宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-766    仮谷さん拉致事件のつづき

 だるま女の見世物小屋は、中国の山奥ではなくてスイス?

 菊池直子に間違えられたと思われる日本人女性が、フランスのブティックで拉致され、手足を切断されてだるま女にされた後、中国の山奥に連れられ、そこで見世物小屋に入れられはたらかされた、という都市伝説がある。
 しかし、見世物小屋は中国の山奥ではなく、スイスである可能性がある。
 第二次大戦中に慰安婦という軍人の性の相手をさせられた女性が、体が使えなくなった後、手足を切断されだるま女にされて、スイスに連れられ、そこで見世物小屋に入れられ、はたらかされた、という説が浮上したためだ。
 スイスは、反日の強い国、といわれているようだ。
 スイスの国王(いないことになっているので事実上)は、石井四郎と同一人物で、ハプスブルグ家の兄弟の兄の方である。
 ハプスブルグ家には、オーストリア・スイスの王、スペイン・オランダの王の二人が有名だが、この二人の兄弟はライバル同士で二人の戦いが戦争にまで発展する。
 スイスの国王は石井四郎だが、スペイン・オランダの国王は石原莞爾で、菊池直子(オーストリア・スイス)と平田信(スペイン・オランダ)のことである。

 石井四郎は、自分の戦犯行為を無起訴にする代わりに、中国で行なっていた731部隊の人体実験のデータを引き渡す、という密約をアメリカと結び、戦犯を逃れている。
 しかし、この引き換え密約は、戦後もずっと続き、「石井四郎を助けるために、中国人や日本人の人体実験データをアメリカに渡す」という密約に変更されていると考えられ、それが現在でも続いている。 オウム真理教は、被害者を人体実験していたが、この時の情報をアメリカに渡すことで、麻原の死刑執行やその他の石井四郎と同一人物者の死刑執行をを免れさせていると考えられる。

 石井四郎は死亡しているのに、何故密約を続けるのか

 しかし、石井四郎は、1959年10月9日に死亡しており、石井四郎が石井四郎として死亡した後も、アメリカとの密約が今でも続いており、石井四郎の死に何の意味があったのかがよくわからなくなっている。
 2000年に石井四郎を都知事に選んだ時から(最初の選挙から不正を行なっていたという説が浮上している)、主に都民が、石井四郎とアメリカの密約続行のために、人体実験をされそのデータをアメリカや軍が持つなどして、このことが脅威となっている。

 人体実験は天皇のため、ということに変更されている?

 また、現在は、石井四郎ではなく、天皇のためだ、という認識を持つ者もいるようだが、そのようなきっかけとなる事件が発生していた形跡は今のところ見つかっていないし、何故いつも国民が人体実験されなければならないのか大きな疑問である。
 オウムが大量殺人と人体実験を行なっていたのは、オウム事件の時から知られていたようだ。しかし、1997年頃からオウムがテレビに出演しなくなった頃からそれがエスカレートし、人前に出なくなった分、ろくでもない殺人がサティアンのような施設で行なわれていたようだ。