宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑰-8    松本サリン事件のつづき

 
 被害者の数と実行犯の数が同じ
 
 松本サリン事件は、実行犯がどのようにしてサリンを撒いたかだが、被害に遭い死亡した人の人数と実行犯の人数が同じであることから、マンツーマンのようにして家の中で撒いた、ということが考えられる。
 例えば、オウム信者が同居している人に対して、個別にサリンを噴霧したり混入し、被害者がその物に触れた時に被害に遭うように仕向けていたのではないだろうか。
 例としては、被害者の食べ物、飲み物に混入する、布団に噴霧しておく、風呂の湯に混入しておく、トイレの便座(洋式)に噴霧しておくなど、被害者が触る物、犯行時間とされる0時頃に触る物にあらかじめ付着させたのだろう。
 負傷者が数百人にも及ぶことから、窓の外からも噴霧した、ということが考えられる。
 死亡者か負傷者かは不明だが、被害者は、一箇所の地域だはなく、点在していたという説がある。死亡者も負傷者も点在していたのなら、前述した、被害者1人にオウム信者1人がつくのような形と、負傷した人たちは、何らかの事情でサリンに触れ、負傷したということになるが、どのようにしてサリンに触れたか、ということについては、次の説がある。
 その説というのは、
・駅前の路上でサリンを撒かれて靴についたサリンが家の玄関から部屋に充満した、
・あるいは、当日は、雨が降っていたのでその雨にサリンが混じり、その雨に当たって負傷した、
というものだ。
 当日は、雨が降っていたというので、駅前の路上にサリンを撒いても雨で薄められたり流れてしまう可能性がある。しかし、雨にサリンが混じっていたとしたら、誰にも気づかずにサリンの被害に遭わせることができる。
 オウム真理教は、もともと、ドイツで活動していたといい、その活動を日本に移してくれ、とイギリスからの依頼で、松本サリン事件を起こし、この事件のニュースが不十分で東京の人たちに認知されなかったために、人工的に関西地域に巨大地震を起こして、それをきっかけにして、東京で地下鉄サリン事件を起こした、ということがわかってきている。 
 ドイツは、1980年代の終わり頃から、酸性雨の問題が報道されている。オウム真理教がドイツに支部を作ったのは、1987年頃だ。2~3年の間に、人工降雨技術を習得して、ドイツに酸性の雨を降らせていた犯人は、オウム真理教である可能性があり、もしそうだとすれば、人工的に雨の中にサリンを入れて降らせる、というようなことが可能であることが考えられる。
 例えば、中国で行われる人工降雨は、ロケットのようなものに水滴爆弾のようなものを詰めて発射させ、数時間後に雨を降らせる、というような技術があるが、オウムの場合も、こういう技術を持っていたのか、それとも別の方法の降雨技術あり、その技術を使い、サリン雨を降らせた、という可能性がある。
 松本警察は、このことを知っていたのかも知れないが、何故、松本サリン事件の冠する詳しい情報が報道されないのかがわからない。もしかしたら、TBSの誤報(自作自演)を気にして、マスコミに情報を提供するのはやめたのかも知れない。
 
 TBS社
 
 TBSの誤報が自作自演である可能性があるのは、最初にK野氏を犯人扱いしたのがTBS社だが、それを間違いだったと訂正したのもTBSである。最初に言い出した者がそれを否定すると、追随していた皆も同じことをする、というような法則があり、その法則を知っていたTBSが、わざと、あやしいK野氏を犯人扱いし後で訂正し、逃がした、ということも考えられる。
 何故かというと、K野氏(第一通報者)は、麻原彰晃、林郁夫、大内早苗と同一人物であり、松本サリン事件を命令した張本人だからだ。首謀者を逃せば、事件の全貌が隠されるので、自身が社長をしているTBS社にわざと報道ミス(?)をさせたのだ。
 
