宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件①-114 9.11テロ事件の続き可愛そうな人は助けない日本社会 人の不幸にはたかるもの

 官僚は出きれば運の悪い人に接したくない、という。その人としゃべることで、自分たちの運が悪くなったら困るからであるという。
 今の時代、親が死んだ、家族が死んだ、配偶者が死んだ、暴力団につきまとわれる、というようなことは当たり前である。
 そういう人を全員助けたくないし、そのままでいればいい、という思想では絶対に格差が生まれる(K元首相の思想そのものである)。

 
 日本の社会は官僚の思想のせいで差別に満ちている。幼い頃に親が死んだ者は、一生幸せになってはいけない、と官僚が思っている。そのため、子供は天皇家の子供だと吹聴され、天皇家や日本国の敵と戦わされる。政治家は誰の親が死んだか、をいつも見張り、どの子供が政治の犠牲に使えるかをチェックしている。そのことは、例え引っ越ししても、次の役所にバラされる。区役所や市役所などもどこ子がそういう運命の持ち主かを把握し、区や市で何かの取引に使われたりするので、その人の運はろくでもないものになってしまう。そして、そういう人に手を差し伸べる気持ちの微塵もない。
 親がいない子供は何を言っても相手にしなくていいぞ、と中央官庁から言われるので、助けようとする者にも迷惑を国からかけられるようになる。
 一旦弾圧の対象にした者だから、といって何かの拍子にうまく事が運んでいても、キャッチした役人に密告される。そういうことは、放送局も情報をキャッチし、官僚と同じ事をしようとする。
 このようにして、人に対して差別が発生する。それが日本の社会というものだ。
 区によって多少の違いはあるだろうが、文京区の場合は有無を言わせない(文京区は北朝鮮の萬寿台国会と親しい)。土地が高いとお高くとまっているほどその傾向が高いだろう。庶民の味方、下町の江東区の場合は、相談に乗るフリをして、結局あれがダメ、これがダメとケチをつけられる。頭がおかしい呼ばわりもされることもあるようだ。
 その代償として(代償にもなっていない)、有名人や政治家などが可愛そうな境遇だった場合には、うちの国はそうしています、とばかりにみんなでよってたかって助けるフリをする。では、有名になればいいだろう、といわれても、それすら管理されている人たちがいることも事実である。
 そういう場合には、暴力団と相談(暴力団にまわされる)し、やっぱまずい、いろんな人たちが死んだり犠牲になってしまう、と言っては権利を剥奪したり、無関係な犯罪の容疑者としてわざと警察につけさせたりする(文京区の富坂警察署の得意技・彼らはまともに捜査をしたことがない。H総務相のお膝元)。地元で働いている場合は、その地域を管轄する区役所や市役所が、違う地域の場合は、その地域の役所などが圧力をかける。あるいは、体制の政治家の子供などが、公安だ、と言って現われ、退職を余儀なくされる。
 日本の役人の魂胆では、子の運命をギッタギタにする代わりに、子の親を殺した人物などを持ち上げ、よくぞ、やってくれました、これでわしらの国は君がいるおかげでしばらく安泰だ、といわんばかりに、いろんな人とグルになれるし、仲間も多く、いい思いができる。しかも、それを指摘された役人は、親を殺されてたくせに、と暴言を吐き、いっそう地獄に落ちてしまえとほくそ笑む。
 運良く親がいた場合でも、今までやっしまったことは取り返しがつかないと言い出し、やはりその子の人権を取り上げることを優先する。
 これは、放送局の態度と似ている。
 日本のような仏教のフリをしたイスラム教の国は、女性に対しての偏見も異常に多い。
 少しでも、男に逆らおうとすると、たちどころに集団の男に暴力を振るわれる。そういう話題に男は敏感で、いつでもアンテナをはりめぐらせ、どこにいても、そういう女を集団で呪うこと手法を習得している。というかそれが日本の男の主な社会活動であり、社会参加である。

 人の不幸には異常に敏感な民衆が多いのも、日本人の特徴である。