宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-691    仮谷さん拉致事件のつづき

 佐賀一丁目会社社長銃殺事件の犯人は上裕

 佐賀一丁目会社社長銃殺事件の犯人は、上裕かも知れない。
 この会社は運輸会社だが、現在、社長をしている人物が上裕だからである。
 この運輸会社は、宅配便を装った事件などでたまに名前が出てくることがあるY社である。

 正田建次郎と似ている
 
 殺害された人物は、O倉昌男という人物である可能性がある。
 事件の起きた1995年に会長職を辞任し、障害者のための職場作りに取り組んだということだが、会長職を辞任したことと殺害された時期が一致している。
 2005年6月にもO倉は理事長を退任しているが、後任の山崎という人物はO倉と同一人物者だが(故人だとすればニセモノが扮している)、山崎という人物の顔は、正田建次郎氏(広告会社の里という人物と同一人物)に似ている。
 正田建次郎という人物は、広告会社の里という人物と同一人物だが、Y社は中央区銀座に本社があるが、里という人物が重役として勤務していた広告会社は、Yの本社の目と鼻の先にある。
 O倉氏は、Y社で社長をしながら近くの広告会社でも働くことは充分可能で、一日に何度も行き来していたのかも知れない。
 また、この広告会社の社長が正田英三郎氏とよく似ていて、社長銃撃事件で殺害されたのは、この二人の兄弟である可能性がある。
 
 犯人らは、当時、文京区でSという会社で働いており、S社は、天皇の同級生であるというHが社長の息子(上裕史浩と平田信の二人一役)だった。社長の息子の愛人にE藤という女がいて、この女は石井久子(松本知子)である。
 S社は、何故か1990年代後半に「日清」にこだわっており、日清の家族や日清と親しくしている会社を調べて、会社名や住所をパソコンに入力していた。
 S社の親会社は、カメラ製造企業のNという会社だが、Nは銀座の中心地に販売店がある。
 広告会社もY社も銀座に会社があり、銀座の会社が狙われていた、というようなことがあった可能性もある。

 日清と日清関係者の情報収集について、中心的な役割を果たしていたのが、Hという人物で、犯人は、上裕かHかのどちらかである可能性もある(愛人のE藤のいいなりにしていた可能性もある)。

 S社は、情報収集の後、これらの人たちを殺害して、Hの自宅の壁などに埋めて、その中で生活しパワーを増幅していた、と言われている。
 正田建三郎は、那谷屋正義という日教組出身の議員と同一人物かも知れない。S社は学校の先生にもこだわりがあるようだった。

 会社社長の弟は伊丹十三

 佐賀一丁目で銃殺された人物の兄は、伊丹十三とよく似ている。
 この事件は、1995年4月に起きているので、伊丹が自殺するまでの2年間ぐらい伊丹の替え玉がいて映画を製作していたと考えられる。
 伊丹の写真を見てみると、古い物と新しい物では若干顔が違っており、新しい物は石井久子の変装であると考えられる。
 伊丹が1995年4月25日に兄の会社社長(Y社の社長)が殺害された同日に殺害された後、石井久子(Hと同一人物?)が伊丹の替え玉をしていたようだ。
 伊丹は、映画監督の他、イラストレーター、商業デザイナーという職業を持っていたというので、広告会社の社長と一致する。
 また、妻のM本信子の顔も、古い物と新しい物では顔が違っており、本物のM本信子(福田和子事件の被害者の安岡厚子?)は殺害され、上裕史浩がM本信子をしていたようだ。 
 伊丹で正田英三郎氏は、ニセのM本信子とその愛人の石井久子に殺害されたのだろう(伊丹十三の死については宝財探偵所の迷宮事件 40 伊丹十三の死の真相 2010年5月27日参照)。

 会社社長は、2002年に自宅で放火殺人があったマブチモーターの社長とも同一人物であるという。
 しかし、この人物は生きている可能性があり、福島第一原発に埋められたのは、この人物の義手の右腕などかも知れない。