宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ②-5    村下孝蔵の死の謎のつづき 村下氏は吉田金太郎?

 -4のつづき

 村下氏は、1970年代に起きた「よど号事件」の関係者であると疑う人もいる。
 田宮ら赤軍派の中に吉田金太郎という人物がいて、最近死亡したとされている。吉田金太郎は、肝臓の病気で死亡したとされている。そして、赤軍派や関係者はもとよりマスコミでも吉田金太郎のことを知る人はいない。

 葛飾区金町に、吉田金太郎という名で働いていた人物を雇っていたという会社がある。
 
 村下氏は葛飾区金町か柴又に住んでいた噂が近所にある。しかし、細部で村下氏の情報と食い違う部分があり、何者かが村下氏になりすましていたか、村下氏を罠にはめていた人物が住んでいた可能性もある。
 あるいは、村下氏が一時期金町で吉田金太郎という名で働いていたので、その時のことと記憶がごっちゃになっていた可能性も考えられる。
 村下氏は肝臓の持病があり、吉田金太郎の死因と似ている。

 1995年頃、よど号ハイジャックの田宮高麿が死亡したと報道された。村下氏は、田宮が死ねば自由放免になると考えた。シンガーソングライターとは彼の素性を隠す手段だったのではないかとも思われる。しかし、死亡したのは田宮ではなく、ぬれぎぬを着せられた他の人物だったという説もあるが、彼はそういうことは適当でよいと勝手に思い込み、自分は天才であると信じてそのように行動するようになった。村下氏は、田宮が死ねば自分は楽になると思った。そこで縁のある関西系暴力団に依頼し田宮を殺害した。
 

 1995年頃には、神奈川県の坂本弁護士一家殺害事件の犯人として、神奈川県警からマークされていたこともあったらしい。
 村下氏の悪い噂が流れ始めたのは、そのあたりからである。
もし、村下氏が事件に何らかの関係があったとすれば、警察に追われ、曲作りから遠のいていったことは考えられる。その後、事件が発覚し4年経ち、脳内出血で死亡したとテレビで報道される。
 彼はオウム信者だったのだろうか。
 村下氏のつき人をしていた男が、北海道に住む野田というオウム信者であることがわかっている。妻もオウム信者である。妻の実家には中田清秀もいて、村下氏がオウム信者かどうかは不明だが、坂本弁護士一家殺人に村下氏が関わっていたとされるのはそのせいであると思われる。
 二ノ宮耕一という方角の名前のつくお笑い芸人の息子のオウム信者がいる。彼は、坂本弁護士一家殺人の際に使われた茶碗を持っていた。手配書や記事などに、坂本弁護士の家から茶碗が3つなくなっていた、という件である。二ノ宮はどこで知り合ったか、村下氏に茶碗を持っていき、何かの役に立つだろうから、といって渡している。それは、何かの役に立つというより、犯罪の証拠を村下氏になすりつけたようにも見える。そのせいで、村下氏の顔が、Aという死亡したお笑い芸人の顔に似て見えた、ということが考えられる。
 
 

 1995年頃、村下氏と思われる人物が、葛飾区(金町・柴又ではない)の女性と結婚した。彼はその時、タカハシと名乗っていた。エンジニアか東京電力で働いていていたらしい。彼が死亡した時、喪主を務めたのはこの時の妻ではない。
 杉並区の西荻窪に住居があった。
 その家に、谷啓氏など何人かの芸能人が「どうしてくれる」といって尋ねてきたという。そのまま消息不明になった人もいたようだ。
 彼の曲で「タカハシ」というサッカー好きな少年のことを描いたものがあるが、それは彼自身のことであったらしいが、村下氏がサッカーのファンだという話は聞いたことがない。
 幼なじみ同様、この女性の方も、他人のものを自分のものだという妄想にとりつかれていたらしい。つまり、その曲によってすり替えを行っていたことも考えられる。
 その頃から、村下氏の曲に変化が生じていた。
 
 1999年に村下氏が死亡したと報道された後、村下氏は表立った活動を中止し、今は演歌歌手などに曲を提供しているといわれている。
 その裏には、K元首相との取引があったという。