 警察が何故、松本サリン事件の情報を隠したか
 
 K氏は、サリンが撒かれた日に、自宅の庭で殺虫剤を作ろうとして自宅にある薬品を調合していた、と言っている。しかし、実際には、調合していたのは女だったようだ。この女は、K野氏と同一人物であるが、他人の髪型に似せたカツラをわざと被り、盗んできた洋服を身につけ、他人の姿(女性)になりすまし、薬品を調合していたらしい。妻が、東京にいる女性の名前を出し「○○さんというを現場で見た」と通報しているが、K野氏も妻もオウム信者で、K野氏が自宅の庭で薬品を調合していたことを隠すか、混乱させるために、わざと、他人に似せたカツラを被り、他人から盗んだ洋服を身につけ、自宅で薬品の調合をしているところを妻に見せていたのだ。その、カツラを作られ洋服を盗まれた女性と、K野氏は、全くの無関係で、会ったこともない。しかし、そのトリックが見抜けなかったために、誤報にするきっかけを作ったとか、警察が捜査をしり込みした、などの原因がささやかれている。
 警察は、その女性が働く会社に電話をし、当日のアリバイを聞いているが、当日、出勤していた、と言うことだ。
しかし、その女性の同僚が休んでおり、この休んでいた女の方が、大内早苗でK野義行だろうが、警察は、その休んでいた女のことは会社に聞かなかった可能性がある。オウムの落としどころは、を誰かに見せかけることによって意外性を出し、そのことに気を取られて捜査をできなくする、妨害する、というところにこのトリックの本質があったのではないだろうか。
 その女性は、Uさんというが、Uさんは、オウム信者でもなければ、ひかりの輪アーレフの信者でもない。これまでずっとテレビ局や警察などから度々疑いがかけられているが、無実である。
 警察は、Uさんに聞き込みに来たこともない。その一方で、会社にUさんのアリバイを訪ねている。会社の答えは、その日は会社にいた、というものであった。しかし、Uさんの同僚で同期入社のN階堂照代という女が、当日、会社を休んでおり、このことを警察は聞かなかったのだ。N階堂照代は、大内早苗と同一人物であり(福島県出身の元エステシャンだと言っていた)、福島県の出身だ。当日、「福島郡山の実家のお父さんが死んだので葬式に出る」という理由で欠勤していた。N階堂は、この日に、松本市に行き、同僚の洋服などを身につけて、庭で薬品の調合をしていたのではないだろうか。K野義行は、写真をみると、複数人が扮しているようだが、大内早苗と同一人物の写真もある。
 
 K野義行と一般女性は全くの別人
 
 警察は、どうしてN階堂照代のアリバイを聞かなかったかというと、国松長官から圧力をかけられていて、N階堂照代のことは捜査しないよう、松本警察署に言っていたのだ。このことで、疑われているのが、N階堂ではなく、Uさんの方である、と会社が判断したとしても不思議ではないし、警察庁の長官が二階堂の方をかばいだてしている。こういうところから、当日、庭で薬品を調合していたのは、N階堂(大内早苗)ではなく、オウム信者ではないUさんの方、という疑いをかける人が出てきて、その一つにテレビ局があった。テレビ局は、品行方正で犯罪などしそうにない人が実は、松本サリン事件の時に、庭で薬品の調合をしていた、という意外性を信じ、大内早苗で河野は、このことが影響して、新聞社、テレビ局は、冤罪ということにしてしまったのだ。
 しかし、TBS社の社長も、やはり大内早苗でK野と同一人物であり、これは多分にK野の職権乱用である。警察庁長官とテレビ局の社長をしていたのが、松本サリン事件を首謀した麻原彰晃だったのだが、捜査を担当する側と事件を報道する側の権限者が麻原ということで、K野は無罪ということになったが、すりかえられたUさんの方は、当日、会社のアリバイがあり、実際に松本市には行っていないので、K野と軋轢が生じている。麻原は、この時から、度々、Uさんを付回し、松本サリン事件の何倍ものサリンをUさんに浴びせ、信者らに悪質ストーカーされる羽目になり、地元警察署もそれを知っている。
 
 翌日以降のK野は上裕に代わっている?
 
 N階堂は、その後も、社内でサリンを撒いたり、オウムの勧誘活動などをし、会社側もN階堂を中心とする体制に変わった。1995年頃、テレビ局の使いであると思われる女性が入社してきて、K野義行は誰なのか、ということを調べていたようだが、それを察知したN階堂は、「結婚して苗字が変わったので秋元さんと呼んでね」などと言い、1994年当時に呼ばれていた名前を変えてしまい、テレビ局の回し者に気づかれないように工作していた。このテレビ局の女も実は、裏でK野義行が差し向けたスパイであると思われるが、誰がK野であるかをテレビ局に大々的に言わないようにするための工作だったのだろう。
 N階堂照代は、松本サリン事件の翌日から、「父親が死んだ」のに、出勤してきている。
 だから、当日以降のK野は、上裕史裕などに代わっている。17時30分が定時なので、土日を含めてその時間以降に松本市に行くことはあっだたろうし、夕方6時の東京のテレビ局のニュースに出演することも可能だ。
 当時のニュースは、オウムが出演もしていたが、どこの会社で働いているということは一切言わず、道場で寝起きして、昼間からビデオを見るなどの修行をしている、という話だったが、これはウソである。少なくとも、幹部の信者は、朝から会社に出勤し、定時で帰り、滅多に休むことなく働いている。ただ、会社が終わった時間以降や土日は何をしているかはわかららない。
 
