宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 33-4    よど号事件のつづき

 よど号事件とはこういう内容だった
 
 K沢春江の父母は、天皇(当時の皇太子)と皇后(当時の皇太子妃)であることがわかった。
 Nの宮とK沢春江は別人である。
 K沢春江の父母とNの宮の父母が同じ父母であるために見分けが難しくなっているのだろう。
 天皇と皇后の子は、宮内庁でHの宮、Aの宮として育っているのに、春江は宮内庁の皇太子夫妻の子とならなかったので、不憫に思った両親が、「春江を北朝鮮の金の元へ挨拶に連れて行き、北朝鮮に守ってもらおう」と考えた。
 そこで、普通に行っては何のとりえも犠牲もないので、旅客機をハイジャックし、北朝鮮に行こう、ということになったのだ。
 よど号に乗っていた乗客は、当時の皇太子とゆかりのある医師が多い。他にも皇太子のツテで乗っていた知り合いがほとんどだったようだ。
 一行と春江は、金日成の元に着き、挨拶を済ませて春江の世話を頼んだようだ。
 これがよど号事件である。

 しかし、よど号事件に異変が起きたのは、それから9年後のことである。春江は、1969年4月に生まれたが、春江が9歳になった頃、母親の皇太子妃のK沢栄江と一緒に歩いていたところ、城東警察署の近くで道路工事をしており、マンホールの中から出てきた作業員に春江は拉致され、そのまま行方不明になった。
 行方不明になった春江に代わって、替え玉が道の脇から出てきた。このニセの春江は森順子か黒田佐喜子らしい。森は、その後、桐島聡(魚住公博)と交代し、あるいは黒田がそのまま春江に扮したまま、現在、ニセのK沢春江をしているのは黒田佐喜子で桐島(魚住)である。この人物は、高沢というよど号事件の本を書いた人物だが、春江が殺されたことを隠して自分がなりすますなどする犯人グループの一人である。しかも、春江を他の人である、と主張し、事件をかく乱させている。この人物の謀略によって、よど号事件の全貌が見えなくなっている。こういうジャーナリストというのは世の中にいるものだ。
 この後、春江はマンホール内で殺害されていたかも知れない。
 「せっかく、北朝鮮にまで行き頼みに行ったのに殺されてしまった」という念が関係者に広まった。
 
 春江のK沢家の族構成は、母親のK沢栄江に里親のK沢明、他に兄が二人いる。K沢栄江は春江の実の母親だが、里親の明は、田宮高麿である。
 田宮高麿と森順子は夫婦で、グルであるので、春江を殺そうと思えば出来たはずだし、どこへ買い物に行くなどの情報も知りえることは出来るだろう。

 ところで、北朝鮮が守っていた春江が、森順子や田宮高麿に殺されてしまったので、金日成は驚いた。
 そして、森や田宮と金の立場が逆転してしまった可能性もある。
 金日成はだいぶ前に死去し、息子の金正日も死去し、今は金正恩である。この森-田宮>金の力関係がまだ続いているかどうかは不明だ。