宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ②-6    村下孝蔵の死の謎のつづき 新聞社

 
 I知事は、村下氏の性格が嫌いであるとひそかに思っていた人物で、ことあるごとに金を払うといっては犯罪行為に手を染めさせていた。
 I知事は、皇居から出ていった奴らが気に食わんといっては、偽造口座などを作り持っていたりしていた。
 村下氏が倒れる際に、ファンの家の近くで騒いでいた暴力団数人が確認されていているが、それはI知事の息子たちではなく、A首相の息子たちである。しかし、それをI知事が自分の息子たちであると勘違いをしていて、悪いのはI知事だということになっていた。A首相は財閥の息子で、I知事はA首相に群がる政治家の一人である。
 ファンの近くで騒ぐようにはからったのは、A首相である。村下氏のマネージャーはA首相の関係者(親族)である。
 A首相はHの宮の実の父親でもある。
 
 現実との差を埋め合わせする代わりに無理やり引っ張り出された人たち。死亡後もそれを引きずりながら人気を得ようとする元シンガーソングライター。
 ファンが描く空想と、妻や家庭の現実との差でK氏は、自分の曲を恨み出していたふしがある。

 猫、子供、夏祭り・・・。村下氏の歌になぞられたと思われる、実際に起きた未解決事件の数々の真相は以前闇のままだ。だからといって、彼が武器を片手に他人を恫喝する姿を見たわけではない。実はこれらの事件は、村下氏へのシンガーソングライターHの復讐であったとすれば、謎が解ける。
 死んだと思ったはずの村下氏が生きていたか、作った曲に妄想を抱くようになり、犯行に及んだことは充分に考えられることだ。

 もし、村下氏が伊豆高原のKという男で、この話が本当であったとしたら、随分とスポーツマンのイメージとは違う彼の裏の顔が見えてきそうだ。

 彼はT新聞社と何らかの関係があり、彼の危機にはT新聞社が乗り出してくる。T新聞社の感触では、村下氏はまだ生きている。
 T新聞社では時折、1週間無料購読キャンペーンをすることがある。そして、それは村下氏の危機的状況を救うための目的で行われるほどの熱の入れようだ。彼とT新聞社とのつながりは、A元首相もからんでいる。
 田宮高麿の死後、吉田金太郎であった村下氏の態度が豹変し、天才になったかのような周囲への振る舞いとT新聞社との関係が気になるところだ。

 村下氏は、1969年に起きた3億円事件の犯人ではないか、といわれる。
 3億円事件の捜査では、犯行現場近くの赤軍派がしらみつぶしに調べられた。どうせ天皇にはなれないし、と、皇室から飛び出した村下氏は3億円事件により1970年に起きるよど号事件の資金稼ぎをした。皇族の中に赤軍派がいるといわれるのは、外へ出る皇族の代わりに入ってくる赤軍派の新しい皇族の家族がいたからである。
 何故、外へ出る皇族がいたかというと、次期天皇と目されるHの宮の意志によるものである。似たような性格の人では自分は天皇になれないかも知れない、という危惧が常にHの宮にはあった。そこで、自分が必ず天下を執るためには、邪魔なライバルを全員追い出してしまおう、と考えた。
 
 1995年に田宮高麿が死亡する直前、村下氏は赤軍派の活動により身辺を警察に探られていると思い込み、「田宮高麿がいけないんだ、彼さえいなければ自分は自由になれるのに」と思うようになり、田宮の殺害を意図しそれは実現した。しかし、田宮が死亡しても、自分の意のままにならないことが多く、それを他人のせいにしたりしていて、無理にこれで自由になった、という振る舞いをし出し、周囲から顰蹙(ひんしゅく)を買うようになった。
 田宮高麿がいけないんだ、という裏には、1995年頃、彼を操っていたシンガーソングライターHは、他の人と結婚していた森順子との間に子供が出来た。そこで、田宮高麿が自分にとって邪魔な存在になり、仲間の暴力団員に殺害を意図した。

 村下氏がその当時、慌てた理由には、
 ひとつには、オウム真理教の事件がニュースに上がるようになってから、赤軍派の摘発が相次いでいて、彼はその当時から警察の目を気にするようになっていた。
 ふたつめには、ライバルのHというシンガーソングライターのファンの中に山口組の元会長の娘がいて、元会長(渡辺)から目をつけられることになり、警察と元会長からの両方からの圧力に悩んでいた。
 そこで彼は田宮という悩みの種を、元会長と仲の良くない暴力団(大阪・山K組)に消すように意図してしまった、ということが考えられる。

 村下氏の妻は、大阪の山K組の娘で、村下氏は山K組の仲間に入る。自分の邪魔であった田宮高麿を山K組に殺させていた。山K組の中には、中田清秀がいる。
 シンガーソングライターHのファンだった大内早苗もオウム信者だった。