宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ②-3    村下孝蔵の死の謎のつづき 中国上海列車事故 村下氏は台湾人?

宝財探偵所の迷宮事件 -3 

 ・村下氏について・

 彼の生家は、映画館を営んでいたという。
村下氏と思われる男性・Kは、自分の名前は大塚でもあると言っている。

 東京・S区に、Oという家があり、その近くには、大手映画会社の東宝の撮影所がある。
 その家の持ち主は1987年頃、死亡した暴力団住吉会のFという男である。
 この死亡説はおそらくでっちあげである。死亡したことにし行方をくらますのは、悪事を企むにはもってこいである。
 F氏の縄張りは、東京・豊島区の南大塚一帯である。
彼の経歴について描かれた書物によると、斬新な思想を持つ実業家であるらしい。
 一方村下氏も、90年代半ばに、青年実業家だといわれていた時期があり、しかも、1999年に死亡したとマスコミで報道されたにもかかわらず、たいして素性を隠すこともなく、実際は生きているし、伊豆高原に生活の場を移している。
 そして、2人とも、早くやくざ稼業から足を洗いたいと思っているふしがある。
 2人には、共通点が多い。
 F氏が普段住んでいるアパートに、部屋こそ違うが村下氏もたまに訪れるし、村下氏の音楽関係者なども同じアパート内に住んでいる。
 住吉会といえば、戦後の朝鮮総連の関係者である。

 しかし、それだけではない。村下氏の父親はFという男だが、第二次世界大戦731部隊で活動した人々とゆかりの人で、芸能界にも関係がある人物である。 

 彼らは元731部隊なので、中国は苦手である。

 村下氏の曲の中に、中国の上海列車事故で死亡した高知学芸高校の村下氏の曲をよく聞いていたという男子学生へのメッセージソングがある。
 この曲は話題になったことがあり、知っている人もいるのではないかと思われる。

 中国の上海列車事故が起きた当時、中国の首相は李鵬であった。
彼の経歴を見たところ、李鵬はもともとインド人であった。インドの革命家として有名で後に中国の政治家となった。
 どうしてインド人が中国の首相になれるのか、と思うほど、中国とインドの仲は良くない。李鵬首相は、わざと中国の首相になり、学生らを弾圧して、革命でも起こそうとしていたのではないだろうか。
 一方、上海列車事故が起きた当時、中国を修学旅行していた一行の高知学芸高校は、その名の通り高知県にある。
 高知県といって思い出すのが、第二次世界大戦中、大東亜共和圏を唱え戦争に突入した、時の首相、東条英機の出身地でもある。これは中国人が大嫌いな日本の政治家である。

 高知学芸高校は、その年の修学旅行を日本の東北班と、海外の中国班とに別れて旅行していた。東北班にはこれといって異常はなかったものの、中国を選択した班には、大きな不幸が待ちうけていた。
 もともと、その頃中国では天安門事件など学生弾圧が政府によって行われていたさなかで、そんな時に中国を旅行するとは何事だ、という声もあったらしい。しかし、旅行は決行された。
 中国の政府とは、つまりインド人である李鵬元首相を中心とする政府である。
 もしも、学生弾圧しかも、中国の嫌いな日本人を、と中国側が思ったとしても不思議なことではない。
 日本の政治家の中でも、この修学旅行に反対する者もいたという。

 高知県が中国とどのような関係にあるかは定かではないが、よい関係にあるとはいいがたかったのではないだろうか。
 つまり、中国班の修学旅行が、事故に遭ってもおかしくない要因が多く存在していたともいえる。


 村下氏の曲を聴く者の中に中国で事故死した人がいて、村下氏(親が731部隊)と中国の関係上、クローズアップされてしまったということであろうか。
 
 当時の中国は何があってもおかしくない状態であった。
 事故があった頃から村下氏は台湾人系政治家から金をもらっていて、その政治家は、高知県出身の東条英機と縁のある派閥の人物だった。
 高校が何故中国旅行を決めたのかは定かではないが、その当時、政治家の間でも行くべきではないとする意見があり、高校が中国旅行をすることは政治家が知っていたということでもある。
 被害に遭ったファンがいる村下氏の、そのことを描いた曲が入っているアルバムのタイトルは「恋文」というものだった。
 これがわざとなのか、それとも配慮に欠けていたのかはわからないが、自民党の政治家と関係のあった村下氏のファンが一人死んでいるという自体は異常である。
 ともすれば、金と引換えにファンを一人犠牲にし、中国を悪く見せかけようとした陰謀であるともとれる。
 その政治家とはA元首相で、母親は台湾人である。

 
宝財探偵所の迷宮事件 -4につづく