村下氏は自分のことを大塚と呼んでいい、と言っていたのは、仲間の暴力団が大塚と呼ばれていたからだ。
大塚は、シンガーソングライターHの可能性がある。
それでもどうにもならなかったので、自分の苦境を乗り切るためにT新聞社に、自分は悪くないがあの人が悪いと思う、などと他人のせいにする話をしに行ったという。その際、関係のない人をオウム信者であると言い、新聞社を丸め込んでいたが、実は自分の妻がオウム信者だった。
村下氏の妻は、現在、出所中の麻原彰晃と同居している(石川県)。葛飾区の女性とは、名前を変えて重婚していた可能性もある。マネージャーをしている人物のおおもとの雇い主の娘が菊池直子である。
それがT新聞社と村下氏の関係であると思われるが、どうしてT新聞社かといえば、村下氏のスタッフか知り合いの中にT新聞社で働く者がいたからであると思われる。
その知り合いというのがタリバンのメンバー(モハメド・アルクソ?)だった。他にもアリ・アトワというタリバンのメンバーとも知り合いであるようだ。
村下氏が度々金品をもらっていたA元首相の秘書をしている男は、タリバンの資金をタリバンのメンバーに振り込むためにリストを作成していたサイフ・アル・アデルの親族で、俳優MかシガーソングライターH(同一人物かかなり近い親族)である。
・A元首相の秘書(私設秘書)→シンガーソングライターH
・大阪の山K組の暴力団組員(タリバンで右翼団体水心会)→演歌歌手M(タリバンの指名手配犯・サイフ)の身内→村下氏を憎んでいたのは、シンガーソングライターH。ここから政治家の介入が出てくる。
村下氏が働く伊豆のホテルの支配人は、森一成(後にI原S太郎であることがわかっている)という人物で、イランのレザー・パーレビという元国王の男である。
村下氏が重婚していた葛飾区の女性の育ての父親である。
1995年頃、文京区のある夫婦の間に子供が出来た。この家の妻と、村下氏の娘であったが、女は菊地直子だった。
村下氏は菊地直子との間に子供が出来たということになる。
村下氏はそれからこの母子をかばうようになったが、菊地直子はN森明菜と同一人物で、村下氏が発表した「アキナ」という曲は、この女のことである。
村下氏のマネージャーをしていたのは、A首相かA首相の側近である。
菊地直子とA首相が何らかの関係がある。
Hの宮は自分が素性を知られるのを怖れるあまり、今まで自分を支援しているか顔や特徴の似ている者に悟られるのが嫌だとして、殺すよう依頼していた。