宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 35-26    松山ホステス殺人事件(福田和子事件)のつづき

 逮捕後に本領発揮した福田和子

 福田和子が指名手配され逃走している間はまだマシだった。
 日本の警察が福田和子の居所をすでに発見し、いろいろなところでコキつかっていたのだ。日本の警察や行政にとって福田和子は都合よく使える女だったが、1997年7月に逮捕された後には、今まで都合よく使っていたことが出来なくなり、逆に警察官が福田から金をもらって出所させるなどしたし、政治家が献金と称してロッキード社から金を得るようになってしまったのだ。
 その時から福田和子は金になる女として、警察や行政、政治家の間で人気が出てしまい、不正をはたらく官僚や政治家が登場した。
 福田和子の金の出所は、イギリスのチャールズの家だろうが、チャールズは皇太子なのでつまりイギリス王家からの金である。チャールズ皇太子の父親のフィッリップ殿下もチャールズ皇太子が殺される前に殺されているようで、王家の金を握っているのがダイアナであるようになってしまっていたのだ。
 逃走中はそのことがわからなかったが、金をもらって出所させたり政治家に献金を配っているうちに、福田和子は事件を反省するどころか、殺した人物の財産をふんだくり管理するようになっていたのだが、日本の刑事事件で被害者の特定があいまいだったため、釈放後もそれがわかならかったのだ。

 香港を中国に返還したのは?

 1982年頃、香港を中国に返還する法案がイギリスで可決された。
 この法案により、1997年7月に香港が中国に返還されることが決定した。
 この法案について、それが何故なのかを説明出来る者も少ない。
 1982年といえば、福田和子事件が起きた年であり、チャールズ皇太子と真奈子(平和の使者)が殺された年でもあるだろう。チャールズ皇太子の父親のフィリップ殿下も殺害されている可能性もあり、この頃のイギリスは雰囲気が最悪だったに違いない。
 福田和子の時効は1997年7月。香港の中国返還が1997年7月。示し合わせたように時期がピッタリ一致している。
 福田和子は、実は香港が中国に返還されてから本領を発揮しようと思い、それまで潜伏期間は実行するまでの待機の時期としていたのではないだろうか。
 つまり、こういうことである。

 .ぅリス王家の殺人を日本で行なう。
 ▲ぅリスが中国への香港返還を決める。
 J‥掴損劼論?昀鉸崔罎如一部の警察官に居所を知られたか教えたかしてわざと国家に都合よく使われる。
 1997年がやってきた。福田は時効寸前にわざと素性を周囲の人にバラし、通報されわざと逮捕された。
 ヂ疂畍紂待っていたかのように開き直り出し、金を使って政治・官庁を動かし、金の力で首相の座を獲得。
 9.11のタリバンのテロを起こし地盤を固める。
 Ю治家として絶頂期時代に突入(現在)。

 福田和子は中国の諜報機関なのか

 福田和子事件で得をした国家が中国である。
 香港がイギリスから中国に返還されることになったからである。
 香港が中国に返還された時から、世界では盗聴や大量殺人が行なわれるようになった。

 このように考えると、福田和子は、中国の諜報機関員だったのではないだろうか、という疑問がわいてくる。
 わざと皆が関係を修復しようとしている時にイギリス王家の人物を殺害し、その代わりに香港返還を勝ち取った。
 関係修復はどこかへ行ってしまったが、香港が自分たちの領土に帰った来たのだ。これは関係を修復するという面倒な行為を飛ばして領土を返還しある意味中国の勝利と言える。

 福田和子と中国の政治家

 福田和子は、中国で東太后だった人物である。
 東太后は、西太后のライバルとして、中国では比較的いい人ということになっているようだ。
 台湾出身者で中国共産党を牛耳っていた蒋介石は、上裕と同一人物だが、この人物は、福田和子の夫の福田隆志と同一人物である。
 福田和子は、蒋介石の妻の宋美齢だったのではないだろうか。
 中国共産党は現在でも蒋介石に握られているのだろうか。
 もし、そうだとすれば、福田和子の強烈パワーは、中国13億人の人民パワーである。
 同じ人口を有するライバルのインドは、中国パワーに勝てず、中国に一歩も二歩も遅れを取っている感がある。

 蒋介石宋美齢の二人が二人の居住先から、尖閣諸島の中国船に連絡を取っている、という説も浮上しており、中国の習近平をしのぐ中国の黒幕は、蒋介石宋美齢である可能性がある。