 K野の娘をかばったらおかしくなった
 
 松本警察は、K野宅の庭で、殺虫剤を作るための薬品の調合をしていた女を、K野義行であると発表しているが、実際には、女であり、男ではない。しかし、警察は、どういう事情かで、その薬品の調合をしていた女を、K野義行である、と発表した。だが、これが曲者だった。1人でもオウム信者をかばいだてすると、捜査全体の人物像がおかしくなってくる、というのは、オウム事件の捜査でよくありがちだ。しかし、松本警察署は、これをやってしまったのだ。K野の娘のことを、娘だから、という理由なのか、そのようにかばわなくてはならない、と思い込まされたのかわからないが、K野の娘が調合していたことを出さないでいよう、と思い、そうしていたら、K野の妻が全く関係のないUさんの名前を出し「当日現場で見た」と言い始めたのだ。その情報は、東京のテレビ局や勤務していた会社に伝わり、「K野家の庭で薬品を調合していたのはUさんで、本当はUさんが首謀者でオウムの女性信者だ」、と言い始め、それが邪魔をして正確な捜査ができなくなったのだ。
 この薬品の調合自体は、サリンを生成したものではない、と思われ、特にかばいだてする必要性もないものだが、薬品を調合していた娘が、松本警察署と関係のある女だった可能性がある。例えば、婦人警官であるとか、事件で重要な通報をした女だった、などということも考えられる。
 このK野の娘は、石井久子である。石井久子は、自分の持っている洋服で、庭で薬品を調合していたのだ。何故、松本警察署がかばったかというと、石井久子は、元大蔵大臣のH本龍太郎で当時のF井裕久大蔵大臣だったからという可能性もある。「現在の大蔵大臣なので、自分が薬品を調合していたことは言わないでくれ」と言って来たのだ。石井久子をかばいだてしたら、「夜に妻の風呂の湯にサリンを混入していた」と思われるK野義行もかばわれることになった。K野は、当時の首相だった、M山富市と同一人物で、政権の中枢に関わる人物が、この事件を起こしていたことになる。松本警察署は、だから犯人をかばったのだが、その全ての責任をなすりつけたのが、前述のオウムとは無関係の一般人女性のUさんである。つまり、松本で起きた事件を、東京の人になすりつけ、警視庁が動かない事件と、政治家の犯罪を、若い一般人女性になすりつけたことになる。
 松本警察の不始末を、東京の女性が被り、そのおかげで、K野家が無罪になったといえる。
 この関係は何故なのかわからない。Uさんは、政治家の娘というわけでもなく、皇族でもなければ、刑事でもない。どこにでもいる普通の一般人だ。しかも、まだ若く20代前半だった。つまり、無関係な女性に罪をなすりつける代わりに、政治家の犯罪を無罪にしろ、警察も自分の不始末をなすりつければいい、ということを、H本が言ったも同然だったのだ。
 
 松本サリン事件はH田政権を解散させるため
 
 しかし、正確に言えば、K野義行は、事件当日はまだ首相ではなかった。事件が起きた当時の政権は、H田孜政権で、社会党を除く野党の連立政権だった。しかし、H田は、全ての閣僚に二人の大臣を置き、その1人が自分である、という、自分以外に他人を信用しない、全権を掌握、支配しなければ気が済まない軍事内閣的な内閣であり、特に、自民党はそれが嫌いで仕方がなかった(人事の遅れにより空白時間を埋めるための一時的な措置であるとも言われる)。
 このオウムの松本サリン事件の目的は二つあり、一つは前述したように、ドイツでのオウムの活動を日本に移すこと、もう一つは、H田内閣を打倒、解散に持ち込むことであったと考えられる。それより前に辞意は表明していたようだが、オウムの側も計画は前々から立てていたと思われ、オウムの計画とH田の辞意は同時進行だったと思われる(最初は社会党はずし)。H田孜は、この事件のK野義行の妻と同一人物で、麻原が狙いとする、松本地方裁判所の判事と同一人物であったと思われる。何故かというと、H田は、皇后美智子と同一人物で、皇后は、法を尊守させるような判事や裁判官などを任されることが多い。
 H田と同一人物の、K野の妻をサリンで襲うことにより、H田内閣を崩そうと思ったのだ。何故かというと、H田も一応オウム信者で、オウムは仲間だったからだ。しかし、H田内閣が最初から面白くなかったオウム社会党が、H田を嫌い、H田もまた社会党を嫌い、連立政権から社会党をはずしたが、このため少数内閣になり、結果、自民党社会党内閣不信任決議案を提出された。長期政権の自民党が、どうしてもH田は困る、と言い、自民党ヤクザでもあるオウムが、松本サリン事件を起こしてH田政権を倒したのだろう。H田内閣は、1994年4月28日~同年6月30日までの短命内閣で、次の政権が、1994年6月30日~1996年12月までのM山内閣である。オウムの麻原は、M山富市と同一人物で、この事件の直後から、M山政権が発足した。
 H本龍太郎(F井裕久)は、庭で薬品の調合をしていたことを松本警察署に、マスコミに黙っててくれと言いその代わりに、「俺は首相にいずれなるから、その時は松本に金を入れてやる」などと、元大蔵大臣であることを利用して、松本警察と話をつけたと考えられる。
 Uさんは、K野の妻と同一人物者の娘である。しかし、松本市とは何の関係もなく、テレビ局関係者でもない。
 おそらく、K野の妻は、真相を警察に話さず、娘にそれらのことを押し付ければいい、と考え、自分が仲間から嫌われていたことを隠した。
 
