宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 35-37    松山ホステス殺人事件(福田和子事件)のつづき

 
 被害者が生きていた場合 ロッキード社の罪を軽くするための謀略
 
 公開捜査というのは、謀略である場合が多く、これも何らかの意図を目的とした謀略事件であるとすると、被害者は生きているということがある。
 例えば、被害者がT中真紀子(T童よしみと同一人物)で、愛媛警察に電話をかけてきたのが殺害された本人で、「福田和子を釈放しろ」、と言われたらしてしまうだろう。
 この事件は、T中角栄の判決を厳しいものにする、というよりも、軽くするための謀略である可能性もあるが、その後の田中の様子をみると、刑が軽くなったとは思えない部分もある。
 では、誰の刑を軽くするためかというと、一つだけ刑が軽くなっていると思われる例がある。それは、ロッキード社の刑である。ロッキード社は、贈賄側であるにも関わらず、アメリカの企業ということで無起訴になったという。
 T中真紀子田中角栄の娘で、福田和子はF田赳夫の娘だ。
 やはり角福戦争と関係がありそうだが、もし、ロッキード社の罪を軽くするためだとしたら、福田和子に有利にはたらいていることになる。
 これは、指名手配犯人が直後から運が向いてくるのと同じだ。一方で、指名手配犯人がいい思いをしていると、逆に被害者側はおかしくなってくる。
 犯人側は、そういう指名手配や公開捜査の秘密を知っていて、わざと事件を警察に持ち込み、福田和子を指名手配したのだ。そうすることによって、福田側がロッキード事件で有利になり、福田・ロッキード社が無起訴になり、逆にT中角栄が死亡同然の判決を言い渡されることになる。
 やはり、ロッキード社側を無罪にするための、謀略事件だったということだろうか。
 福田和子は、ロッキード社の会長と同一人物者である。指名手配されれば、いい思いができるので、罪が軽くなる。
 
 福田和子事件がちゃんと報道されなかった理由
 
 福田和子が逮捕されたのは、1997年7月頃だが、福田和子が逮捕された後も、松山ホステス殺人事件の本質は明らかになることはなかった。
 それは、福田和子事件が、ロッキード疑惑のロッキード社側を無罪にしようとしたための謀略である、ということだ。
 福田和子は、逮捕される直前に、当時20代の若者に自分を押し付けようとして、冷蔵庫の中の飲み物にサリンを混入し、サリン中毒にした。
 当時、福田和子は、「地獄に堕ちる」と言われていたが、それがなかったのは、若い人に押し付けたことと、当時首相だったH本龍太郎が福田和子本人だったためだろう。
 橋本は、若い人に福田和子の罪をなすりつけたかったためか、少子高齢化対策を対策にし、若い人や老人を弾圧の対象にし始めた。
 少子高齢化対策は、もともと、イギリスが言ってきた政策だったのだが、反中国政策にしたかったので、おあつらえむきだった。
 福田和子は、自分が逮捕された後、ロッキード社として自民党の政治家に献金を始めたが、これは、ロッキード社が無罪になった理由を探られると困るからだ。
 政治家側は、「田中角栄の二の舞になったら困る」として、親中国政策を止め、反中国政策にシフトしたと考えられる。
 そして、自民党へのロッキード社からの献金は今でも続いている。
 福田和子は、2000年代に獄中死しているというが、暗躍している。