀の職員を殺害していたからではないだろうか。
巌が正田建次郎と同一人物なら、正田巌は、皇后美智子の兄ではなくて、実際には叔父さんである。 父親の兄が巌(建次郎)である。
仮谷拉致事件の被害者仮谷と同一人物者
・正田建次郎(日清製粉の正田英三郎の兄)
・正田巌?(皇后美智子の兄で英三郎の息子)
・徳川Y寛(元侍従長)
・輝蔽M此文欺尚緜后
・広告会社のS(重役)
・佐賀一丁目の会社社長(社長)
・三谷隆信?(明仁皇太子の成婚時に宮内庁の侍従長をしていた)