 松本警察署が「Uさんに全部押し付けられないか」とテレビ局に電話
 
 しかし、Uさんに対する押し付け行為は、それだけではない。
 松本警察署は、TBS社に「(松本サリン事件で河野の娘が逮捕できないので)Uという女に全部押し付けてくれないか」などと電話している。この電話を受けたTBSは、N階堂とF井とUさんをごっちゃに認識するようになったと思われる。しかし、N階堂は、麻原彰晃とも同一人物であり、全くの無関係な若い女性を麻原に仕立てるようにテレビ局が行動したと思われる。この後、会社が御茶ノ水に移転し、多少の配置換えがあり、F井(石井久子)が上司のN階堂とUさんがその部下になる、という人事が行われた。人間関係がうまく行くはずもなく、F井とN階堂は仲がよかったが、Uさんは孤立してしまったが、他の部署の仕事を手伝うなどして、夜遅くまで毎日のように残業していた。
 
 松本警察と東京のテレビ局はグル
 
 松本警察署は、こんなことも思っているという。
松本市で起きた事件を、東京の何の関係もない女に押し付け続けるとどうなるか」という社会実験のようなことを、オウムとグルになり、行っているのだという。それに加担しているのが、東京のテレビ局である。
 テレビ局は、「金を持っているし暴力団と関係のある芸能人と知り合い」という権力のようなものを利用し、Uさんに圧力をかけ続ける。
 例えば、Uさんの趣味趣向をストーカーしている芸能人から聞き、それが今流行っています、すたれてきました、などをテレビを使って情報を流し、芸能人もそれにしたがって動く、というような煩わしいことから、何かいい思いをしそうだ、と察知し、それを妨害するためにまたオウムからサリンを撒かれる、というようなことまで把握し、何かにつけ電波を私物化し、Uさんの日常を監視・脅迫する。
 1995年に東京都庁でオウムにより爆発物が送られてきた事件があったが、その時の犯人・菊池直子も、N階堂照代であるが、そういう事件すら、テレビはUさんがやったと思い込み、詳しい情報を報道しようとしない。テレビ局にとって、N階堂照代は身内であり、犯人として逮捕され裁かれるのは、信用を落としかねないし、面白い社会実験が終わってしまうと考えているのだ。
 東京のテレビ局のせいで、長野県松本市で起きた事件を東京が押し付けられ、逮捕できないということから、次の犯罪も行われ、全ての発端は松本市とまで言われるまでに成長してしまったのだ。
 何故、松本市とテレビが結びつくかというと、キーマンになる人物は、長者番付1位を取ったお笑いコンビのDのMが「松本市そのもの」であると共鳴し、「だから松本が偉いんだ、だから何をやってもいいのだ」と開き直る材料にしている。
  K野で麻原は、そのDのMの相棒のHと同一人物だが、Hは、松本サリン事件の後、都知事にもなり、全国知事ネットワークなるものを作り、「芸能人が偉いので、各地方自治体は芸能人を中心とする町を作るよう」依頼もしている。
 だが、一方で、DのMの長者番付1位というのは、申告上の数字のみで、実際に、納税はされていない。むしろ、納税をしない方が、真面目に納税するよりも、パワーが何十倍も大きくなり、治安の詐欺行為をするのに都合がよくなる。
 このようにテレビの世界はインチキがまかり通る偽りの社会、業界であり、それが一般社会で働く労働者を監視、陥れを行う、ということは大変な矛盾である。
 だからこそ、軋轢が生じ、テレビ離れが起きるのだ。