宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-826    仮谷さん拉致事件のつづき

 H本龍太郎の作った偽造口座はどこにあるか

 H本龍太郎は、財務省に自分しか入れない部屋を持っているらしい。その部屋は、財務省の5階にあり、造幣機があり、H本は金がなくなったり、別名(A倍、K泉など)で総裁選挙や普通選挙に出馬する時に国会議員や選挙民に渡す金を刷っているらしい。
 ところで、政府は、予算を組む時に予算が税収だけでは足りない時に国債を発行し、この国債を売ることで予算の金にする。
 国債は、銀行が主に買っているが、この国債を売り買いする時に政府も予算の金がないので、新たに紙幣を刷って銀行に払う金にしている。
 金を刷る場は造幣局とみなされ、その部屋は日銀扱いになっているのかも知れない。 
 H本は、銀行と仲良くしておくと、1997年に大量に発行した偽造口座について銀行からあれこれ言われずにすむので、積極的に銀行を活用して銀行の得になる政策を採用する。
 大量に発行された偽造口座は、この銀行と仲良くする場所である財務省の5階に保管されているのではないだろうか。

 銀行とH本の関係

 造幣機は、1984年~6年頃に造幣局から盗んできたものではないだろうか。
 H本は、福沢諭吉と同一人物なので、紙幣の肖像が自分になった時(1984年)に「自分が肖像なのでいいはずだ」といって盗んできた。
 そして、国債発行と銀行とH本の関係はその時からだんだんと強化されてきたのではないだろうか。
 円高ドル安を決定したN曽根は、菊池直子と同一人物者である。 
 円高が菊池直子のため、だともいわれるのは、円高にした人物が菊池だからである。
 菊池は円高政策によって守られ、H本(麻原)はそのことよって金を得た。
 H本内閣で、少子対策の政策が施行されたが、偽造口座での被害を少子化対策のせいに見せかけるためのものだろう。 
 いつ誰が被害にあっていようと、これは少子高齢化対策のせい、ということにすれば、捜査もされずにすむ。
 少子化対策をしている国では自殺率が多いが、これが偽造口座のためだとすると、国家間と銀行の関係とはかなり深いものであることがわかる。
 例えば、日本の予算で、通常予算と特別会計があるが、この特別会計(普通予算の2倍の規模)とは、国が預けた金(予算、税収)銀行の資産運用で運営された利益収入である可能性があり、この予算は規模が大きい。
 このように、国家予算と銀行の関係は深く、自国の予算に圧力をかけられて国民が被害を受けたり死ぬ原因にもなっているようだ。
 この特別会計の内訳を知られないようにしている者が存在している理由は、これが殺しにつながっているからではないだろうか。
 例えば、銀行と国家予算に関して邪魔になる人物、つまり、政治家(首相)に偽造口座を作られて、この関係を邪魔する者とみなされて(本当は偽造口座を作って被害に遭わせていることを知られても謝ったりするのが嫌だという感情のため)銀行ヤクザと呼ばれる者たちにストーカーされたり監視されたり殺害されたりするからではないだろうか。それは主に野党勢力や、下野している者(東大卒もこの中に入る)たちがターゲットとなる。
 資産運用をする銀行を信託銀行と呼んでいるが、りそな銀行は、信託銀行扱いである。そして、それを政府系銀行にしているということは、特別会計の収入になる資産運用をしている主な銀行の中にりそな銀行が入っているはずである。銀行ヤクザは、りそな銀行が雇っているということでもあり、野党や東大卒をターゲットにした銀行の殺人は、りそな銀行である可能性がある。そしてそれは=自民の得、ということになるのだ。
 
 麻原彰晃でH本龍太郎が偽造口座を大量発行した銀行は、りそな銀行本郷支店(東京大学の近く)ではないだろうか。

 H本龍太郎・麻原彰晃の経済とは 

 りそな銀行の前身の協和銀行は、終戦間際の1945年5月に9つの貯蓄銀行が合併して誕生した貯蓄銀行であった。
 この9つの貯蓄銀行のうち、三井銀行が含まれていた。
 一方、日経新聞社(テレビ東京)も、もともとは三井の部門が独立して出来た企業であり、二つとも三井の影響力が強い。
 日経新聞社といえば、東証日経平均株価を出していて、これが現在の政府の経済政策の中心である(株価中心の経済政策→大手しか見ていない)。
 偽造口座を作ったりそな銀行と、政府の経済政策の中心である日経は、同じ系列の企業ということになり、麻原のバックで主な経済政策の中心は三井である。
 国家予算と経済政策で、偽造口座を作られた人たちを経済的に追い込み、最終的に自殺をさせようとしている。
 そして、このことが、少子高齢化対策により、隠蔽されているのだ。 
 H本龍太郎で麻原の正体とは、国家予算と国家経済を動かす三井をバックしている人物、ということになる。